第10話 おはよう係、実践!
ランディは恐る恐るベッドへ近づいた。
長い睫毛、長い手足、清流のようにしなやかな白銀の髪。
ほのかに漂う百合の香り。
この人を描く輪郭が一つ一つ美しく、頬にかかる髪の毛一本さえも芸術なのかと見紛うほど。
場違い感に囚われたランディは、恐る恐る家政婦長に振り返る。
本当に自分は上手く出来るのだろうかという疑心感。
この不安は初めてお使いを頼まれた時と同じ心境だ。
「起こし……ます、ヨ?」
この言葉には“失敗しても知りませんよ”という思いが込められている。
後ろから見守っていた家政婦長は親指を立て、天から勢いよく振り下ろした。
“グッドラック”
――どうしてだろう。死亡フラグに思えるのは。
まるで獅子の子落としを体験している心境である。
初歩、ランディはベッドに向かって声をかけてみた。
「げ……元帥閣下ぁー……」
「声が小さーい!!」
ためらうランディに家政婦長が片腕を上げ、一喝する。
及び腰では話にならないらしい。
どうにでもなれと半ばやけくそで、
布団を引き剥がしても、身体を揺すっても、大声で叫んでみても、びくとも反応しない。
実は死んでいるのではないかと疑いを持ったが、
寝息は聞こえているし、手を触っても暖かさがある。
生きていることは間違いないようだ。
――それにしても、こんなに騒いでもなぜ眠れるのでしょう?
ふとランディは元帥閣下の眠るマットに触れた。
身体にフィットした柔らかさがありつつも、反発力がある。
寝返りは打ちやすそうだ。
羽毛布団もふかふか、柔らかさと張りのある真っ白なシーツ。
ベッドフレームは職人のこだわりが見られ、一つ一つ丁寧な装飾を施したデザインだ。
素材にこだわり、機能性に華やかさを兼ね備えた寝具に包まれて眠るのだ。
これは約束された安眠とでも言うのか。
生パンならぬ生ベッドとも呼べる。
正直、こんな武装を前に勝てる気がしない。
ランディは大きく息を吸って、気合いを入れるために手を大きくパンと叩いた。
家政婦長から受け取った魔法陣紙と魔石を確認する。
火炎・雷撃・氷結の魔法紋様が描かれた紙に、
火・水・風・地の四大元素の魔石。
当たり障り無く用意したようだが、個々の用途には完璧に合っていない。
それぞれを見比べ逡巡すると火炎の魔法陣紙と、火と水の魔石を握りしめた。
隙がありまくる元帥閣下のベッドの斜め下に魔法陣紙を敷く。
完全に真下に置かないのは魔石を当てやすくするためだ。
「攻撃魔法展開、“ファイヤーフレイム”!」
魔石を紙に投げつけると、円陣からゴウッと音を立て炎が噴出した。
何してもいいから起こせの命令を全力で遂行したのだ。
仕事には忠実に取り組む。それがランディの良いところ。
これで何かの丸焼きが出来上がる――はずだった。
一瞬、燃え上がったと思ったが、家政婦長の時と同じく萎んだ音を立てて消えてしまった。
確かに燃やすつもりではいた。
元帥閣下が跳び上がったら即座に氷結魔法を使うつもりでいたが、
それも取り越し苦労で終わる。
これ以上は為す術もなく、元帥閣下を起こすことは叶わなかった。
失敗の原因は、魔法陣紙と魔石の相性が合わなかったことだろう。
用意されていた中で最適な組み合わせを選んだつもりだったが不発。
魔法陣紙も魔石も無駄に消費してしまったと後悔する。
ランディはしょぼんと肩を落とした。
生活費に加えて貯金が出来るほどの給料だったが、自身は役に立たなかった。
他の職業を探さなくては、と口を開こうとしたその時、家政婦長がランディの腰を軽く叩いた。
「まあ、今日は三日目だから」
「え?」
自身が働き始めたのは今日が初めてだ。三日目とはどういう意味だろう。
疑問符を投げつけていると、家政婦長は言葉を続けた。
「元帥閣下のデッドラインは七日目なの」
以前、七日を過ぎても起きなかったことがあり、心肺停止状態となったそうだ。
国内の選りすぐりの魔導士を集め、魔力供給を行うことで何とか命をつなぎ止めた。
助かったのはいいものの今度は、何人も魔力枯渇を起こし生死をさまよった。
過去、数十回も同じ出来事が起きている。
それも全て決まって“七日目”だ。
規則性は不明だが、唯一分かっていることは眠ってから、七日目前に起こさなくてはならない。
国内にいる魔力が高い魔導士は、デッドライン日に恐怖し、時には発狂する者もいるそうだ。
意外にも重たすぎる任務にランディはめまいを覚えた。
ついでに――もし七日目までに起こせなかった場合、
自分自身が罪に問われる可能性があることもこの時、知るのであった。