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宿らされた者  作者: 鋼矢
第二章
38/65

35 大事な事

 静寂を破る荒々しい物音にイルは目を覚ました。

 彼女たちが閉じ込められている小さな部屋に光が差し込み、その先から中年の男が一人下りてくる。


「おらっ、起きろお前ら! 飯を持ってきてやったぞ!」


 男は苛立ちも隠さず乱暴に粗末な食事を放ってくる。

 この場所に連れてこられてから何度か顔を合わせたことのある男だが、こうも苛立った表情を見せるのは初めてだ。


「いいかっ、大人しくしてろ! 妙な真似したらただじゃおかねえぞ!」


 怒鳴り声を残し去っていく男の背を黙って見送る。

 男の「あいつら、いったい何しに来やがったんだ?」という呟きを、彼女の鋭敏な聴覚は逃さず捉えていた。

 男の怒鳴り声に怯え震える子供たちを慰めつつ考える。


(――外でなにかあったのかな……)



 ◇ ◇ ◇



 古びた家屋に積もりに積もった埃を拭き取り、空気を入れ替え、隙間風の入り込む破損個所の修理を終えた頃には陽も完全に沈み、夜空には月が冴えた光を放っていた。


「うがー! つーかーれーたーぞー!」


 掃除したばかりの床に寝転がり、疲労を全身で表現するコルネリア。

 ゴロゴロと掃除したばかりの床を転げまわっているが、掃除前であれば全身埃塗れになっていただろう。


「コリィ先輩、そんなことしてたら髪が痛みますよ。掃除も終わったことだし、食事にしてさっさと休みましょう」

「お前はアタシの母親か!? だいたいその前にもっと大事な事があるだろうが!」


 年頃の娘がするには些かみっともない行動を注意すると、顔を真っ赤にしたコルネリアが怒鳴り返してきた。

 しかしルークには彼女の言う『大事な事』とやらに見当がつかず首を傾げてしまう。


「先輩、いったい何のことだよ?」

「お前もか……。いいか、……風呂だよ、風・呂!」


 クロエの言葉にがっくりと肩を落としたコルネリアは、次の瞬間、二人に言い聞かせるように強く言い切った。


「……コリィ先輩、それは無茶ですよ。この規模の村に入浴施設があるとは思えません」


 ルークの反論は至極当然のものだった。

 大きな街や水源が近くにある村ならともかく、通常この程度の規模の村には入浴施設などまず有り得ない。

 基本的に温めたお湯や湿らせた布を使い、体を拭くくらいが一般的なのだ。


「お前らこそ馬鹿言うな。ないなら作ればいいだけだけじゃないか」


 しかしそこで諦める必要がないのが魔術士である。

 コルネリアは悪びれることなく平然と言葉を返す。


「確かにそれは可能ですけど……態々(わざわざ)そこまでする必要がありますか?」

「そこまで……だと?」


 ルークの発言を聞いた少女の額に青筋が走る。


「ふざけんな! 風呂は命の洗濯だろうが!? 入らないなんて国王が許してもアタシが許さんぞ! だいたいさっきまで掃除してたから汚れだらけで気持ち悪いんだ! つべこべ言わず黙ってアタシに風呂を差し出せー!」

「待った先輩! ちょっと落ち着いて!」


 両手を振り回し激怒した彼女をクロエが後ろから抱え上げる。

 暫くその体勢のまま暴れていたコルネリアだが、ジト目でルークを見つめるとポツリと一言零す。


「お前……ひょっとして汗かいた女の匂いを嗅ぐ趣味でもあるのか?」

「ちょっ!? いきなりなんてこと言うんですか、コリィ先輩! あるわけないでしょうっ、そんな趣味! 

