第13話 リアムの本気の求愛
あの雨の日から、数日が経った。
あの日、リアム様の必死の爆走で救護所へ担ぎ込まれた私は、診察にあたった医師に『おそらく、なにか強いストレスによる重度の胃炎と精神的疲労でしょうな。何か悩んでいることでも?』と尋ねられ、「何もないです!!」と、首がもげそうなほど激しく首を横に振った。
その結果、医師もそれ以上は深く追及せず、診断は『胃炎』ということになった。日頃から胃薬を欠かさず飲んでいる私に、さらに胃薬が追加されるという、なんとも皮肉な診断結果である。そのうえ、数日間の安静まで言い渡された。
そして今日、胃の調子もようやく落ち着き、女官としての勤務に復帰した。仕事を終えて宿舎に戻った私のもとには、小さな箱が一つ届いていた。
差出人は、リアム様だ。
箱を開けると、そこにはこれまで見たこともないほど美しく、繊細な装飾が施された小さな薬瓶が入っていた。王宮の御殿医が特別に調合した高級胃薬らしい。そして、その傍らには一枚のカードが添えられていた。
『体調は戻っただろうか。今晩、王宮の南庭園で待っている。大切な話がある。来なければ、まだ体調が悪いものと判断し、部屋まで出向く』
(……相変わらず! どうしてこの人の誘い文句は、毎回ちょっとした脅迫状なのよ!)
最後の文言に引きつった笑いを浮かべつつも、私は重い腰を上げた。
あの日、小屋で見せたリアム様の必死な顔。そして、彼の全身から溢れ出ていたあの尋常ではない熱。思い出すだけで、胸の奥がギュッと甘く疼く。
私はショールを羽織り、月明かりが照らす王宮の南庭園へと向かった。
◇
庭園は、夜風に揺れる花々の甘い香りに満ちていた。咲き誇る薔薇のアーチの向こうに、月の光を浴びて佇む人影があった。
透き通るような銀髪に、吸い込まれそうな紫の瞳。
仕事を終えたばかりなのだろう、まだ騎士服を纏ったリアム様が、静かに私を振り返る。その神々しいまでの美貌に、私の心臓が大きく跳ね上がった。
「やあ、クラリッサ。こんばんは。来てくれてありがとう」
「こんばんは……あの、リアム様。お呼び出しとは一体……」
私が数歩手前で足を止めると、リアム様は静かな足取りでこちらへと歩み寄ってきた。
いつもなら過剰な圧に気圧されて後ろへ下がってしまうところだが、今夜の彼の瞳には、今までのような冷徹さも、社交辞令のような胡散臭さもなかった。
ただ、その紫の瞳には、見たことのない熱と強い意志が宿っていた。
「……体調は、もう大丈夫なのか?」
「え……? はい。おかげさまで、もうすっかり」
「そうか……よかった」
リアム様は、心底安堵したように小さく息を吐いた。そして私の目の前で足を止めると、そっと私の右手を取った。
「……まず、謝らなければならない」
手袋に覆われていない彼の手から、直接体温が伝わってくる。
(キャーッ! 生身のリアム様の体温! ダメ、もうダメかもしれない! 鼻血が出そう!)
「僕はずっと、愚かだった。君が僕を恐れ、胃を痛めていた理由に、何一つ気づいていなかった」
「え……?」
「毎月送っていた花束も、君への態度も、すべて『完璧な婚約者』としての義務だと自分に言い聞かせていた。……だが、違ったんだ」
リアム様が、ゆっくりと膝をついた。
あの『視線だけで妊娠する』と噂されるほどの魅惑の美貌を持つ第一騎士団副団長が、月明かりの下、私を見上げる形で片膝をついている。
(なんですの! 美形が、下から見上げる目線! いったい何のご褒美!? ああ、麗しい! 生きてて良かった!)
