第1話 十歳の私の口を縫い合わせたい!
サクサクっと楽しく読んでいただける『恋物語』を目指しています。
ぜひ気軽にお楽しみいただけましたら嬉しいです!
いつもお読みくださっている読者の皆様。
『誤字脱字』や『文章の誤り』をご指摘・ご指導いただき、ありがとうございます!……なかなかミスがなくせず、スミマセン。
「……うっ」
朝の光が差し込む鏡の前で、私、クラリッサ・パレスはみぞおちを押さえ、小さく呻いた。
手にした硝子瓶から、小粒の白い錠剤を二粒掌に取り出し、水とともに飲み込む。
胃薬だ。十七歳の乙女の必需品としてはあまりに惨めだが、これがないと私の毎日は始まらない。
鏡に映るのは、やや青白い顔をした少女の姿。
金の髪に緑の瞳。世間一般で見れば『可憐で美しい』部類に入るはずだが、我が家においては『平凡』の範囲である。
我がパレス子爵家は、色々と『常識』を超えている。
まず、父のオリバー。王宮の事務官として働く父は、学園でクラスメイトであったという国王陛下からは、『有能』だと評価されているようだが、父をよく知らない世間一般では『顔だけの昼行灯』と呼ばれている。『顔だけ』と揶揄されるだけあって、三十代後半となった今でも二十代半ばにしか見えない奇跡の若々しさと、絵画から抜け出たような美貌を誇っている。
だが、実際の父はなかなかに食えない男だ。
普段はニコニコと事もなげに母の暴走を受け流し、面倒事からは綺麗に身を引いて『傍観者』の顔をしているが、自分に火の粉が降りかかりそうになると、面倒事の気配を素早く察知し、持ち前の有能さと国王陛下とのパイプをフル活用して、影でスルリと逃げ切ってしまう。
世間に『顔だけの役立たず』と嘲笑されていることすら、面倒な出世争いや派閥闘争から逃れるための隠れ蓑として重宝している節があるのだからタチが悪い。
そして、母のメラニア。何を隠そう母は、超名門オーレン公爵家の長女でありながら、学園時代にパレス子爵家嫡男にすぎない父の美しさに一目惚れし、身分格差など意に介さずゴリ押しで結婚まで漕ぎ着けた筋金入りの『恋愛脳』だ。
「お母様は、お父様のどんなところが好きになったの?」と尋ねた当時七歳の娘に対して、「顔よ。お父様のお顔は神の作られた奇跡のお顔よ!」と、夢も希望もないことを宣った過去がある。七歳の私でも、もう少し内面の長所を語るだろうに、とんでもない母だ。
だが、恐ろしいことに母はただの脳天気な恋愛バカではない。
元公爵令嬢たる圧巻の貫禄と、狙った獲物、父や私の婚約の機会を逃さない卓越した人心掌握術、そして場を一瞬で支配する圧倒的なオーラを兼ね備えているのだ。
飴と鞭で相手の弱点をガッチリと握り、いつの間にか自分の支配下に置く。父に嫁いでからは、ただの子爵夫人にすぎないはずなのに、相手に「ノー」と言わせない母の手腕は、もはや女帝の域に達している。
我が家で最も敵に回してはいけないのは、食えない父ではなく、この笑顔で社交界を転がす暴走機関車なのだと私は知っている。
二歳上の兄チャールズも、父の美貌と優秀さを見事に受け継いだパレス子爵家の嫡男。次期パレス子爵家当主として、王都の本邸と所領を行き来し、発展に向けた政務に励んでいる。
世間では優雅で物腰柔らかい『微笑みの貴公子』などと呼ばれているようだが、その実体は冷徹で計算高い悪魔だ。常に絶やさない美しい微笑みの裏で、誰が使える人間で、誰が使えない人間なのかを瞬時に見分け、自分の役に立たない相手は容赦なく切り捨てる。
家族である私に対しても「やあクラリッサ、今日も胃薬が美味しそうだね。おや、胃薬にも栄養があったのかな?」と爽やかな笑みで煽ってくるドSっぷり。
父の食えなさと母の狙った獲物を逃さない執念を完璧にブレンドして煮詰めたような存在で、私は兄と二人きりになると胃の痛みが通常の三倍に跳ね上がる。
そんな美形かつ一癖も二癖もある家族の中で育った私は、自分を『平凡』だと認識していた。
(あの濃すぎる家族の中で生き残るために必死で、自分の見た目が美しいかどうかなんて気にならないわよ!)
