13.
がらんとした店内で、私は早苗や歩美とカウンターに入り、コーヒーの入れ方を教わっていた。
ドリッパーの上から丸く円を描くようにお湯を少し注いで、コーヒー粉が蒸れるのを待つ。
ふわりと濃厚なコーヒーの香りが鼻をくすぐってくる。
注いだ分がしたたり落ちてきたら、また円を描くように――。
「そう、その調子だ。
だいぶ慣れてきたね」
「えへへ。いつもマスターがコーヒーを入れるところを見てますから。
真似をしてるだけですよ」
歩美が不思議そうに私を見て告げる。
「手順は同じはずなのに、朝陽が入れるコーヒーはずっと美味しくなるのよね。
なんでなのかしら。気になるわ」
マスターがクスリと笑った。
「手順が悪いんじゃないよ。
これは巫としての力の差なんだ。
巫力を込められる分だけ、伊勢佐木さんのコーヒーは味が増すんだよ」
早苗が不満げに唇を尖らせる。
「なにそれ、ずるっこじゃん」
そう言われても、私自身が何かをしてる訳じゃないし、困ってしまう。
コーヒーサーバーに一杯分が満たされたところでケトルを置いた。
マスターが私の頭を撫でながら告げる。
「いいね。これなら僕が入れたのと遜色ない味になってるはずだ。
今度から忙しいときは、伊勢佐木さんにもコーヒーを入れてもらおうかな」
私が照れて顔を伏せていると、カランコロンとドアベルが鳴った。
入ってきたのは、若い女性。
透き通ってないから、幽霊じゃない。
白いブラウスに淡いブラウンのクロップドパンツ、上から薄手のカーディガンを羽織っていた。
髪の毛はアップにまとめていて、薄い色のサングラス。その奥には切れ長の眼差しが見えている。
足元はベージュのローファーに、肩からは小ぶりの黒いショルダーバッグをかけていた。
早苗がカウンターから飛び出してエントランスに出る。
「いらっしゃいませ!
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!
一名様ですか?」
女性は早苗を見たあと、カウンターにいる私や歩美を見て、マスターに笑いかける。
「あら、こんな若い子を三人もはべらして、随分と良いご身分ね?」
マスターが苦笑を浮かべながら応える。
「いらっしゃい、財部さん。
今日はどうしたの?」
女性――財部さんは、早苗を手で制して自分でカウンター席に腰かけた。
「ブレンド――ああ、他の子が入れたコーヒーじゃ嫌よ?
きちんと辰巳が入れてよね」
――マスターを名前で呼んだ?!
コーヒーサーバーを取り換えたマスターが、ドリッパーをセットしながら応える。
「相変わらずわがままだね、財部さんは」
「やあね、子供たちの前だからって他人行儀はやめてよ。
いつもみたいに『綾子』でいいわよ」
ムッとした様子の歩美がマスターに尋ねる。
「マスター、この人は?」
「――ああ、彼女かい?
このお店の『協力者』の一人、財部綾子さんだ。
お金関係は、彼女が面倒を見てくれてるよ」
早苗も機嫌悪そうな顔で告げる。
「人間なんですか? それとも、『人ではないお客さん』?」
財部さんが早苗に振り向いて応える。
「『どちらでもない』わね。
この回答で満足? お嬢ちゃん。
――それより辰巳、今夜は空けてあるわね?」
マスターはコーヒーを入れながら応える。
「そりゃあ月末だからね。
そろそろ財部さんが来る頃だろうと思ってたよ」
「だから、その他人行儀はやめてよ。
いつもみたいに『綾子』って呼んで。
じゃないと意地悪するわよ?」
ふぅ、とマスターが小さく息をついた。
「――綾子。子供たちの前で何を見栄の張り合いをしてるんだ?
いつものお前らしく、可愛い女でいなよ」
こ、これは『見たことのないマスター』?!
