第46話 喬道清
「壺関が陥ちただと!?山士奇は何をやっておったのだ!」
「はい、どうやら唐斌が寝返り、なす術なく陥落した様です」
「それで山士奇は、どうなったのだ?」
「逃げ延びたみたいですが、まだ生存確認は出来ておりません」
「そうか生きているなら、そのうち姿を現すだろう」
田虎は、苦虫を噛み潰したみたいに顰めっ面をした。壺関は、守りの要所だったのだ。それが陥されたとなれば、この威勝府に梁山泊軍が雪崩れ込んで来るのも時間の問題だ。田虎が頭を悩ませていると、前に進み出て上奏した者がいた。
「大王様、私が参りまして敵を退けましょう」
上奏した者は、姓を喬、名を冽と言い、陝西の涇原に生まれた。孕っていた母親が、部屋に入ってきた豺が鹿に変じた夢を見て目覚めると、喬冽を産み落としたと言う。
両親は神仙の御告げだと信じ、息子は大成するに違いないと、幼い頃から武術や学問を学ばせた。喬冽は僅か8歳で槍棒をマスターして、両親の期待に応えて見せた。
ある時、崆峒山に赴いた時の事。ボロを纏った老人と会い、「力を授ける」と言われて幻術を伝授された。
喬冽は半信半疑だったが、風を起こして雨を呼び、霧を起こして雲に乗る事が出来た。しかし思う様に扱えず、仙術を学ぶ為に九宮県のニ仙山に住む南の大宗師・羅真人に弟子入りしようとした。
「儂の修行は厳しいぞ。果たして耐えられるかのう?」
「師傅 (お師匠様)、覚悟の上です。弟子にして頂けるなら、どの様な事でも耐えてみせます!」
中国は「孝(親孝行)」を重んじる。師弟関係を結べば、師匠は第二の父親として敬い「孝」を尽くす。家長である父親は、妻や子供、奴婢達の生殺与奪の権を握る。それぞれの家庭によって、国の法律とは別に家法があるのが普通であり、それを破った場合、最も重い私刑は死刑である。
正当な理由を付けて役所に届け出れば、私刑で処刑しても何のお咎めも受けない。役所もお家の事として、関わろうとしない。この辺りは、現代の刑事裁判と民事裁判の違いに近い。民事に関する事には、警察は関与しようとしないのと同じだろう。つまり師匠は第二の父として、弟子の生殺与奪の権を得る事になるのだ。
こうして喬冽は羅真人の弟子となったが、その修行はただの小間使いであり、掃除や洗濯、飯の煮炊が主な修行だった。喬冽は私塾の様に仙術を習えるものだと思っており、その期待との余りの違いに落胆した。
一月も経った頃、遂に痺れを切らした喬冽は、羅真人に尋ねた。
「師傅 (師匠)、一体いつになったら仙術を教えて頂けるのでしょうか?」
「ほっほっほっ。何じゃ?もう根を上げよるのか?儂の修行は、厳しいと言うたじゃろう。嫌なら今すぐ下山するのじゃな」
志半ばで下山する訳にもいかず、そう言われると大人しく引き下がるより他無かった。更に一月が経つと、喬冽の忍耐にも限界が来た。
「師傅 (師匠)は、本当に仙術が使えるのだろうか?師傅 (師匠)が仙術を使っている所など見た事が無い」
喬冽の心に疑念が生じた。これまで盲目的に師匠を敬って尽くして来たが、もしや仙術など使えずに、自分を小間使い代わりに使っているだけなのでは無かろうか?修行をさせないのでは無く、そもそも仙術が使えなくて教えられないのでは無いだろうか?もしそうであるならば、自分はとんでもない詐欺師に尽くして来た事になる。馬鹿にするにも程がある。
その夜、喬冽は寝たふりをして夜中にそっと寝床を出た。毎晩の様に師傅 (師匠)は紫虚観で読経をしており、そこへ足音を立てずに忍び込んだ。
喬冽は棒を手に取り、羅真人の背後に回った。羅真人は読経に集中して、自分に気付いていない。棒を振り上げると、心臓の音で気付かれるのでは無いか?と手が震えた。
(本当に仙術があるなら、躱わせるはずだ)
喬冽は渾身の力を込めて、羅真人の後頭部に棒を振り下ろした。槍棒を8歳でマスターしてからも、毎日の鍛錬を欠かした事は無い。喬冽は、その辺の武芸者では相手にもならない程の使い手であった。
手ごたえを感じた。師傅 (師匠)を殺してしまったと後悔した。
「ひゃあ!」
思わず喬冽は悲鳴を上げた。羅真人の姿が黒くなり、その黒い手が棒を掴んだ。その指先には鋭い爪が生えており、ボキッと棒をへし折った。
いつの間にかに、羅真人の頭が見上げるほど高くなっていた。頭だけで無く、肩や背中の筋肉が盛り上がって道服を破り、黒い鋼の様な肌が現れた。そして羅真人が振り返ると、口は耳まで裂け牙を生やした鬼の様な形相であった。
「お前、何の用でここに来た!?」
地の底から響く様な恐ろしい声だった。喬冽は恐怖で失神した。目が覚めると、喬冽は自分の寝床で寝ていた。昨晩の事は夢だったのだろうか?いや、そんなはずは無い。確かめる為に喬冽は、紫虚観に向かった。
紫虚観に行くと、羅真人は読経していた。あれは全て夢だったのか?と思って視線を落とすと、羅真人の近くに折れた棒が落ちていた。
「嗚呼…あれは、夢でも幻でも無かった。あれが師傅 (師匠)の仙術だったのだ」
それから喬冽は心を入れ替えて、どんな雑用を言い付けられても文句を言わなくなった。やがて1年が過ぎ、ようやく羅真人が喬冽に仙術を教えた。元々仙術が使えた喬冽は、いわゆる天才であった。その素質は羅真人の下で、更に開花した。
「今日からは、道清と名乗るが良い」
喬冽は、一人前の弟子と認められて道号を授かり、喬道清となった。




