32 先輩
術式具――希少な鉱物に魔術式を刻むことで創り出され、魔術の素養を持たない者でも魔力さえあれば魔術が使えるという極めて便利な道具である。
ただし様々な事情からこの道具の大量生産は見送られており、一般には全く普及していないのが実情だ。
そして当然のことながら、このエルセルド王立学院には術式具に関して学ぶ講義も存在するのだが――現在この講義を受けている者はたったの二名だけである。
「……遅いな、コリィ先輩」
「また何時ものように寝坊ですかね?」
その数少ない二名の生徒――ルークとリーシャは、講義室にてとある先輩がやって来るのを待っていた。
「――そういえばこの間の安息日はどうでした?」
「どうって?」
ただ待っているだけなのも手持無沙汰だったのか、リーシャがルークに質問する。
「こう、なんて言いますか……ドキドキだったりワクワクだったりするイベントはなかったのかなー、と」
「うーん」
腕を組んで考える。
先日の安息日。確かに色々と印象に残ることはあったものの、『ドキドキ』と言われても――
「――あっ」
「あったんですか!?」
「うん。貧民街に行ったら浮浪者に襲われた」
「……誰がそんなドキドキを求めましたか。というか何でそんな所に行ってるんですか?」
「まぁ、色々あってね……」
額に手を当て呆れた眼差しを向けるが、向けられた当人は首を傾げるばかりだ。
クロエに尋ねたときはぐらかされてしまったのだが、これは改めて訊き出さねばなるまい。
二人がそんな雑談で時間を潰していると――
「……うーす。来たぞー」
講義室の扉が開き、一人の女子生徒が入室してくる。
蜂蜜色の絹のようなウェーブした長髪に蒼い瞳。赤子のように瑞々しくも陶器のように白い肌。
触れれば折れそうな華奢な手足に小柄な体格の、まさに人形のような美少女だ――それぞれの部位だけ見れば。
「うげっ、お前ら、まーた来たのかよ?」
その小さな唇から飛び出すのは、外見に似つかわしくない乱暴な言葉。
まともに手入れも行っていないらしい金髪には所々寝癖が見て取れる。
更には彼女が着ている制服はサイズが合っていないらしく、裾が余っているう上に思いきり着崩されている。
なんというか、色々と台無しな少女だった。
「まぁ、そう言わないでくださいコリィ先輩」
「そうですよ。さあ、こちらへどうぞ」
「お、おお?」
そんな少女の邪険にした態度には慣れているのか一切構わず、阿吽の呼吸で少女を椅子に座らせる。
「――失礼します」
「はい、可愛くしましょうねー」
ルークは懐から櫛を取り出すと少女の豊かな金髪を丁寧に梳かし始め、リーシャは制服を整え始める。
初めは寝ぼけ眼でされるがままだった少女だが、作業が進むにつれその蒼い眼を険しくしていく。
「んっ、終わりです」
「ふふっ、可愛くなりましたね」
「お・ま・え・ら・は~~~っ!」
全ての作業が完了すると、そこには幼げな美少女が鎮座していた。
しかし一仕事終え満足げな二人とは対照的に、少女の様子はまさに怒髪天を衝くといった感じだ。
「アタシは先輩だぞ! 馬鹿にすんなー!!」
うがー! とばかり両手を振り上げて怒り出すが、その姿には恐怖よりも微笑ましさしか感じられない。
そう、このどうみてもルークよりも年下にしか見えない少女は、れっきとした一つ年上の先輩なのである。
名をコルネリア・レル・ニースという。
「そうは言っても女の子は身嗜みを整えるべきだと思うんです」
「僕もリーシャに賛成です」
「うぐぐぐぐ……!」
可愛い女の子が着飾るのが大好きなリーシャとしては、コルネリアの状態は到底見過ごせるものではない。
ルークとしてはそこまで拘るわけではないが、幼い頃から母に頼まれて姉の身嗜みを担当していた身として、コルネリアのだらしない恰好を見ているとどうにも落ち着かなくなってくるのだ。
「だいたい何でアタシが講義を受け待たなきゃなんないんだ!? アタシだってまだ学生だぞ!」
怒りのままに日頃からの不満も口にするコルネリアだが、二人はその言葉を聞き顔を見合わせる。
「それはまぁ、コリィ先輩が担当教師の方を追い出したからだとしか」
「ついでに生徒たちもほとんど追い出しましたよねー」
「ぐぬっ!?」
二人の言葉にぐうの音も出ないといった様子で頭を抱えるコルネリア。
確かにこの術式具の講義には本来であればきちんとした担当教師がいたのである。