「僕は、君を『友人チャールズの妹』だから大切にしていたわけじゃない。君の母上に『ゴリ押しされた婚約者』だからでもない。……クラリッサ、君だから好きなんだ」
「っ……!?」
息が止まった。
胸の奥が、ドクンと激しく打ち鳴らされる。落ち着いたはずの胃が、ギュッと収縮した。
「君が他の男と笑っていれば胸の奥が焼けるように苦しくなり、君が離れていこうとすれば狂いそうになる。君が可憐で、愛おしくて、他の誰の目にも触れさせたくない……。クラリッサ、僕の心を満たしていたのは義務感などではなく、浅ましくも強欲な恋心だった。僕は君を、一人の女性として……愛している」
「リ、リアム……様……!?」
迷いのない、まっすぐな告白。
これまでの『すれ違い』のすべてを吹き飛ばす、本気の言葉だった。
私の胸に、溢れんばかりの歓喜と甘い痛みが押し寄せる。彼が私を好きでいてくれた。私はずっと、彼の特別な存在だったのだ。
――だが、本当の「試練」はここからだった。
「……だからね、クラリッサ」
自分の恋心を完全に自覚し、『覚醒』した男の破壊力は、私の想像を遥かに絶するものだった。
リアム様は膝をついたまま、私の手にそっと唇を寄せた。――チュッ、と微かな音を立てて落とされた熱い口づけ。
そして、彼はゆっくりと立ち上がると、片手で私の腰を引き寄せ、気づけば逃げ場のないほどの至近距離で、私は抱きすくめられていた。
「ひゃいっ!?」
「もう、手加減するのはやめたんだ」
耳元で囁かれる、極上に甘く、低く響く大好きな声。
彼の紫の瞳が、獲物を狙う肉食獣のように妖しく艶やかに揺れている。これまで無自覚に撒き散らしていたフェロモンとは違う。今目の前にいるのは、明確な意図を持って私を落としにかかっている『最高に魅力的な男』だった。
「今まで苦しませた分、僕の愛のすべてを君に注ぐよ。……覚悟してね、僕の可愛いクラリッサ」
至近距離で見つめられる、国宝級の美貌。すっと細められた目元から溢れ出る、甘く濃厚な色気。彼の吐息が私の頬を撫で、その手がゆっくりと私の首筋に触れる。
(あ、あ、あ……あかん!! これあかんやつ!!)
ドクドクドクドクッ!! と、私の心臓が未だかつてない暴走を始めた。今までの『胃痛』とは完全に種類が違う。
胸がキュンキュンしすぎて、甘すぎて、トキメキの許容範囲を限界突破しているのだ。顔が沸騰したように熱くなり、耳の奥で血の巡る音が爆音で響く。
「り、リアム様……近……近いです……っ!」
「ダメかい? これくらい、婚約者なら当然の触れ合いだろう?」
リアム様は魅惑的な微笑みを深めると、さらに顔を近づけてきた。整いすぎた鼻先が、私の鼻先に触れそうなほどの距離。彼の甘い香りが脳を痺れさせる。
「君のその赤い顔も、潤んだ瞳も……たまらなく愛おしい。もっと僕を見てほしい」
「うぐっ……! 胸が……胸が破裂する……っ!」
「胸? 胃ではなくてかい?」
「心臓です! 心臓がもたないんですーッ!!」
私はたまらずリアム様の胸を両手で力任せに押し返した。
だが、鍛え上げられた胸板はピクリとも動かない。それどころか、リアム様は嬉しそうに目を細め、私の指に自身の指を絡めてきた。恋人繋ぎである。
「なるほど、これからは胃薬ではなく、僕の甘やかしに慣れてもらう必要があるな」
「なっ……何をおっしゃって――」
「逃がさないよ、クラリッサ。君が僕を好きだと言ってくれるまで、毎日こうやって口説き続けるからね」
◇
さらに数日後。王宮の夜会にて、社交界は未だかつてない大混乱に包まれていた。
「な、なんですの、あのリアム様の甘い表情は……!?」
「いつもは誰に対しても一定の距離を保って、あの極上の微笑みでご婦人方を虜にしている、あの副団長様が……!?」
「そうよ! 誰一人として特別扱いなんてなさらなかったのに……!」
壁際で扇子を握りしめ、青ざめているのは高位貴族の令嬢たちだ。
『どうせ親のゴリ押し婚約』『いずれは破局するはず』と高をくくり、余裕の笑みを浮かべて高みの見物を決め込んでいた令嬢たち。いつか自分がリアム様の婚約者になれると思っていた彼女たちの夢は、目の前の光景によって、音を立てて崩れ去った。
会場の中央。私の腰に回されたリアム様の手は、『誰にも渡さない』とでも言うように、私をしっかりと抱き寄せていた。
それどころか、周囲に振り撒いていた『魅惑のフェロモン』を一切封印し、私だけに照準を合わせた甘すぎる微笑み、喉を鳴らすような低い囁き、惜しみなく与えられる距離の近すぎるエスコート――。
「クラリッサ、喉は乾いていないかい? 一杯飲んだら、あちらのテラスで二人きりになろう」
「り、リアム様! 大勢の皆様が見ていらっしゃいますから……っ!」
「構わないさ。君が僕のものだと、世界中に教えてあげているだけだ」
そう言って、私の耳元でわざとらしく甘く囁くリアム様。
「ひ……っ!?」
高位貴族の令嬢たちが一斉にざわめき、会場のあちこちから驚きの声が漏れた。
「噂は本当だったの……!? 副団長様が、あのパレス子爵令嬢を本気で溺愛していらっしゃるなんて……!」
「無差別のフェロモン兵器から、一人の女だけを甘やかす超危険な溺愛男に進化しているじゃないの……っ!……キィーッ、羨ましい!」
「破談どころか、付け入る隙もないじゃないの……っ!」
周囲の嫉妬と動揺の視線を一身に浴びながら、私は真っ赤になった顔を隠すようにリアム様の胸元に額を押し当てた。
(胃痛が治まったと思ったら、今度はトキメキと周囲の視線で心臓がもたないわッ!! もう、イヤッ!)
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