25 アルディラの提案
二章です。
じっと構えを取り目の前の女性を睨み付ける。
一見するとその女性は到底強者のようには見えない。
少々過ぎた眼の鋭さと攻撃的な笑みのせいで無意味にドスが効いてしまっているが、抜群のスタイルと美貌を誇る野性的な美女と言えるだろう。
酒場にでも繰り出せば声をかけてくる男は絶えないに違いない。
――だが自分は知っている。これはそんな生易しい相手ではないことを。
油断すれば一瞬で喉を噛み千切られるということを。
相手との距離は十分離れている。
此処から速効性の攻系魔術でもって仕留める――そう決意した彼は、その為の魔術式を構築し始め――
◇ ◇ ◇
学院長の鶴の一声から始まった模擬戦から数ヶ月、横暴な貴族生徒相手に完勝したルークたちは一躍学院のヒーローに――なってはいなかった。
長く根付いた価値観や体制というものは個人の行動でそうそう変化するものではない。
仮に何か大きな理想や野望を描くのであれば、確りとした事前準備と大勢の協力が必要不可欠だろう。
――もちろんその場合でも相応の反発や混乱は免れないだろうが。
あの模擬戦を経て変化したことをルークたちの周辺で挙げていくならば、まずは平民生徒たち。
彼らは貴族生徒に喧嘩を売ったあげく、さらには勝ってしまったルークたちを避けるようになった。
彼らと親しくすることで貴族生徒から不興を買うことを恐れたのである。
ただし向上心は上がったらしく、より講義に真摯に取り組むようになった。
次に貴族生徒たち。
模擬戦が終わった当初はあからさまな敵意がルークたちに向けられ、貴族の品位を貶めたとしてグレッグたちを嘲笑する者たちもいた。
しかし暫くするとそうした風潮は波が引くように消え、代わりに好奇と怖れの視線がルークたちに向けられるようになった――原因は不明である。
そうした変化と共にグレッグたちの立場は持ち直し、クロエに対する露骨な嫌がらせも鳴りを潜めた。
また彼らも危機感を抱いたのか、講義に積極的に参加する生徒も若干増えた。
そしてそうした変化の切っ掛けとなったルーク・ラグリーズが何をしているかと言えば――
「――ゴッ!?」
とある女性の引き締まった長い足で蹴り飛ばされ、現在空中を滑空中である。
「――がはッ!?」
そのまま壁に叩きつけられたルークの口から空気が零れ落ち、力なく地面に倒れ伏す。
「魔術式構築の際に隙を作るな。相手の一挙手一投足から目を離さず、あらゆる状況に対応しろ。わかったらさっさと立て」
熟練の魔術士でも困難な所業を当然のように要求する女性――エルセルド王立学院学院長アルディラ・ネル・ルミナスは艶然と楽しげに笑い命じる。
――此処は学院の一区画に存在するアルディラが個人的に所有する敷地内。
その中でもさらに人目に触れない地下修練場。
現在この場所にいるのは所有者であるアルディラと招かれたルークだけである。
模擬戦から数日して、アルディラから呼び出しを受けたルークはこの修練場にやって来た。
何事かと身構えていれば「学院長直々の指導だ、喜べ」と言われ、模擬戦での勝利の余韻などあっさりと吹っ飛ぶほどに叩きのめされた。
「ふんっ、……私の言葉を無視するとは言い度胸だ。――【迅雷】」
「――ッ!?」
地面に倒れるルークに容赦なくアルディラから魔術が放たれ、次の瞬間、意識を失っていたはずのルークが泡を食って飛び起きる。
「こ、殺す気ですか――っ!?」
体勢を立て直し抗議の声を上げるルークの目に飛び込んできたのは、すぐ傍に迫るアルディラの姿。
とっさに拳打を放つも、巧みに捌かれ懐に入られる。
「――グッ!?」
そのまま顎と胸を同時にを打ち抜かれ、二、三歩後退るとそのまま背中から倒れる。
今度は演技ではない。視界はぐるぐると回り、吐き気がこみ上げてくる。
「死んだふりなどつまらん真似をするからだ。馬鹿め」
魔術士と騎士、魔力を扱う適性は基本的にこの二つに分けられる。しかし何事にも例外は付き物と言うもので、稀にその両方に対して適性を持つ者もいる。
