閑話 ある邸宅の主従
王都の片隅にあるとある邸宅、その廊下を彼女は歩いていた。
シックな侍女服を着こなす彼女は、人形のように美しいが同時に酷く存在感の薄い女性だった。
屋敷を歩くその姿は夜半ということもあり、幽霊の類いと誤解させかねないものだ。
彼女の向かう先はこの屋敷の主であり彼女の主でもある人物の部屋である。
本来であればこのような屋敷にて起居するような人物ではないのだが、やんどころのない理由でそうした立場に置かれていた。
――その分この屋敷の警備体制はそこらの重要施設とは比べ物にならないのだが。
主の部屋の前に辿り着き、窓硝子に映る自身の姿を確認し身だしなみを整える。
幼い頃から仕え気心が知れ、あまりそういったことに頓着しない主だが、これは個人的信条の問題だった。
侍女として主の恥にならないよう、如何なる時も気を付けねばならない。
ノックを三度行い屋敷の主に入室を乞う。
少し間をおいて扉の向こうから返事が返る。
「はいはーい、どうぞー」
「――失礼します」
一言断りを入れ扉を開き入室する。
あまり物に執着しない主の気質を反映し、年頃の娘にしては少々殺風景な部屋の光景が目に映る。
そして返事を返した主はと言えば――
「――お嬢様、自室といえど気を抜きすぎです。私以外が入ってきたらどうするのですか?」
「アハハ、そう固いこと言わないでよ。どうせこの部屋に入るのはユリアしかいないよ」
薄い下着姿でベットの上に寝そべり、なにやら本を読んでいる最中だった。
整った容貌の少女であり下着からは健康的で瑞々しい肌が覗くが、この格好は些かはしたないと言わざるを得ない。
「――そういうことではありません。淑女たるもの殿方の目線のないところでも気を抜かず――」
「はいはい、わかったよ。次から気をつけるから先に報告を済ませてよ」
聞きたくなーいとばかりに耳を塞ぐ少女に侍女服に身を包む女性――ユリアはため息をつく。
言いたいこと色々あるが、今はやるべきことを先に済ませるべきだろう。
「――襲撃の依頼者についての裏は取れませんでした。やはり彼らは捨て駒……目的も警告程度の意味合いでしょう」
「……そっかー。ボクが無防備なところを晒せば、少しは派手に動くかと思ったんだけどね」
「――だからといって無関係な学生を巻き込むのはどうかと思いますが」
「んー、自然な形で護衛を手に入れたかったからさ。街で偶然見かけて、つい……ね?」
話には聞いていた相手だったのだが、まさかあのタイミングで出会うとは思わなかった。
仮に彼らに出会わなければ別の方法を実行していたのだが、色々と好都合だったので同行してもらうことにしたのだ。
「でもまあ、運が良かったよ。彼らには余計な手垢が付く前に接触しておきたかったし……」
「――はあ、そうですか……」
目を付けられた側からすれば堪ったものではないのではないかと思ったが、ユリアはその感想を飲み込んだ。
代わりに別の事を告げる。
「――この件に関しましては正妃様の線が濃厚かと思われます。……周辺が自発的に動いた可能性もありますが」
「まっ、そんなところだろうねー」
少女の母親は本来であれば輿入れできるような身分ではなかった。それを父親が周囲の反対を押し切り強引に迎え入れたのだ。
その経緯から生前の母は正妃の閥からは強く疎まれていた。
彼女は少女が生まれてすぐに亡くなったが、口さがない者の中には暗殺だったのではないかと噂する者もいる――真相は闇の中だが。
そのことに対して少女がどう思っているのか、それは傍で仕えるユリアさえ知り得ぬことだ。
ともあれそれから以前にも増して少女を溺愛するようになった父親は、少女を表に出さず信頼できる護衛を付けることにしたのだった。
「それじゃあ、もう一つの方はどうなったかな?」
「――そちらの方は……手掛かりは全くなし、全滅でした」
少しだけ躊躇しつつユリアはその結果を告げる。それを聞いた少女は眉を顰め尋ねる。
「全滅? 例の件に関わってたのは男たちだけと聞いたけど……女子供もかい?」
「はい、調査班が到着したときは既に手遅れでした。手がかりになりそうなものも全て始末されたようで」
「へー、……なるほどねぇ」
目を鋭くして虚空を睨み付ける少女。
彼女が何を見据えているのかユリアにはわからないが、何にせよ彼女は主命に従うのみである。
「――うん、よくわかったよ。……それじゃあ話は変わるけど、机の上の書類の一枚目を見てくれるかな」
言われて目を向ければ机の上には二枚の書類が置かれていた。
ユリアは言われた通りその書類の一枚目に目を通す。
「――どう思う?」
「――机上の空論かと」
「だよねー」
その書類に書かれていた内容は、孤児院の増設と学習施設の建設に関するものだった。
裏のない善意からの提案と思しきそれをユリアは容易く切って捨てる。
現実が見えていない子供の意見だと感じたからだ。彼女の主もまたそれを否定しなかった。
「でもボクたちみたいな立場の人間からは出ない意見だ。耳を塞いで目を逸らすことは許されない……二枚目を見てくれるかな」
言われるがまま二枚目へと目を通す。
こちらの方は若干考慮の余地があった。
「――孤児院での子供たちへの特殊教育と引退した冒険者への仕事の斡旋ですか。……資金が必要ですね」
「別に専門の諜報員にしようってわけじゃないよ。民間レベルからの情報収集や操作ができれば十分さ。冒険者の方は組合の方からお金を出してもらうつもり。長期的に見ればリターンは見込めるだろうし」
「――ふむ、そういうことであれば根回し次第では可能ですか……時間はかかりますが」
「もともと将来を見据えての政策だからね。そこはのんびりといこう」
二枚目の書類に書かれていたのは、一枚目の理想論を現実とすり合わせるための方策だった。
こちらの方法であれば、やり方次第ではあるが十分に実現可能な範囲だろう。
そのために必要な手順を頭の中で検討し、ふと思いついたことがあった。
「――そういうことであれば丁度良い人材がいますね」
「ん? そんな人いたっけ?」
「――はい、先日の件で確保した人物で、それなりに頭が回り判断力もあります。人を纏めてきた経験もありますし、あとは少々腐った性根を教育し直せばよく働いてくれるでしょう」
「…………」
少女は目の前の――幼い頃から自分に仕えてくれているが全く容姿の変わらない――年齢不詳の侍女による"教育"を思い出す。
何故だか冬でもないのに軽く寒気を感じブルッと身を震わせた。
「……まあ、ほどほどにね」
「――はい、お任せください」
濡羽色の長髪の侍女――ユリアは優美に一礼して応える。
そんな己の従者の姿に、艶やかな蒼髪にアメジスト色の瞳をした少女――王国第一王女イリスティア・ヴェルティカ・エーデルフェルドは困ったように頬を掻いた。
二章はここまでとなります。
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