第11話 合同狩猟大会と夕立ち
年に一度開催される合同狩猟大会。
王族や高位貴族が一堂に会するこの一大行事は、裏方として働く女官たちにとっても、少し特別だった。安全の確保された狩猟場の特設テント周辺は華やかに彩られ、軽食や飲み物が振る舞われる。王族も参加する厳粛な雰囲気はあるものの、準備さえ終われば一種の『遠足』のような開放感に包まれる。
「クラリッサ、見て! あの焼き立ての鹿肉パイ、すごく美味しそうよ!」
同僚のリリアンが楽しそうに声を弾ませる。
「本当ね。お仕事が終わったら、少しいただきましょうか」
私も久々の外の空気を胸いっぱいに吸い込み、微笑みを浮かべていた。
あの日、アリアナ様をお姫様抱っこして運んだという噂を聞いてから、私の心にはずっと冷たい澱のようなものが溜まっていた。リアム様は『婚約解消は認めない』と言ってくださったけれど、やっぱり私では彼に釣り合わない。あの美しく華やかな令嬢たちこそが、彼の隣に立つべきなのだ。そんな諦めと切なさが、胸の奥をチクチクと刺し続けていた。
ふと視線を森の奥へ向けると、樹々の隙間から、銀髪を軽く一つに束ねたリアム様の姿が見えた。
いつもの凛々しい騎士団の正装ではなく、動きやすい漆黒の狩猟服を身に纏っている。無骨でありながら洗練されたその佇まいは、深い森の景観の中でも一際目を引き、会場の令嬢たちの熱い視線を一身に集めていた。
彼は弓を構え、淀みなく弦を引き絞る。
放たれた矢は一直線に風を切り、はるか遠くの獲物を正確に射抜いたようだった。周囲の騎士たちから歓声が上がる中、当のリアム様は、平然と弓を下ろす。その動作のあまりの美しさと、圧倒的な実力を見せつけられるたび、私はますます自分が遠い存在に思えて、胸の痛みを深めてしまうのだった。
「クラリッサ、見て! あの持ち込まれた大きな鹿! 騎士様たち、本当に凄いわね!」
同僚のリリアンが楽しそうに声を弾ませ、森の入口付近を指さす。そこでは誇らしげに胸を張った若い騎士たちが、仕留めた立派な獲物を検分役のもとへ運んでいるところだった。
「ええ、本当に……皆様、とても勇ましいわね」
正午を過ぎる頃には、特設会場のあちこちで香ばしい鹿肉の焼ける匂いが立ち込め始めた。
私たち女官も忙しくなり、狩りの合間に戻ってきた貴族や騎士たちへ、焼き立ての鹿肉パイや果実酒を配って回る。
テキパキと仕事をこなしながら、私は給仕の合間にチラリと森の入口へ視線をやった。
正午の短い休憩を終え、狩猟はいよいよ午後の佳境に入っていく。森の深部からは犬たちの吠え声や馬の蹄の音が響き渡り、獲物を追う男たちの熱気が特設会場まで伝わってきた。
やがて、審判長による勝者の発表が行われた。
今回の合同狩猟大会で見事優勝を果たしたのは――第二王子・ルードヴィヒ殿下であった。
「見事な腕前でございます、ルードヴィヒ殿下!」
巨大なイノシシと立派な角を持つ雄鹿を射止めた第二王子殿下が、満面の笑みで歓声に応えている。
殿下の周囲には第一騎士団副団長であるリアム様や、近衛騎士団の面々が控え、健闘を称え合っていた。第二王子殿下が誇らしげにリアム様の肩を叩き、「お前が手加減してくれたおかげだな」と冗談めかして笑いかけると、リアム様もまた、いつもの麗しい笑みを返していた。
その神々しいまでの光景は、まるで一枚の美しい絵画のようだった。
王族や高貴な人々が笑い合うその世界に、ただの子爵令嬢である自分が入り込む隙間など、最初からどこにもないのだと思い知らされる。
午後三時を過ぎた頃、角笛の音が響き渡って合同狩猟大会は無事に終了した。
騎士たちが獲物を運び込み、参加者たちが談笑する賑やかな特設会場の隅で、私は片付ける銀食器を抱えて立っていた。
「クラリッサ」
聞き慣れた低く澄んだ声に振り返ると、そこには狩猟服に身を包んだリアム様が立っていた。
獲物を追うために髪を軽く結び、いつもの騎士団の隊服とは異なる狩猟服姿だが、それがかえって彼の持つ圧倒的な美しさを際立たせている。あまりの美しさに思わず息を呑んでいると、リアム様は少しだけ目を細めて歩み寄ってきた。
「リアム様……お疲れ様でございます。見事なご活躍だったと伺いましたわ」
「ああ。残念ながら優勝は逃したが、準優勝という結果には満足しているよ。……狩猟区域の安全確認も済んでいる。もしよければ、少し歩かないか」
「え……?」
