31 安息日6
「ふぃー、やれやれだぜ」
背後を振り返り追手の姿がないことを確認すると、カルロスは安堵のため息をついた。
全く冗談ではない。あんな連中がお供についているなんて聞いていない。
事前に知っていればもう少し策を練って挑んだというのに。
内心で愚痴りつつカルロスは歩く。目的地は予め決めておいた集合場所だ。
仕事自体は失敗だったが、幸い前金だけでも十分と言える稼ぎだ。
あの二人の事で難癖をつければ、もう少し金をふんだくれるかもしれない――そんな捕らぬ狸の皮算用をしつつ進む彼の目に集合場所が見えてくる。
自分は念のため遠回りをして来たので、他の連中はもう集まっているかもしれない。
――そんなふうに考えていたカルロスを待ち受けていたのは、彼が想像だにしない光景だった。
「……おいおい、どういうことだっての?」
集合場所のその光景を前にしたカルロスは呆然と立ち尽くす。
別に目の前が死体で埋め尽くされているわけではなく、破壊され尽くしていたというわけでもない。
いたって静かで平穏な場所だ。
そう、静かなのだ――なにしろ人っ子一人いないのだから。
(どういうことだ? 指定した集合場所は確かにこの場所だったはずだ。まさか……全員あの餓鬼共に狩られたってのか?)
心中に浮かんだ想像を首を振って否定する。
残った手下たちはバラバラに逃げた筈だ。いくら何でも全員が捕らえられるなどあり得ない。
――だが、ならば何故一人もこの場所にいない? 遠回りした分、自分は遅れて到着したはずなのだ。
(まさかあいつら全員で俺を裏切ったのか? ――いや、今までの仕事で貯えた稼ぎの隠し場所は俺しか知らないはず……)
様々な可能性がカルロスの頭を過る。
しかし何れにせよこの場所に長く留まるのは危険だと判断したのか、カルロスは踵を返しその場を後にしようとする。
そんな彼の背に――酷く平坦な声がかけられた。
「――何処に行かれるのですか?」
「――んなッ!?」
カルロスの顔が驚愕に歪む。
いなかった。確かにその場所には誰もいなかった筈なのだ。
にもかかわらず――振り返ったカルロスの視界には一人の女が佇んでいた。
「……おいおい、お嬢さんよ。いったい何処に隠れてたんだい?」
「――私は始めから此処におりましたが」
嘘だ――とは言えなかった。
烏の濡れ羽のような艶やかな黒髪に切れ長の黒い瞳。目立たない地味な服装に身を包んだその女はとても整った顔立ちをしていた。
人形のような――といった形容詞が似つかわしい容貌で、感情の見通せない無表情もその美貌には相応しいものだった。
真正面から見れば見惚れそうなほどの非人間的な美しさ――だが薄いのだ、どうしようもなく。
それほどの美貌だというのに、彼女から受ける印象は酷く薄い。
少し目を離せばあっさりと見失ってしまいそうなほどに、その女は存在感に欠けていた。
そんな幽鬼のような女にカルロスは問いかける。
「ここにゃあ、俺の手下が集まってるはずだったんだが……。お嬢さん、何かご存じかい?」
「――それを貴方が知ったところで意味はないかと」
「――ッ!」
その返答を聞いた瞬間、カルロスは身を翻し走り出した。
――やばい。何かわからないが絶対にやばい!
己の後ろにいるのは絶対に関わってはならない手合い
彼の背筋を走ったその危機感は正しかった――だが遅すぎたのだ。
この場所に辿り着く前に彼はそれに気が付くべきだった。
「――ガっ!? ……な、なにが……?」
唐突にカルロスは足を縺れさせ、走っていた勢いのままに壁に音を立ててぶつかる。
地面に倒れた彼は必死で立ち上がろうとするが、手足が痺れ身動きが取れない。
「――ひッ!?」
ふと己に影が差すのを感じ、どうにか首を動かし目線を上げると――そこには氷のように冷たい眼をした女が黙ってカルロスを見下ろしていた。
◇ ◇ ◇
貧民街から東方区を抜け中央区へと辿り着いた頃には、陽はゆっくりと山稜へ隠れ、空は茜色に染まっていた。
あれほど賑わっていた街にも人の姿は疎らとなり、残った人々もまた家路を急いでいるようだ。
きっと彼らはこれから暖かい家に帰り、家族と夕食を共にするのだろう。
――普段であれば平和な日常を象徴するような光景だが、貧民街の情景を目の当たりにした今はどこか寂寥感を感じずにはいられなかった。
「本当に衛士を呼ばなくてよかったの?」
「うん、問題ないよ。ボクの我が儘で危険な目に会わせちゃってごめんね」
ルークの問いにユリアは首を振って答えながら謝罪の言葉を口にする。
「まあ、それは別にいいけどよ……」
何か問いたげな様子を見せるクロエだが、視線を向けられた少女は苦笑するばかりだ。
――少し悪いことをしたとは思うが、さすがに事情を隈なく話すことはできない。となれば――。
ふとユリアの脳裏にちょっとした悪戯が思いつく。
彼らにお礼をしたうえで今の状況を誤魔化せる。しかも自分も楽しめるという一石三鳥の素晴らしい思い付きだ。
「そうだね、今日一日付き合ってもらったことだし……何かお礼をしないとね?」
「こっちも楽しかったから変に畏まる必要はないけど……」
「いやいや、そう言わず是非とも受け取ってくれたまえ」
楽しげに笑ったユリアはルークの傍に近づく。その動きはとても自然で警戒心を抱かせないものだ。
彼女はルークの肩に手を置くと――目を細めてクロエを見た。
その視線にはなんとなく見覚えがある。
猫が鼠を甚振るような――というかリーシャが稀に自分に向ける視線だ。
――凄く嫌な予感がする。
「ちょっと待っ――」
危機感に駆られたクロエは咄嗟に手を伸ばすも――その動きは少しばかり遅かった。
「――んっ」
「……へっ?」
「――なあっ!?」
頬に少しだけ湿りけを帯びた柔らかい感触。
振り向けば視界いっぱいに広がるユリアの悪戯げな顔。
そこでどうにかユリアが自分に何をしたのか理解するも、思考が上手く働かず追いつかない。
「はい、クロエもね」
「はっ? ちょっ、ええ!?」
続けてなにやらクロエの焦ったような声が聞こえた気がしたが、本能がそちらには目を向けない方が良いと全力で訴えていた。
「それじゃあルークにクロエ、また会えると良いね」
片目を瞑って軽く手を振ったユリアは、呆然とする二人に背を向け足取りも軽やかに去っていく。
残された二人のうち、ルークは半ば無意識に手を振って見送るも――
「――痛ったたたたたっ!?」
頬に感じた感触に思わず悲鳴を上げる。
ただし今度は頬を抓まれ引っ張られたことによる痛みの感触だが。
「――へらへらすんな」
「え、えっと……ごめんなさい?」
何故だか見るからに機嫌を悪くしたクロエがこちらを睨んでいた。
とりあえず謝るも、原因がわからないので語尾が疑問形になってしまう。
するとクロエは鼻を鳴らし、ルークに背を向け学院へと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよクロエ!」
慌てて彼女を追いかけるルークだが、クロエの機嫌が直るまで中々に気まずい思いをすることとなったのだった。
好意一割、お礼二割、揶揄い七割の配分となります。
完全に愉快犯ですね。




