殺すほどの理由
最初、転移先を間違えたのかと思った。
美しい辺境伯の居城が、屋根が裂け、木くずの散らばる瓦礫の山と化していたからだ。
ここで何かあったことは、いや、勇者様が何かしたことは明らかだった。
「え……」
その声に振り返ると年老いた執事が僕らの方を驚愕して見ている。見覚えがあると思った。
そうだ、彼は僕に招待状を渡したあの執事だ。
僕とアリスが急に現れて驚きを隠せないのだろう。彼は箒と手袋をして瓦礫撤去の準備をしていたようだ。
僕らにぐずぐずしている暇はなかった。
「辺境伯はどこにいますか」
「え……あ……」
「教えてください」
「れ、礼拝堂です。屋敷の横にある……」
僕はお礼を言って歩き始めた。アリスは何も言わずついてくる。足元に、大きな血だまりがあって、見てはいけないような気がした。
礼拝堂は屋敷に対して質素なものだった。木造の内部は窓から光が差し込んでいる。身廊の先、聖卓に一人の太った男が膝を折って祈りを捧げていた。
「ビゴー辺境伯」
辺境伯は僕の声にハッと振り向いた。そして僕の姿を見るやがたがたと震えだした。
「ゆ、許してくれ!」
僕はその言葉を聞いた瞬間、ここで何があったかのおおよその検討を付けた。
「何があったのか、説明してください」
「こ、殺さないでくれ!殺さないと誓ってくれたら何でも言う!」
話にならなかった。その姿に僕は無性に腹が立った。何を甘ったれたことを言ってるんだこいつは、と思った。
僕は黙って聖剣を抜いた。
「いいから話しなさい」
「ひ、ひぃ!剣を収めてくれ!収めてくれないと……」
「いいか、僕はこれ以上妥協しない。我慢の限界が来ているんだ。いいから言え!」
辺境伯は泣きべそになって黙った。それから話す内容を頭の中でまとめるように視線を動かし始めた。
辺境伯は、小刻みに震えながら言った。
「公爵様の命令で……勇者に毒を盛った」
目の前の男は、勇者様を殺したことを簡単に認めた。その呆気ない白状に、今度は僕が恐ろしくなった。殺した理由を説明できる、という様子なのが信じられなかったからだ。
一体どんな理由があったら、魔王を討伐し人類を救う神の使徒を殺すほどの理由になるんだ……?
「なぜ毒を盛った」
「勇者を殺さねば我々諸侯に未来はなかったからだ」
「は……?」
僕は全身が総毛だった。これから理解不能なことを言われる、と予感した。
辺境伯は一つずつ語り始めた。
「この国、バステノンは王制だ。我々諸侯が王を支え、王が我々に土地と権力を与える」
「……」
「だが十五年前、愚かな現王が勝手に国教をゼノ教に定め、自ら進んで教皇に跪きやがったのだ!」
辺境伯は、グッと握りこぶしを作り、全身に力を込めた。話しながら、気が逸る質らしい。
僕は呆然としていた。
まさか……。
「血を一滴も流さず我が愛するバステノン王国はくだらない宗教国家に成り下がった!やつらは民衆の支持を集め、寄進により富を蓄えた。教会を建て、土地を支配した。だがまだ我ら諸侯はゼノ教なんぞにひれ伏さん!我らには『権利』と『軍』というやつらの持たない『力』がある!この『力』がやつらの完全な支配を押しとどめているのだ!」
まさか……そんな理由で……?
「しかしひと月前、勇者というやつらにとっての『力』が現れた。圧倒的な『力』だ。もはや猶予はない。放っておいたら勇者は魔王を討伐し、膨大な魔王領を教会にささげただろう。そうなればもう止められない。力を得た教会により我らも土地を没収され、追い出されることは目に見えていた。だから我々は勇者を謀殺したのだ!」
まるで正当な答えを提示して見せたかのように勢いづいた辺境伯に僕は唖然として言った。
「そんな……くだらない理由で……?」
辺境伯は僕の言葉に猛然と反論した。自分の大義を信じている口ぶりだった。
「くだらない?くだらないとはこの戦いの意義を理解できていない愚民の発想だ!我々は土地を守るための戦争をしているのだぞ!我が家名を冠するこのビゴーの土地を、先祖代々治めてきたこの土地を、みすみす他所の馬の骨にやってたまるか!誇りを守るために私は……」
「黙れ!」
僕は、脅しのはずだった聖剣を固く握りしめた。
「そんなちっぽけな戦争がなんだ……?勇者様は……世界を平和にするための戦争に立ち向かっていたんだぞ……。人類を勝利に導くための神の使者をお前はまるで政治道具かなにかのように殺したんだ!」
僕が怒鳴ると、辺境伯はまた自分の立場を思い出したように「ひぃ!」と叫んでぶるぶる震えだした。
僕はその辺境伯の、強いものにひたすら靡く態度が憎くなった。これが勇者様を殺してしまったのだ。
激情を抑えがたくなってグッと一歩踏み出した。斬る、と思った。
その時、ツイ、と袖を引っ張られ、ハッとして振り返るとアリスが僕を覗き込んでいた。
「帰ろ?」
アリスの言葉に、僕の全身から力が抜けた。これ以上ここにいてもしょうがないという諦めが湧いてきた。
僕は聖剣を鞘に収め、じっとアリスの顔を見た。彼女は伏し目で呪文を唱え始める。
辺境伯は、僕らに向かって手を合わせて膝をついていた。こんな男がいるから世界が平和にならない、と途方もないことを思ったが、それは剣を抜くほどの理由にはならなかった。
僕はアリスの静かな声を聞いて精神を落ち着けた。彼女の声は、いい。
「ごめんなさいごめんなさい……」
辺境伯が震えて謝る姿に、ちょっとだけ、彼も可哀そうだ、という思いが胸をよぎった。それは僕の弱さだろうか。
僕らは、魔法の光に包まれて帰還した。
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ビカラの里に帰ってきた僕は、アリスにお礼を言って休んでもらうよう言った。
彼女は何故か僕の手のひらを握って労わるようにさすってきた。それから何も言わず離れていった。
僕はそっと勇気づけられた気がして、「ありがとう」と聞こえない距離にもかかわらず呟いた。
だが、その心地いい感傷は次の日ティアが持って帰ってきた情報によってあっという間に霧散した。
「新しい勇者パーティーが王都で発足したって……!」
僕の頭は真っ白になった。
(いいか……この世はクソだぜ……)
勇者様のバカにしたような死に顔が、頭によぎった。