そう、自分の見た目などどうでもいい。
これだけ強烈な家族に囲まれて胃を痛めてきた私だが、それすらも些細なことだったのだと知ることになる。
そう――本当の地獄であり、私の胃痛の元凶。真の問題は、私の『婚約者』である。
「ああ……十歳の私をタイムマシンで殴りに行きたい……」
私の胃痛の原因。それは、ハミルトン侯爵家の次男にして、若くして王立第一騎士団の副団長を務める男――リアム・ハミルトン様と10歳の頃に結ばれた婚約だった。
格差婚もいいところだ。子爵家の娘が、名門侯爵家の優秀な次男に嫁ぐなど、本来あり得ない。
ではなぜそんな異常事態が起きたのか。
すべては、八年前のあの日。私の『黒歴史発言』と、母の恐ろしい暴走によって引き起こされたのだ。
◇
八年前、私が十歳、リアム様が十二歳の頃。
同じ十二歳だった兄のチャールズと、母の実家であるオーレン公爵家の嫡男で、私の従兄でもあるスティーブ兄様に連れられて、リアム様が我が家に遊びに来ていた。
庭園の木漏れ日の中、立っていた少年。
透き通るような銀髪に、吸い込まれそうな紫の瞳。十二歳にしてすでに完成されたその美貌を見た私は、当時大流行していた少女向け恋愛小説『銀の騎士と月光の姫』を思い浮かべてしまったのだ。
あろうことか私は、真っ直ぐにリアム様に駆け寄ると、うっとりとした表情を浮かべ、両手を胸の前に組んで、小説の中の『月光の姫』になりきって、作中で有名な台詞を暗唱してしまった。
『あなたに出会えたことは、月が私を導いた運命……! この身も心も、私のすべてをあなたに捧げますわ!』
そもそも、十歳の女児が口にする『私のすべてを捧げますわ』って何よ!? 『すべて』って具体的に何!? おやつ!? リボン!? お小遣い!? 当時の私は、意味も分からず、ただ響きが格好いいから口にしただけに決まっているじゃないの!!
だが、運悪くそれを物陰から偶然見ていた人物がいた。母・メラニアである。
「運命の愛の告白ね! あらまあなんて情熱的なのクラリッサ! 運命の王子様を見つけたのね! さすがは、わたくしの娘ね! お母様に任せてちょうだい!」
目を見開き、紅潮した両頬に手を当てて、身をくねくねさせながら叫んだ母の姿を、私は今でも忘れない。
なんなら、未だに月に一度は夢の中で『くねくね動く母の姿』にうなされる。おまけに、くねくね動くものは大の苦手だ。『ヘビ、ミミズに芋虫』。まあ、多くの女性が苦手なものであろうからいいけれど、「なんてこったい」な心境だ。
母の暴走を恐れて、正気に戻った十歳の私は、リアム様など忘れたかのように、慌てて父の書斎へ跳んで行った。
「お父様! お母様の暴走を止めて! 『子爵家のくせに、高位貴族に婚約を申し込んだ図々しい令嬢』なんて噂されたら、私、恥ずかしくて学園に行けなくなっちゃう!」
必死でギャン泣きで騒ぐ私に対し、奇跡の美貌を持つ父オリバーは、どこか遠い目をして私の頭を優しく撫でた。
「……諦めなさい、クラリッサ。たぶん、もう手遅れだよ」
「そんな! お父様からお母様に頼めば――」
「無理だよ。パパもね昔、そうやってママに押し切られたんだ。我が家において、ママの『恋愛脳』に火がついたら、公爵閣下でも止められないんだよ……」
三十代後半の二児の父とは思えない儚げな美しさで、父は悟りきった笑みを浮かべた。
当時は『お父様も母の被害者だったのね……!』と素直に同情したものだが、今思えば『母の意識を自分から娘へ逸らせて逃げ切るための高度な被害者演技』だったに違いない。つくづく食えない男である。
その後は地獄だった。
母は実家であるオーレン公爵家の威光とコネをフル活用し、リアム様との婚約に向けて、ハミルトン侯爵家へ怒涛の攻撃を開始。
半ば強引に話を進め、あれよあれよという間に慣例を無視した、身分逆転もいいところの『玉の輿』婚約が本当に成立してしまったのである。
◇
「……思い出すだけで胃に穴が開きそう」
鏡の前で溜め息をつく。これこそが、毎朝の私の日課だった。
リアム様にとって、私は『幼い頃に痛い告白をしてきた少女』であり、かつ『オーレン公爵家のゴリ押しで押し付けられた迷惑な格下の婚約者』でしかないはずだ。
現在二十歳になったリアム様は、さらに男振りを上げ、社交界では『目が合っただけで妊娠する』とまで噂される超ド級のモテ男になっている。
先日は、実際に「妊娠した!」と大騒ぎする令嬢まで現れて、一時は時の人になったほどである。結局は令嬢の虚言ということで噂は下火になったが、私には到底笑い話ではなかった。
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