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人外適応管理局 ―ようこそ、人と妖が暮らす街へ―  作者: 日旅こつめ


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触れられる距離

「さて」

 白澤さんの声が、静かに落ちる。

 空気が少しだけ変わった。

「別れの挨拶はまだ早い」

 白澤さんは暁を見る。

「まずは、お前が無事に隠り世へ行ける状態にする」

「……ふういん?」

「ああ」

 白澤さんの視線が局長へ向かう。

「瀬尾くん」

「はい」

 白澤さんは暁の妖気をもう一度確かめるように目を細めた。

「今の状態なら問題ない。いつでも始められる」

「分かりました」

 局長が静かに頷く。

 千年前。

 朧を隠り世へ送る前にも、その力を抑えるための封印が施されたと聞いている。

 けれど。

 きっと、あの時とは違う。

 今ここにいる暁は。

 ただ誰かに決められたまま、ここに座っているわけではない。

 自分で考えて。

 自分の気持ちを確かめて。

 そして、自分の意思でその道を受け入れた。

 局長が、暁の前へ膝をついた。

「暁」

「……うん」

「これから、君の力を少しだけ抑える」

 暁は胸元へ手を当てる。

「……いたい?」

「少しだけ、苦しいかもしれない」

「そっか」

 小さく息を吸って。

 暁は、まっすぐ局長を見る。

「せおが、やる?」

「うん」

「……じゃあ、だいじょうぶ」

 その言葉に、局長の表情がわずかに揺れた。

「暁」

「おねがいします」

 小さな声だった。

 けれど。

 その言葉は、はっきりとしていた。

 局長はしばらく暁を見つめたあと。

「……分かった」

 静かに手を伸ばした。

 その手が、暁の胸元へそっと触れる。

「少しだけ、我慢してね」

「……うん」

 局長が目を閉じた。

 次の瞬間。

 暁の周囲を漂っていた妖気が、かすかに揺れる。

「……っ」

 暁の身体が小さく強張った。

「暁」

「だいじょうぶ……」

 胸元を押さえながら、それでも暁は逃げなかった。

 局長の手のひらから、淡い光が滲む。

 強いものではない。

 暗い部屋で灯した、小さな明かりのような光だった。

 それがゆっくりと、暁の身体へ染み込んでいく。

 これまで暁の内側から溢れ出していた妖気が、少しずつ静まっていく。

 消えたわけではない。

 広がろうとしていた力が、ゆっくりと内側へ収められていった。

「……くるしい?」

 局長が尋ねる。

「ちょっと……」

「もう少しだから」

「……うん」

 暁は目を閉じ、局長の服をぎゅっと掴んだ。

 しばらくして。

 淡い光が、胸元で一度だけ小さく瞬いた。

 そして。

 ゆっくりと消えていく。

 局長が手を離した。

「……終わったよ」

 暁が恐る恐る目を開ける。

「おわった?」

「ああ」

 白澤さんが暁の妖気を確かめるように、しばらくその姿を見つめる。

「……問題ない」

 短くそう言って、頷いた。

「きれいに収まっている」

 暁が自分の胸元へ手を置く。

「ちから……なくなった?」

「なくなったわけじゃないよ」

 局長が答える。

「少し、眠ってもらっただけ」

「……ねてる?」

「そう」

 暁は胸元をじっと見つめてから。

「そっか」

 小さく笑った。

「……さっきまでより、ずっと穏やかです」

 サトリさんが静かに言った。

 その声に、暁が顔を上げる。

「サトリ?」

「はい」

 サトリさんはしばらく暁を見つめていた。

 それから。

 ゆっくりと、一歩前へ出る。

 今までなら、それ以上近づくことはなかった。

 暁の妖気に影響を受けないように。

 いつも少し離れたところから、見守っていた。

 けれど今日は。

 もう一歩。

 サトリさんが暁へ近づく。

「……サトリ?」

 暁が不思議そうに首を傾げる。

「大丈夫そうです」

 サトリさんはそう言って、小さく笑った。

 封印された暁の妖気は、さっきまでとは比べものにならないほど静かだった。

 そして。

 暁の前へ手を差し出す。

「暁ちゃん」

「……?」

「手を、握ってもいいですか?」

 暁の目が少しだけ大きくなった。

 差し出された手を見る。

 それから、自分の手を見て。

「……いいの?」

「はい」

 サトリさんは笑った。

「今なら、大丈夫です」

 暁は少しだけ迷ってから。

 小さな手を伸ばした。

 そっと。

 サトリさんの手に触れる。

「……」

 何も起こらなかった。

 妖気が乱れることも。

 サトリさんが苦しそうにすることもない。

 ただ。

 二人の手が、静かに重なる。

「……あったかい」

 暁が呟いた。

 「暁ちゃんも、あったかいですよ」

「ほんとう?」

「はい」

 サトリさんの目が、わずかに潤んだように見えた。

 けれど、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

「ずっと、こうしてみたかったんです」

 暁がサトリさんを見る。

「て、つなぐの?」

「はい」

「……わたしも」

 そう言って。

 暁はサトリさんの手を、ぎゅっと握った。

 その様子を見ていた白乃さんと初音さんも、ゆっくりと暁のそばへ歩み寄る。

「私たちも、もう大丈夫そうね」

 白乃さんがそう言って笑う。

 暁が顔を上げた。

「しろも?」

「ええ」

「はつねも?」

「もちろん」

 初音さんも笑って、暁のそばにしゃがみ込む。

 いつもなら、近づきすぎないように気を配っていた。

 けれど今は。

 暁の周りに、みんながいる。

 暁は少し驚いたように辺りを見回して。

 やがて、嬉しそうに笑った。

「……みんな、ちかい」

「そうですね」

 サトリさんが、握った手を少しだけ強くする。

「やっとです」

「……うん」

 暁もその手を握り返した。

 けれど。

 こうしていられる時間は、そう長くない。

 封印が安定しているうちに。

 そして、暁が再び人の負の感情を取り込み始める前に。

 今夜。

 暁は、隠り世へ渡ることになっていた。

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