60 拘束されたもの
薄暗く湿った空気が漂う通路を、紫紺の髪の少女――リーシャは周囲を警戒しつつ歩いていた。
唐突に叩き込まれた見知らぬ場所、何が起こってもおかしくはない。
とはいえ――
「――ハアッ!」
鎧袖一触、行く手を阻む出来の悪い人形が蹴散らされる。
この場所に送り込まれる前に遭遇した自動人形の劣化版のような代物だが、こうもあっさりと蹴散らされるのを見ると妙に切ない。
(私……全く出番がありませんね)
もちろん非戦闘系であることを自覚する自分にとっては良い事なのだが、なんとなく自分の存在が場違いに感じてしまう。
そんなことを思いながら、束ねた金髪を靡かせ前を進むシャーネの背中を追う。
(うーん、これは強敵ですね)
凛々しくも可愛らしい容姿に性格も爽やかだ。若干ダンと同じ気配はするものの、それを好ましく思う者もいるだろう。
加えて動くたびに揺れ動くあの胸。あれは反則だろう。同性である自分ですら目を奪われてしまう。
(クロエはもちろん可愛いんですけど――)
この部位に関して言えば戦う前から勝負にならない。無条件降伏しか道はないだろう。
いや、むしろこれは肯定的にとらえるべきだろうか?
(あの様子からすると、ルークさんが朴念仁なのに妙に女慣れしてる原因は、シャーネさんのスキンシップが原因でしょうし……)
となれば逆のタイプであるクロエの方がむしろ目を惹くかもしれない。
まあ、まずは女性として認識してもらうのが大前提ではあるのだが。
「ん、こんなところか。リーシャ君、怪我はしなかったか」
「ご心配なく。シャーネさんがいるおかげで安心して進めます」
一通り自動人形を片付けたシャーネが振り返って訊いてくる。
そんな彼女に笑顔で返した。
「しかし何なんだろうな、この場所は? 人が使っていた施設ではあるようだが……」
「たぶん天然物の洞窟を使えるようにしたものだと思います。所々人が手を加えた様子がありますし……この様子からすると、長らく放置されていたようですが……」
「私たちを跳ばした古代遺物もその何者かが使っていた品といったところか」
二人が目を覚ました時、傍には他の者たちの姿はなかった。おそらく別の場所に転移したのだと思われる。
半ば偶発的な形で古代遺物を動かしてしまったので、座標がバラバラになってしまったのではないかというのがリーシャの考えだ。
うろついている自動人形モドキの存在からすると、一人きりであればかなり危険な状況だっただろう。
戦闘技能に長けたシャーネが近くに転移していたのは不幸中の幸いだったと言える。
「出来るだけ早く皆と合流したいところだな。余程のことがない限り大丈夫だとは思うが、一人きりであれば危険だ」
「ええ……」
彼女たちは離れた四人を信頼してはいるものの、だからと言って心配しないわけではないのだ。
「それでは先に進むが……少し休んだ方がいいかな?」
「いえ、私は楽させてもらっているので大丈夫です」
こちらを気遣うシャーネに答えた。
これは強がりでも何でもない。非戦闘系である自覚はあるが、こう見えて去年の模擬戦の一件から体を鍛えているのだ。
この程度の行程で息切れするほど柔な鍛え方はしていない。
この施設と思しき場所は無駄に分かれ道が多い。おそらく大抵の場所は元の洞窟のままで、最低限整えただけなのだろう。
本当の意味で使われていた場所は他にあるはずだ。
「これはいったい……」
そう考えながら足を進めた先で二人は奇妙な場所に辿り着いた。
今まで歩いてきた通路よりも大きく広い空間。複数の大型の檻が放置されているが、完全に破壊されている。そして床には頑丈そうな鎖が広がっていた。
しかし何より目に留まるのは、天井・壁・床と所狭しと刻まれた複雑な文様である。
「これはひょっとして……魔術式でしょうか?」
「む……そうなのか?」
壁に刻まれた文様を見つめながらポツリと呟かれた言葉にシャーネは訊き返す。
騎士ゆえに魔術士が展開する魔術式は視認できるし、一応知識はあるのだが本当に"一応"だ。
学生時代は随分と座学で苦戦してテスラに世話になったものだ。なのでこういったフォローをしてくれる存在はとても有り難い。
「ええ、おそらくですが。意味は……拘束に負荷といったところでしょうか?」
壁一面に描かれた魔術式からリーシャはその意味を読み解く。
とある小さな先輩の講義を受けた頃からこういった知識に関しては積極的に収集していたのが役に立った。
見たところ輝晶鉱が使われていない。
本来であれば術式具としては成り立たないはずだが、これは膨大な魔術式を組み合わせ何処からか魔力を送ってくることで無理やり魔術を成立させていたようだ。
はっきり言って正気の沙汰ではない。ここまでくると狂気すら感じられる。
「拘束に負荷……? この鎖や檻といい、何かを捕えてでもいたのか?」
「確かにその可能性は高いと思いますけど……いったい何がこの場所にいたのでしょうか?」
こんな規模の施設を造ってまで秘密裡に拘束しなければならないもの。そんな存在を二人は想像することが出来なかった。
仮にそんなものがいたとしてソレはいったいどこへ行ったのか? この施設を造ったであろう人物はどうして放棄したのか。
次々に疑問が浮かび思考が上手く纏まらない。得体の知れない不安感だけがジワジワと増していく。
「――とりあえずここでこうしていても始まらない。一刻も早く他の皆と合流しよう」
「そうですね――ひゃっ!?」
「どうした!?」
突然首筋に寒気を感じ、思わずリーシャは悲鳴を上げてしまった。シャーネは反射的に周囲を警戒する。
「ご、ごめんなさい。首に水滴が落ちてきてみたいで……」
「なんだそうか……。うん、なにもなかったのであればそれでいい」
ホッと息をつき警戒を解いたシャーネは、彼女たちが歩いてきた通路とは別の通路を見つけ歩き始める。
その背中をを追いつつリーシャは一度後ろを振り向いた。
「……」
ゾクリと背筋が震える。今度は水滴ではない。この場所に染み付いた腐臭のような狂気。それを一瞬想像してしまったのだ。
――早く帰って暖かいベッドで眠りたい。
先を行く金髪の騎士の後を追いつつ、リーシャはそんなことを考えていた。