それを質問攻めにし知識不足を挙げ連ね、挙げ句に辞職させてしまったのは彼女自身だ。
その後、年増の学院長に責任を押し付けられ、代理で講義を行うことを義務付けられた。
ならば――とばかりに講義を希望した生徒たちに一切容赦せず全力で講義を行い、大半を追い出すことに成功した。
これで自分は安泰。個人的研究に専念できる――と思いきや、忍耐強い二人の生徒が残ってしまっていたのだ。
「やっぱりお前らのせいじゃないか!?」
「はいはい、それより講義を始めてください」
「ちゃんと聞けー! アタシは先輩だぞ!!」
勿論二人に聞く気はなかった。
「あー、それじゃあ講義するぞー。……面倒だな、よし、お前ら復習だ。術式具がマイナーな理由を述べてみろー」
あからさまにやる気のないコルネリアの態度に苦笑しつつ、言われたことに答える。
「まず挙げられる理由としては材料不足ですね。術式を刻む材料となる輝晶鉱が極めて希少であり、代替となるものも発見されていません」
「うーし、その通りだ。おまけに輝晶鉱は他にも使い道があるもんだから、なかなか手に入らないんだよなー。次はリーシャなー」
高すぎて困ってるんだよなー、などとぼやきつつリーシャを指名するコルネリア。
「他の理由としては単純に技術不足ではないかと。魔術式を刻むための技術に加えて魔術式そのものへの理解も必要です」
「そうだな。正直専門の魔術士でもないと術式具作りは無理だよなー」
術式具を刻むには単純に魔術を使えるだけでは足りない。
刻む魔術が使えるのは当然だが、そこに魔術士の素質を持たない者でも使えるように術式を追加しなければならない。
最低でも既存の魔術をアレンジできる程度の才能が必要とされるのが、術式具の開発という作業なのだ。
「――んで、なによりも大きい理由は下らない馬鹿どもに研究が邪魔されてるってことなんだよな……!」
そして術式具が進歩しない最後の理由をコルネリアが苛立ち紛れに吐き捨てた。
「既得権益にしがみつく屑共のせいで術式具の研究自体が廃れてる始末だ。余計な真似すんなー! アタシに研究させろー!! 予算よこせー!」
最後は完全に本人の願望である。とはいえ概ね彼女の言っていることは正しい。
魔術士の優位性とは即ち魔術が使えることである。
仮に術式具が普及し一般人でも魔術が使えるようになれば、相対的に魔術士の立場は下がる。
――少なくともその可能性がある。
そしてその『可能性』だけを恐れる一定層によって術式具の研究には強い制限が設けられていた。
実際のところはそう単純な話でもない。
確かに一般人にも魔術が使用可能になれば、必然そういった分野での魔術士の仕事は減るだろう。
しかし術式具で可能なのは予め刻まれた魔術式のみ。
状況に応じて多面的に魔術が使える魔術士の価値が失われるわけではないのだ。
「あーもうっ! 喋ってたら腹が立ってきた。お前ら、今日はビシバシいくからな。覚悟しろよ!」
「はい、よろしくお願いします、コリィ先輩」
(怒っているところも可愛らしいですねー)
真面目に講義を受けるルークと、心中でコルネリアの可愛らしさを愛で陶然となるリーシャ。
そんな二人へのコルネリアの講義が幕を開けた。
◇ ◇ ◇
「……ふぅ」
講義の終了後、思わず肩を回しため息をつく。
コルネリアの講義はさすがと言うべきか、実に濃密で有意義なものだった。
もっともそれはこの場にいるのがルークとリーシャだからであって、他の者ではあまりに専門的過ぎてついていけなかっただろう。
初回の講義で自分たち以外の生徒が脱落したことも然もありなんと言ったところか。
「うおーい、ルーク。ちょっと訊きたいことがあるんだけど……いいか?」
そんなふうに思っているとコルネリアが声をかけてくる。
術式具以外の事には無頓着な彼女が珍しいこともあるものだ。
「お前さー、確か学院長のお気に入りだったよな?」
「……お気に入りかどうかはともかく、お世話になっていることは事実です」
なんとなくそれを認めてしまうのは危険な気がしたルークは曖昧に言葉を濁した。
しかしその返事を聞いたコルネリアは二ヘラっと笑うと、
「そっか、そっかー。じゃあいいや、またなー」
と言葉を残し講義室から去っていった。
「……なんなんだろう?」
残されたルークの口から疑問が零れる。
どうにも嫌な予感が拭えない。ひょっとしたら回答の仕方を間違ったのかもしれない。