アルディラはそうした希少な適性の持ち主の一人だ。
とはいえ、そうした素質にも偏りというものはあり、アルディラの場合は魔術適性に秀でている。
騎士適性の方は本職の上位層には敵わないだろう――それでも並みの騎士程度であれば凌駕しているあたり、実に化け物染みているが。
そんな学院長直々の「指導」である。人によっては諸手を挙げて歓迎する類だろう。
実際に毎回容易くあしらわれるルークには自覚がなかったが、その実力は着実に磨かれていた。
――どちらかと言えば研究職志望の彼にとっては不本意かもしれないが。
「まあ、身体の使い方はましになってきたな」
「……そーですか」
大の字に寝転がったままのルークの傍に腰を下ろし、体をほぐす様に背を伸ばすアルディラ。
彼女の豊かな紅髪と大きな胸が動きに合わせ揺れるが、その光景を見ることができる幸運な少年は、目を瞑って呼吸を整えるのに精一杯だった。
「ところで次の安息日はどうするつもりだ? なんなら続きをするか?」
「生憎クロエたちと街に出かけることになっています!」
毎回毎回、実に愉しげに自分を叩きのめす様子から、実は学院長の趣味に付き合わされているだけなのでは、と疑問を抱くルークは即座に答えた。
教会によって定められた週に一度の安息日。この日は可能な範囲で仕事を休むことが求められる。
もちろん休むことなどできない仕事もあるし、安息日だからこそ働かなければならない職種もあるので義務ではない。
ただし、王立学院ではこの日は講義は休みとなっている。
「ふん、デートか……餓鬼が色気づいたものだな」
「……? 男三人に女一人なので、デートにはならないのでは?」
とある女騎士団長との一件もあり、少々機嫌を悪くしたアルディラに、特に含むところなくルークは返す。
そんな少年に凄く残念なものを見るような眼差しをアルディラは送るが、未だに目を瞑ったままの少年は気が付かない。
「あー、そうだな。お前はそういう奴だ」
「何ですか、それは……」
この少年のことはここ数カ月である程度わかっている。
――他人に興味がないわけでも気遣いができないわけでもない。
思想や思考は年齢に似合わない大人びたものを感じさせる。しかし同時に情緒面で酷く幼い部分がある。
はっきり言ってバランスが悪く、どうにも歪な精神性だ。だからこそ面白いとも言えるが。
(この年頃なら異性に興味を持つ方が自然だろうに……まったく)
自分の姿態を前にまるで狼狽える様子を見せない少年に少しばかり不満を持つ。
こう見えても女としての魅力にはそれなりに自信があったのだが――。
「話は変わるが、確かお前には姉がいたな」
「あ、はい。今は学院を卒業して騎士団に勤めています」
アルディラは早々に話題を切り替えることにした。どのみち困るのは自分ではないのだ。
むしろこちらの方が彼女にとっては本題である。
「ああ、良く知っているとも。在学中は随分と世話を焼かされたからな」
「……ア、ハハ……ハハ」
形の良い唇を歪め凄みのある笑みを浮かべたアルディラに、ルークは乾いた笑いを零しながら目を逸らす。
なんとなく言いたいことは理解できたが、どう考えても藪蛇なので言及はしない。
アルディラはその笑みを悪戯げなものへと変え、揶揄うように爆弾を放る。
「どうだ? なんなら私のことを姉と呼んでみるか?」
「嫌です」
――爆弾は見事に打ち返された。
「……別に恥ずかしがる必要はないぞ?」
「絶対嫌です」
即答だった。断言していた。交渉の余地は微塵もなかった。
「……どうしてもか?」
「はい」
「そうか、……そうか……」
ルークにとって姉と呼べる相手は唯一人だけである。
目の前で何故かしょんぼりしている人物を姉と呼ぶことなどあり得ない。
――その日の夜、人知れずアルディラの晩酌の量がかなり増えた。
わかりにくいかもしれませんが、最初の部分は蹴り飛ばされる直前の視点です。