54 宿
馬車はそのまま休憩を挟むことなく、無事に目的地であるエントの街へと辿り着いた。
流石に日はすっかりと暮れ夜空には星が瞬いているが、それでも王都から此処までの距離を考えれば驚異的な速度と言える。
その立役者であるバルバトスはいえば、全身から汗こそ流しているものの、体力的にはまだまだ余裕があるようだった。
――もはや本当に馬かどうかも怪しい。
「……こ、この馬を預かるので?」
「ああ! 気性の優しい良い子だからな、よろしく頼む!」
気の毒だったのは、そのバルバトスを預かることになったエントの街の厩舎の管理人である。
管理人だけでなく、厩舎の中の他の"馬"たちもまたこの豪壮な黒馬には怯えを隠しきれず、柵の向こう側で縮こまっているようだった。
幸い彼は主であるシャーネに対しては忠実なようなので、厩舎で暴れるといったことはないだろう。
――だからと言って管理人たちの気が休まるわけではないだろうが。
気の毒な管理人にバルバトスを預けたルークたちは、早速エントの街へ入ることにした。
大きな街なので衛士が門を固めていたが、王国軍所属の騎士と魔術士であるシャーネとテスラがいたのであっさりと通過することができた。
「……私、今日ほど地面の有難みを感じたことはありません」
「ア、ハハ……あー、ごめん。今度、何らかの形でお詫びをさせてもらうよ」
クロエに肩を借りながら軽く足をふらつかせるリーシャにルークは頭を下げる。
自分が悪いわけではないが、彼女の不調は間接的に身内が原因であるのだから。
「――言いましたね」
「……へ?」
「絶対にお詫びしてもらいますから忘れないように」
「……えーと」
ひょっとしたら迂闊な発言をしてしまったかもしれない、と返事を濁すルークを顔色を悪くしながらも愉快そうに眺めるリーシャ。
「――いひゃっ!?」
しかし油断していた彼女の頬をクロエが軽く摘まみ、思わずおかしな声を漏らしてしまった。
「どんな時でもスタンスが変わらないというか……あんまり意地悪を言うなよな」
「いやいや、こういう時だからこそ精神の安定に不可欠と言いますか……あっ、お詫びの権利をクロエに譲ったほうが良かったですか?」
「……誰もそんなことは言ってないし」
何故だか回答までには少しばかり時間がかかった。
そんな会話を交しながらクロエは安堵の息をつく。
彼女自身は暫くすれば馬車の揺れにも慣れたのだが、幼馴染の方はそうもいかず心配していたのだ。
「うむ、しかし流石に王都ほどではないが中々に立派な街だな」
周囲の街並みを見渡したダンが感嘆したように呟いた。
既に時刻は夜だというのに道には人の姿があり、酒場や食堂からは灯りと賑やかな声が漏れ聞こえる。
偶に見かける露出過多な女性たちはおそらくそういった商売を生業としているのだろう。
元々彼の出身は貧しい農村である。王都もそうだが、こういった大きな街を目にすると圧倒されることもしばしばだ。
「豊かな水源が近くにあるおかげで、かなり発展している街だからな。この賑わいも当然……なんだが」
「どうかしたの?」
言葉の途中で首を傾げ、シャーネはキョロキョロと辺りを見回す。
そんな彼女に訝し気にテスラが問いかけた。
「私の気のせいかもしれないが……この街、以前に来た時よりも雰囲気が沈んでいないか?」
「……んー」
シャーネが感じたらしい街の違和感に対してテスラは唸る。
彼女自身は特にそういった印象は抱いてはいない。街から受けた印象は以前のままだ。
しかし面と向かって否定出来ないのは、この友人の直感の的中率を長い付き合いからよく知っているためである。
語彙が少ないせいで言葉足らずなところはあるが、彼女がそう言う以上、何かあったとしてもおかしくはないのだ。
「……とりあえず今日のところは先に宿を取りましょ。気になるなら明日にでも街の代表に話を訊きに行けばいいわ。今から訪ねても迷惑でしょうし」
「ふむ、それもそうだな」
テスラの言い分に納得して頷くシャーネの姿に安堵する。
流石にあのバルバトスの引く馬車はテスラとしても辛かった。今日のところはさっさと休みたいのだ。