クロエもそんな目でこっちを見ないで!」

「あっ、すまん……」


 身に覚えがなさすぎる嫌疑をかけられたルークが慌てて否定する。

 コルネリアの発言を聞き、ついつい彼を二度見してしまったクロエは軽く頭を掻いて謝罪した。


「はぁ……、わかりました。それじゃあ外に行きましょうか?」

「よしっ! 風呂は正義だ!」


 余程嬉しかったのか、片手を振り上げ意味のわからない宣言をするコルネリアの姿にルークの口から苦笑が零れた。




 家屋を出て三人は裏手に回る。月明かりの下でも足元は見えづらいが、魔術の灯りを燈すことで対処した。

 幸いというべきか、もともと宿泊場所として与えられた家屋は村はずれ。

 その裏側もただの荒れ地に過ぎなかった。此処であれば多少の事をしても村に迷惑をかけるということもないだろう。


「よし、それじゃあすぐに準備しろ!」


 もはや一刻一秒も惜しいといった様子のコルネリアに急かされて、ルークは必要な魔術式を構築する。

 手順はそれほど難しいものではない。以前、入学のために王都に向かう旅の際にも行ったことだ。

 あの若干粗暴ながらも面倒見の良い女冒険者とその仲間たちは元気にしているだろうか、と少しばかり思考が脇に逸れる。


「【掘岩地】」


 唱えるのは本来であれば岩床などを採掘するための魔術。それを今回は地面に向かって使い、風呂桶として使うのに適度な大きさの穴を掘る。


「【操構】」


 続けて唱えるのは触れた物質の形を整える魔術。大雑把に掘られた大地の穴の形を滑らかに整えていく。


「【硬土】」


 最後に唱えたのは地面を硬化させる魔術。この魔術でもって簡易的ではあるが、実用に耐える風呂桶が出来上がった。


「それじゃあ、次はお湯を――」

「ちょっとまったぁあああっ!」


 造り出した風呂桶に次は魔術でお湯を注ごうとしたルークにコルネリアから静止の声が上がる。


「どうかしたんですか、コリィ先輩?」

「ふふん、せっかくだから今回はこれを使うぞ」


 そう言ってコルネリアが懐から取り出したのは一見するとただの白銀の板だった。

 しかしルークはすぐにその正体に気づく。


「これ……ひょっとして術式具ですか?」

「正解だ! 今回の旅にあたってアタシ手製の術式具をいくつか持ってきたぞ!」


 自慢げに胸を張るコルネリアだが、どうしてその事前準備の手間をこちらへ回してくれなかったのだろうか。

 

「んじゃあ、クロエ。お前がこれを使え」

「……へ? お、俺ですか?」


 無造作に術式具を放り投げたコルネリアに対し、自分が指名されるとは思わなかったのか慌てるクロエ。


「馬鹿野郎、魔術適正のアタシたちじゃなく、騎士適性のお前が使うからこそ意味があるんだよ。武器を強化する要領で魔力を込めるだけでいいんだ。さっさとやれ」

「……じゃ、じゃあ」


 少しばかり不安な様子を見せていたクロエだが、コルネリアの言葉に背中を押され渡された術式具に魔力を込める。

 日頃から剣に魔力を通しているので、この程度であれば造作もない。


「……わっ! わわっ!?」

「うっし! 成功だ!」


 するとどうだろう。クロエの手にした術式具から水が溢れ、風呂桶にどんどん注がれていく。

 術式具を用いてとはいえ、自分が魔術を使ったことに感動するクロエと、自分の作品の完成度に満足するコルネリア。

 そんな二人の傍でルークは少し違うことを考えていた。


(術式具に刻まれていたのは水を生み出す魔術式。もしも量産できれば平民の生活水準は劇的に向上するな。……とはいえ、やっぱり輝晶鉱の希少性がネックになるけど)


 それと――


「コリィ先輩? この術式具は凄いと思うんですけど……今夜は水風呂に入るんですか?」

「……ああっ!? し、しまったぁあああああっ!!」


 ルークの疑問の声によって己の失敗に気づいたコルネリアの、少々間の抜けた絶叫が小屋の裏手に響き渡った。

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