私や早苗と歩美は、突然の『大人の空気』に気圧されていた。
マスターが財部さんの前にコーヒーを置いた。
「こんな時間から来るなんて、何がしたいんだ?」
財部さんは可愛らしい笑顔でコーヒーを受け取り、一口飲んだ。
「――うん、いつもいい味ね。
いえ、巫力が随分と高いわ。
これは……そう、あなたの力ね」
財部さんは、私を見てそう告げた。
私は思わず尋ねてしまう。
「コーヒーを飲んだだけで、わかるんですか?」
財部さんがクスリと笑みをこぼす。
「これでも神のはしくれだもの。
そのくらいはわかるわよ」
――マスター以外の神様?!
財部さんがカップを置いてマスターに告げる。
「今夜は何時から来てくれるの?」
「いつも通り、午後十時からじゃダメなのか」
財部さんがニンマリと微笑んだ。
「もう少し早い方が良いわね。
――午後八時。これでどう?」
マスターがあきれたような表情で財部さんを見つめた。
「『いつものお前になれ』とは言ったが、『甘えん坊になれ』とは言ってないぞ。
その時間だと、店を早く閉めなきゃならない。
一度、どこかで時間をつぶして来てくれないか」
「いいわよ? そのあとの辰巳を独占できるなら、それぐらい待ってあげる」
歩美があわてて口を開く。
「独占って、あなたはマスターのなんなんですか?!」
財部さんがサングラスを少し下ろして、宝石のように輝く赤い瞳で歩美を見た。
「――パトロン、と言えば伝わるかしら?
この店を維持する手伝いをする代わりに、辰巳の時間をもらってるの」
マスターが鋭い声で告げる。
「綾子!」
「あら、別にいいじゃない。
子供とはいえ、もう高校生なんでしょ?
女子なんだし、私たちの関係ぐらい想像がつくんじゃない?」
マスターが疲れたようにため息をついた。
「いい加減にしないか綾子。
子供相手にみっともない。
――ごめんね伊勢佐木さんたち。
そういうことだから、今日は午後五時でお店を閉めるよ」
私たちは戸惑ったまま、マスターにうなずいた。
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「ごちそうさま、また後でね」
財部さんは会計もせずに、そのままお店を出ていった。
歩美が金切り声を上げる。
「何なのあの女! いちいちイラつくわね!
なんでこれみよがしに『私、マスターと親しいのよ』って空気を押し付けてくるの?!」
早苗がおそるおそるマスターに尋ねる。
「ねぇマスター、財部さんとどういう語関係なんですか?」
マスターは困ったような笑みで早苗に応える。
「彼女は古い知り合いなんだ。
持ちつ持たれつの関係、といったところかな。
でも、君たちが心配するような関係でもないよ」
私もおずおずと尋ねる。
「でも『パトロン』って言ってましたよ?
金銭的な援助を受けてるんですか?」
「知っての通り、このお店は生きてる人間のお客がほとんど来ないからね。
お金を払う必要があっても、払うものがない。
だから僕が財部さんを助ける代わりに、お金を受け取ってるんだ」
――それって?!
マスターがクスリと笑った。
「だから言っただろう? 『君たちが心配するような関係じゃない』って。
僕の力を、彼女に渡すだけさ。
一度にたくさんの量は渡せないから、その間は一緒にいる。
そのことを彼女が意味深に言っただけだよ」
「……その『一緒にいる間』って、何をしてるんですか?」
「んー、映画館に行ったりとか、レストランに行ったりとか。
財部さんの家で、一緒にお酒を飲むこともあるかな」
デートじゃん?!
歩美があわてたように口を開く。
「それでも、付き合ってるって訳じゃないんですよね?!」
マスターがニコリと微笑んだ。
「違うね。時間をつぶせるなら何でもいいんだ。
月末になると、二時間ぐらいかけて力を渡す。
その報酬として、僕はお店の運転資金を得る。
持ちつ持たれつのドライな関係だよ」
私は疑問に思ったことを尋ねてみる。
「財部さんって、どんな神様なんですか?」
「サラスヴァティ――君たちには、『弁財天』って名前の方がわかりやすいかな?
七福神の一人だよ」
――超大物だったー?!