(できれば違和感の方も気のせいだといいんだけどねー)
面倒なのは嫌いなのだ。何も起こらないならそれに越したことはない。
そう思って彼女は予定の宿の方角へと足を向けた。
王立学院による実戦演習は毎年行われる必須講義である。
時と場合によっては特殊な場所が演習地となることもあるが、概ね例年通りの実地場所で行われる。
よって演習地最寄りの街の宿は、この時期は予め空き部屋を確保している。
単純に確実な集客ということもあるが、王立学院の学生には貴族の子弟が多いためだ。
将来的な投資としての意味合いもあり、この客を逃す手はない。
「ちょうど二人部屋に三室空きが御座います。こちらにお泊まりになられますか?」
「そうね、それじゃあお願いするわ」
ニコニコと愛想の良い笑顔を振り撒く、頭髪の薄くなった店主の言葉にテスラは頷いた。
此処はエントの街の宿の一つ。
宿の格としては可もなく不可もない一般的なもので、多少懐に余裕のある層が利用する宿だ。
これが贅沢に慣れた貴族生徒であれば文句を言うところであるが、幸いなことに彼女の担当生徒は特に不満もないようだ。
「それじゃあ、部屋割りだけど――」
「はいはい! テスラ、私はルークと同室で頼む!」
店主から部屋の鍵を受け取り、余り物で構わないから、と簡単な夕食を頼む。
そうして部屋割りを決めようとしたテスラにシャーネが手を上げ主張した。
見れば既にもう片手にはルークを確保している。
「あー、それは……」
シャーネとルークは姉弟である。何の問題もない。
しかしそうなってくると必然的に自分とリーシャ、ダンとクロエという割り振りになる。
これは少々不味いのだ。学院から資料を貰っているテスラとしては許容できない。
(というかあんたも資料を貰ってたでしょうに……)
真面目な性格であるから読まなかったということはあるまい。
となれば弟可愛さに完全に失念しているか、そもそも男女がどうとか全く気にしていないかのどちらかだ。
どちらかと言えば後者な気がするが。
学生時代から男性の視線や意識など全く気にしていなかった節があった。
豊かに発育した肢体を無防備に晒す彼女を男どもの下卑た視線から守るのには苦労したものだ。
「あの、すみません。……俺はできればリーシャの看病をしたいんですが」
どうしたものかと頭を悩ませていると、ここでクロエが控えめに手を上げた。
続けてダンからも要望が上がる。
「できれば俺もルークと同室にしてもらいたいのだが。……少し相談したいことがあるので」
「なるほど、そうなると……」
折角なので二人の意見に便乗することにする。
これが一番後腐れがない割り振りだろう。
「ルーク君とダン君、クロエ君とリーシャさん、私とシャーネが同室ってことでいいわね」
「……そ、そんな!?」
ガーンッ、とばかりに衝撃を受けるシャーネ。そんな彼女に更なる非常な追い打ちがかかる。
「そうですね。クロエとリーシャは幼馴染ですし、他は同性なのでそれでいいと思います」
「ル、ルーク!? まさか……姉さんの事、嫌いになったのか……?」
弟からの思わぬ梯子外しにシャーネは動揺を露わにした。
半ば涙目でルークに詰めより、両肩を握りしめガクガクと揺すりながら問いただす。
「そ、そんなわけないよ。た、ただ団体行動なんだから私情は抑えないと、とと……」
騎士適性の腕力の高さで揺さぶられたルークは目を回しながら答えた。
最大の懸念が払拭されたシャーネは動きを止め、ほっと息をつく。
そこに頃合いを見計らったテスラが割り込んだ。
「それじゃあ、これが部屋の鍵ね。夕食は各自の部屋に持ってきてもらえるように頼んだから」
「うう、ルークゥ~」
テスラはシャーネの首根っこを掴み、容赦なく自室へ引き摺っていく。
最後に一言残すのも忘れない。
「明日に疲れを残さないよう早めに休んでね。んじゃお休み~」
そう言って姿を消した監督役を見送りダンがぽつりと零した。
「――ルーク」
「ん? なに?」
「……中々個性的な姉君だな」
「優しくて良い姉さんだよ? ……うん、本当に」
少しだけ苦笑を混じらせながら困ったようにルークは答えた。