「風が心地いい。すぐ近くの森の小道だ。君と二人で話がしたい」
魅惑の紫の瞳にまっすぐに見つめられ、私は断る言葉を見失ってしまった。
アリアナ様の件以来、少し距離を置こうと決めていたはずなのに、彼の差し出す手を拒むことができない。自分が情けなくて、切なさが募る。
「……はい。少しだけなら」
私たちは賑やかな会場を離れ、木漏れ日が差し込む静かな森の小道へと歩き出した。
静寂の中、二人の足音だけがカサカサと葉を鳴らす。
リアム様は言葉が少なく、時折、私を盗み見るような視線を送ってくるだけだった。私は胸の奥の痛みを隠すように、他愛のない話題を探した。
「リアム様、先日の……アリアナ様の件、お怪我などはございませんでしたか?」
「……アリアナ? 誰だい、それは」
「えっ……倒れたアリアナ様をお姫様抱っこで運ばれたと、王宮で噂になっておりますけれど……」
リアム様はあからさまに不快そうな顔をして眉根を寄せた。
「ああ、あの失礼な女か。勝手に目の前で倒れ込まれたから仕方なく救護室へ放り込んだだけだ。抱き上げるのも嫌で腕を伸ばして運んだというのに、なぜそんな尾ひれがつく。……まさか君は、それを気にしていたのか?」
「え……? あ……!?」
思わず口を噤む。本当に、ただ倒れた人を運んだだけだったのだ。
だが、誤解が解けた安堵と同時に、胸を突いたのは深い切なさだった。リアム様はどこまでも誠実で、私を気遣ってくれる。でもそれは、過保護な『義理』や『責任感』からくるものであって、私を一人の女性として愛しているからではない――そう思い込んでしまう自分が惨めだった。
その時、頭上に厚い雲が流れ込み、空がにわかに暗くなった。
ゴロゴロと遠くで雷鳴が轟いたかと思うと、突風が木々を揺らし、ぽつぽつと雨が降り始めた。次の瞬間には、一気に雨足が強くなった。山沿い特有の、極めて急激な夕立だった。
「くっ……クラリッサ、走るぞ!」
「えっ!? キャッ! ひゃいっ」
リアム様は自分の上着を脱ぐと、私の頭上にかざして雨から庇った。
「あそこに小屋がある!」
そう言うなり、リアム様は私をお姫様抱っこで抱き上げた。激しい雨の中、彼に横抱きにされたまま、小屋を目指して森の中を走った。
「扉を開けて!」
「は、はいっ!」
リアム様に抱きかかえられたまま、私はどうにか手を伸ばして扉を押し開けた。
バタンと扉が閉まると、激しい雨音が薄い木壁を叩く音だけが響き渡った。
◇
小屋の中は狭く、埃っぽかったが、雨風を凌ぐには十分だった。雨雲に覆われた外からはほとんど光が差し込まず、室内は薄暗かった。
「はぁ……はぁ……大丈夫か、クラリッサ。濡れていないか?」
「は、はい……リアム様が覆ってくださったので……でも、リアム様が……!」
リアム様は上着を私に貸してくれたため、中のシャツが雨に濡れ、肌にぴったりと張り付いていた。鍛え上げられたしなやかな筋肉のラインが露わになり、濡れた銀髪から滴る水滴が、首筋から鎖骨へと伝い落ちていく。
(なんて素敵なの! 眼福! 眼福! 『水も滴るいい男』って、まさに、今のリアム様ですわ! この瞳に焼き付けて、永久保存版にしておかないと!)
「……くしゅんっ」
邪な事を考えながら、小さくくしゃみをした私を見て、リアム様はハッとしたように表情を変えた。
「寒いな。待っていろ。おそらく、木こりの小屋だろうから、火を起こせるか探す」
リアム様は小屋の椅子に、そっと私を下ろすと、部屋の隅に積まれていた乾いた薪を集め、手際よく小さな焚き火を起こした。橙色の柔らかな炎が揺らめき、暗い部屋を温かく照らし出す。
「さあ、こちらへ来なさい。暖をとるといい」
促されるまま、私は焚き火の前に腰を下ろした。リアム様もその隣に座る。狭い小屋だ。肌寒さもあって、二人の距離は肩が触れ合うほどに近かった。
パチパチと薪がはぜる音。雨の匂いと、濡れた木の匂い。
そして、隣から漂ってくるリアム様の体温と、どこか甘い彼の香り。
(あ……どうしよう……近すぎるわ……)
私は膝を抱え、必死に俯いた。ドレスの少し濡れた部分が肌に触れて冷たいはずなのに、リアム様と接している側の体が熱い。
(こんな小説みたいなドキドキの展開。私の心臓が持たないかも! ああ、神様! リアム様が尊い!)
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




