表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/7

35歳、主婦の日常

月曜日。35歳、小4の娘1人、主婦の朝は戦争だ。


午前五時半。スマホのアラームが鳴る前に、重い瞼をこじ開けるように目を覚ます。まだ外は薄暗い。

静まり返ったキッチンに立ち、冷たい水で顔を洗ってから、まずは炊飯器のスイッチを入れる。洗濯をまわす。味噌汁の出汁を取る香りが立ち上がる頃、娘の部屋を覗く。


「ほら、起きなさい。七時だよ」


ぐずる小学四年生の娘をなだめ、制服を整えさせ、朝食を食べさせる。体操着は入れた? 連絡帳は書いた? 忘れ物がないか何度もチェックして、ようやく送り出す。

それが終われば、次は洗濯物を干し、掃除機をかけ、自分のメイクを大急ぎで済ませる。

一分一秒を削り出すような朝のルーティンを終え、自転車を漕いでパート先へ向かう時、背中に浴びる風だけが、唯一の休息だった。


私の職場は、家から自転車で十五分ほどの場所にある。仕事は事務職だ。

どれだけ忙しくても、ここには「母」や「妻」という役割がない。指示された書類を整理し、電話に出る。誰かの世話を焼くのではなく、自分の作業を淡々とこなす。私にとって、この小さなデスクだけが、唯一の聖域だった。


翌日火曜日。

営業部に新しい中途採用の社員、中川優太が入ってきた。

「中川です。分からないことばかりですが、精一杯やります!」

爽やかな笑顔、淀みのない瞳。私のデスクの近くを通るたび、彼は会釈をしてくれる。


更に、「如月さん。教えていただき、ありがとうございます」

仕事の合間にかけられるその何気ない言葉。誰にも感謝されず、誰にも見られない家庭での労働とは違う、人と人として認められたという実感が、凍りついた心にじわりと染み込んでいった。


彼は28歳だというのに、旦那よりも人間ができている。


だが、家庭に戻れば戦場だ。

夕方五時、帰宅。息つく暇もなく、干していた洗濯物をとりこみ畳み、夕食の下ごしらえを始める。娘のピアノ教室への送迎をこなし、帰ってからは夕食を作り、食べさせ、片付ける。風呂掃除をして湯を張り、娘を入れ、学校の宿題を見てやり、明日の支度をさせる。

すべてが終わり、娘を寝かしつける頃には、自分の心身は空っぽだ。



そして、土曜日。

私にとって休日は、終わりのない重労働の日だ。

朝から洗濯機を2回回し、家中の掃除機をかけ、窓を拭く。娘の習字教室への送迎を済ませ、帰宅してからは昼食の準備。

時計の針は正午を回った。


リビングの奥にある寝室から、ようやくアキラが這い出してくる。39歳。世帯年収一千万円のうち、八百万円を稼ぎ出す彼。かつて同じ職場で出会い、五年間の交際を経て結婚した頃の彼は、もっとエネルギッシュで、魅力的な男だった。

私が二十代でバリバリ働いていた頃、仕事熱心で将来の展望を熱く語る彼に惹かれた。けれど、今の彼はどうだ。

パジャマのまま、ぼさぼさの髪でソファに倒れ込み、無言でテレビのリモコンを掴んでいる。

「昼食、作ったから。食べて」

私が伝えても、アキラはスマホのゲーム画面から目を離さない。食卓に座っても、彼はスマホを片手に機械的に箸を動かすだけだ。

私は堪えきれず、つい声をかけた。

「ねえ、アキラ。今日、午後は娘を公園に連れてってくれない? 私、溜まってる家事を片付けたいの」

すると、アキラは面倒くさそうに溜息をつき、スマホの画面を睨んだまま言い放った。

「無理だよ。平日は激務でボロボロなんだ。土日くらいゆっくりさせてくれ」

彼はそう言って、またゲームの世界へ没頭した。

私がどれだけ動き回っていたか、彼が寝ている間、家を整え、娘を送り出し、習字の準備をして、昼の献立を考えていたことなど、彼は想像すらしていない。

この家の清潔も、毎日の食事も、娘の教育も、すべて私の犠牲の上で成り立っている。それなのに、彼はソファという「王座」から動こうともしない。


このまま、あと何年こんな生活が続くのだろう。

アキラの背中を見つめながら、喉の奥がヒリヒリと痛む。

ふと、職場で優しい言葉をかけてくれた優太の横顔が脳裏をよぎった。

彼は、私の苦労を知らない。けれど、もし彼なら、こんな風に私をないがしろにしたりしないのではないか。

そんな毒のような妄想が、限界まで張り詰めた私の心を、音を立てて侵食し始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