第22話 宮廷、薔薇園①
皇帝陛下から案内の指示を受けたメイドを先頭に宮廷の廊下を歩く。
床と天井は木製で、アンティーク調の家具や立派なタペストリーといった豪華な調度品が並んでいる。
窓からの眺めも壮観で、どこまでも続く形成型に刈り込みされた造園があり、みずみずしい新緑が敷地を彩っている。
これなら雑事で慌しい毎日でも、心安らぐひと時が過ごせそうだ。
そのうち宮廷内に作られた中庭にたどり着いた。
薔薇園と言ってもいいほど、たくさんの薔薇が咲き誇っている。
薔薇は系統別に植栽され、女性が好きそうな華やかな見た目も芳醇な香りも楽しめる。
貴族や来賓の方々で鑑賞しながらのお茶会には最適だろう。
メイドに「こちらで待機している」と伝言を預けると、持ち場に戻っていった。
庭園にはランディ一人だ。
皇帝陛下の提案に感謝した。
日々の喧噪から逃れたこの美しい景色をゆっくりとまどろむ。
薔薇の向こうにある噴水の水しぶきなんて絵になる構図だ。
元帥閣下についてこなければ見られなかった光景だろう。
庭園を独り占めしている贅沢に酔いしれていると――
「あなたがアイヴァー様の従者?」
ねっとりとした物言いをする女性の声がした。
振り返ると、赤茶色の巻き毛、胸元の開いた赤いドレスを着た女性が背後に立っていた。
ひときわ派手さが目立ち、髪からつま先まで美しく整えていた。
側には侍女が三人も控えている。見るからに王族か上流貴族だ。
「なあに、その貧相な見た目は。貴族たる者、身なりくらいきちんとしていただきたいわ」
眉間にしわを寄せ、あたかも不快だときつい口調で責められる。
「申し訳ありません……あと、私は平民なので……」
「はあ!? 平民がどうやってアイヴァー様に取り入ったわけ!?」
高貴な女性は唐突に声を荒げた。
通りがかった衛兵がその声に反応し二人に近寄ろうとするが、侍女の一人が手で制し、首を振った。
衛兵はうろたえつつも、そのまま下がる。
その様子を横目に、手に持っていた扇子を開き、口元に当てた。
「まあ、いいわ。お前、名前は?」
「ランディと申します」
「年齢は?」
「十五になります」
あっけに取られながらもそのまま質問に答えていたら、控えていた侍女が女性の前に出た。
「ねえ教養の無い平民。さっきからお嬢様が自ら質問しているのに頭が高いと思わない? この方はブランズダル公爵令嬢、カミラ様ですのよ!」
“教養の無い平民”
確かに学校に通ってはいないが、上流貴族と馴れ合わない平民がマナーを知っていると思うのだろうか。
だが商人としては数える程度には貴族の相手をしたことはある。下手な態度は取れない。
ランディは片膝をついた。
「失礼しました。あまりにも美しい方だったのでつい見とれてご挨拶を忘れてしまいました。どうかお許しを」
「これだから男は……」
侍女はそう貶したが、言い訳としては何とか及第点だろう。
だが後方にいるカミラは更に目線が鋭くなった。
「ふぅん。男……ねぇ。その年齢でまだ骨格が仕上がってないというの。成長期が遅すぎるのではなくて? 手なんて、まるで女よ」
持っていた扇で、ランディの手を指した。
ランディは一瞬、固まったが、すぐに困ったような表情を浮かべる。
その指摘はコンプレックスなんですよ、男としては恥ずかしい、とでも言いたげに、自身の手をおずおずと隠した。
――するどい。こういう勘が働く相手は厄介なんですよね。
と、今後の男装の対処策を考える。
「まあ、いいわ。お前、ワタクシとアイヴァー様が出会える場を作りなさい」
扇で口元を隠しながら、目を細める。
“出会える場を作る”。さすがに無茶ぶりが過ぎないだろうか。
平民がお茶会やダンスパーティーでも開けるとでも思っているのだろうか。
いや、それは無いかと心の中で頭を振り、小出しに質問をぶつける。
「アイヴァー様をお呼び出しすればいいのでしょうか」
公爵令嬢はやれやれといわんばかりにため息を添えて、露骨な表情を浮かべた。
「やだわ、そんな情緒も無いこと。お前が考えなさいな」
投げっぱなしかと苦笑していると、カミラは違う方向に勘違いした。
「なによ。タダでさせるとでも思っているの? アイヴァー様と話せるのならお金は惜しまないわ。いくら欲しいの?」
彼女はお金を多く出せば、全部何とかしてもらえると思っている。
考えることを止め、お金をもってして楽に他人を頼る。そんな考え方は苦手だ。
「せっかくのお申し出ですが、お断りします」
「なっ!」
「わたしは元帥閣下にお願いが出来る立場ではございません。わたしよりあなた様がお誘いされた方が元帥閣下もお喜びになると思います」
「――っ!」
カミラはギリッと奥歯を噛み、扇を折った。
険しい表情から過去にアイヴァーを誘ったことはあるのだろう。
しかし断られた。
今度は従者に取り入ろうとしたが失敗。
その事実にプライドが許すはずもない。
「――ボイル!」
カミラの指に手のひらから大きな球体が現れた。
透明な膜の中に溶岩のようなどろっとしたものが波打っている。
手を振りかざすと、球体はランディめがけて豪速で飛んできた。
後方に退いて避けはしたが、飛び散った火の残滓が足元に当たってしまう。
「つぅ!」
ランディはしゃがみ込んだ。
外見上は何事もないように見える。
しかし火傷を負ったようなヒリヒリとした痛みが広がっている。
「平民が刃向かうからよ」
新しい扇子を侍女から受け取ると、再び口元を覆い、何事もないようにそっぽを向く。
先ほどの衛兵も下がっており、この場にはランディと公爵令嬢とその侍女達しかいない。
「全く気が晴れないわね。もう少し泣きわめけばいいものを……」
そう言うと、もう一度手を振り上げた。
「ふふ、お前、女みたいな見た目がコンプレックスなのでしょう。なら協力してあげるわ」
「!?」
カミラの手のひらから先ほどよりも大きい球体が現れた。
「男なんだから身体に少しくらい傷がある方がたくましく見えるわよ?」
もう一度、今度は威力の強い火魔法を使うつもりだ。
護身用の魔法陣紙は持っているが、発動させればおそらく過剰反応による威嚇行為だと言われ、罪に問われる可能性もある。
更にカミラ側に正当防衛をしたという名義分も出来てしまう。
先に向こうが手を出してきたと訴えたところで、一対四。
人数の不利があったとしても、貴族と平民という立場の違いもある。
どちらが正しいか。
否、どちらの発言が重要か。
ランディからは代替魔法の一切を展開できない。
カミラは蔑んだ視線を向けて、何とも楽しそうにクスクスと笑った。




