27 安息日2
平民の多くが居住する東方区を通り、南方区の店舗群を四人で見て回る。
少なくとも当初リーシャがそう言っていたことを、クロエは確かに覚えている。
しかし彼女が現在置かれている状況はそれとは異なるものだった。
「二人ともどこに行ったのかな?」
クロエは逸れた二人を探して、周囲を見回しながら歩くルークの横顔をそっと覗き視る。
茶色に近い金髪に、幼さを残しながらも整った容貌を持つ少年だ。
少々表情に乏しく、言葉足らずで誤解されることもあるが、本当は友人想いだと知っている。
「そんなに遠くには行ってないと思うんだけど……」
彼と出会ったのは王立学院の入学前日。性質の悪い貴族に絡まれていたところを助けてもらった。
幼馴染みの少女にはなにか誤解されているようだが、さすがにそれだけで恋愛感情を抱いたりすることはない。
「クロエはどう思う?」
ただ――嬉しかったのは確かだ。
母がああなってしまい、自分が男装をするようになってからは、周囲から向けられる感情は嘲笑と憐憫ばかりだった。
だから友達になってほしいと言われても突き放すことができなかった。
「クロエ?」
新しい友人と過ごす学院生活は、入学前に想像していたよりもずっと楽しかった。
――だからグレッグたちの介入でそれが壊れそうになったときは本気で怒ったし、そのグレッグにルークが勝った時は信じられなかった。
そしてそれから暫くして周囲の態度が明らかに変わった。
好意的になったというわけではないが、露骨な嫌がらせは行われなくなったのだ。原因はまだわからない。
「クロエー?」
そして気づけば自分の事情を言い出せなくなっていた。
もとから吹聴するような話ではないのだが、それ以上に今になって男装のことを言うのにも躊躇ってしまう。
せっかく築けたこの居心地の良い関係を失うのが怖いのだ。だからきっとこの好意の感情は友情なのだろう。
自分はそんなに簡単に男性に惚れるような軽薄な女ではない。ないったらない。
「ク・ロ・エ!」
「……へ? ……わきゃあっ!?」
強く自分の名前を呼ばれたことで思考を中断されたクロエは、すぐ目の前にルークの顔があることに気がつき、思わず愉快な悲鳴を上げてしまった。
「……わきゃあ?」
「な、なんでもない! 気のせいっ、気のせいだから!」
「はあ……」
ルークはクロエの悲鳴に少々首を傾げていたが、気のせいという言葉を素直に受け止めたらしい。
「それでどうしようか? リーシャたちの居場所に心当たりはある?」
「……二人のことならそれほど心配しなくとも大丈夫だろう。最悪でも学院に戻ればいい」
「そうかな?」
というよりも、そもそもこの状況自体に作為を感じずにはいられない。
南方区に入った途端に、人混みに紛れるように彼女たちは姿を消してしまったのだ。
クロエの脳裏には悪戯っぽく片目を瞑るリーシャの顔が浮かんでいた。
(正直こんなことされても困るんだけど……)
偶然に逸れてしまった――少なくとも彼はそう認識している――二人を探すルークと、間をもて余すクロエ。
「そ、そういやリーシャが言っていたけど、新しい講義を受け始めたんだっけ?」
「ああ、うん。講義の内容はかなり面白いよ。ちょっと変わった先輩がいるけどね」
その『先輩』とやらを思い出したのか苦笑するルークに対し、クロエは心中でかなり焦っていた。
どうにもそこから次の話題へと繋げられる言葉が思いつかないのだ。
表面上は平静を保ちつつも内心で焦りを押さえられないクロエと、そんな彼女の状態に気づかず逸れた友人二人を探すルーク。
様々な店舗が並び、露店商が声を張り上げる南方区を歩く二人に変化をもたらしたのは、唐突に彼らに声をかけた第三者の存在だった。
「――そこの仲良さげなお二人さん。よかったらボクの頼みを聞いてはくれないかな?」
「……へ?」
どこか芝居がかった声に足を止めた二人が視線を向けた先には、壁を背にして一つ二つ年上と思われる人物が片手を振っていた。
その人物は艶やかな蒼髪にアメジスト色の瞳。どこか悪戯気な様子が猫を連想させる少女だった。
彼女の服装は吊りズボンに清潔そうなジャケット、頭にはハンチング帽を被るという少年のような格好だったが、ジャケットの上からは確かに二つの膨らみが窺える。
「――いきなり何を言ってるんだ?」
「うーん、そう睨まないでほしいな。怖くて震えてしまうから」
軽い口調でそんなことを言いながら、クロエの眼光に怯むこともなく、むしろ愉しげな様子で近づいてくる。
「ボクはこの辺りの地理には疎くてさ。街を色々と見て回りたいんだけど、誰か案内してくれそうな相手を探しているところなんだ」
割と強めに威嚇したつもりだったのだが、まるで怯む様子のない少女にクロエは逆に気圧されてしまった。
「……どうする」
「僕は構わないけど……クロエは?」
ルークに耳打ちして返された返事にクロエは考える。
リーシャたちに関してはさほど気にする必要はないだろう。どうせ今の状況は十中八九リーシャの企みなのだ。
適当なところで合流してくるか、もしくは絶対にこちらからは見つけられないように行動しているに決まっているのだ。
ではこの謎の少女に頼まれるまま街を案内するというのはどうだろうか。
見たところ一筋縄ではいきそうにないタイプだが、こちらに悪意があるようにも見えない。
適性の持ち主は見かけだけでは判断できないから何とも言えないが、仮にこちらに対して悪意があったとしてもルークと二人ならば突破は可能だろう。
そもそも初めからおかしな場所に近づかなければいいだけの話である。
――というかルークと二人きりだと間が持たないので、誰か他にいてくれるなら助かるのも事実なのだ。
「――わかった。こっちも人を探しているから、そのついででいいのなら」
「うん、それで十分だよ」
妙に人好きのする警戒心の薄れる笑顔で少女は頷く。
「僕はルーク、彼はクロエ。君のことは何て呼べばいいかな?」
「ん? そうだねー。……とりあえずユリアとでも名乗っておこうかな?」
「……偽名にしてはあからさま過ぎないか?」
ジト目で突っ込むクロエに、アハハと帽子を脱ぎ髪をかき上げながら少女――ユリアを声を潜めて答える。
「――実はこう見えて口を憚るお家の出なんだよ。だから偽名も当然と言うことでよろしく」
「……それ、口に出した時点で意味なくないかな?」
ルークの疑問にユリアと名乗った少女は「それもそうだね」と舌を出して笑った。




