不安定な神官
メルの部屋をノックした。しばらく待ったが返事はなかった。
僕がそっと開けて中を覗き込むと、彼女はベッドにもたれてうずくまって震えていた。
昨日から何も様子が変わっていないことに驚いた。身だしなみに気を遣う彼女とは思えない、土に汚れた祭服のままで髪の毛がぐしゃぐしゃだった。
膝頭がすりむいたまま包帯も巻かれずかさぶたになっている。
顔色を見て、一睡もしていないどころか水も口にしていないのではないかと思った。
「神託が……勇者パーティーが……」
彼女が蒼白になって呟いていた。
彼女が勇者パーティーに選ばれたことを、神から使命を授かったのだと一生の大事のように感じていることは知っていた。
もし勇者パーティーが崩壊すれば自殺するのではないか、と冗談半分に考えたこともあったが、今や冗談ではなかった。
僕は彼女の覚悟を、信者にとっての勇者パーティーの存在を甘く見ていた。彼女は命がけで神託を達成しようとしている。
「勇者パーティーで魔王を討伐せよ」という神託の通りにならないことを裏切りになると恐れているのだ。
僕は彼女の様子にいたたまれなくなってすぐ声をかけた。
「メルさん、ベアさんは無事です。持ち直しました」
彼女は、僕が部屋に入ってきたときは見向きもしなかった顔を上げた。僕の言った言葉を何度も咀嚼して確かめているようだった。
そしてやっと理解が追い付いたのかボロボロと涙を流した。
「シオさん!シオさん!」
僕に駆け寄って抱き着き、わんわん泣き出した。
「何もかも大丈夫ですよね」とか「神に見捨てられてはいませんよね」とかそんなことを支離滅裂にわめきながら彼女は僕にしがみついていた。
彼女の心が、不安でいっぱいだったのがひしひしと感じられた。
神託の通りに魔王を討伐できないことは同時に、神が嘘をついたことになるのだと、そのことが恐ろしいらしかった。彼女にとって勇者パーティーは魔王を討伐するまで不死身でなければならないのだ。
僕は彼女を抱き返してやりたかったが、そうしていいのか分からずただ両手を宙に上げたまま固まっていた。
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彼女は安心したら、怒りが湧いてきたらしかった。まだ、とても平静ではないようで僕にもたれかかったまま離れようとしない。
「勇者さんはひどいんです!最悪です!」
目を真っ赤にして勇者様への愚痴を語りだした彼女に僕は水を勧めた。彼女は差し出されるままに「んぐんぐ」と音を立てて飲んで、だが文句は止まらなかった。
「ゼノ様から力を授かってる張本人のくせに神託を否定することばかり言って!私の信仰心を試して楽しんでるんです!悪趣味なんです!」
「どうどう」
僕が差し出した水をまた「んぐんぐ」と飲んだ。散々泣きわめいたせいか、声がかすれ気味になっている。
「神託を信じて何が悪いんですか!神様が世界を平和にするために地上に力を授けたのに、それを疑って何がしたいんですか!」
本当に世界を平和にしたいなら僕たちみたいなのを集めないんじゃないか、とツッコむ残虐性は僕にはなかった。
僕はそのことに関しては最近ますます勇者様寄りの意見になっているのだが、わざわざ彼女を怒らせる気はない。
しかし、彼女が続けて言った言葉に僕はハッとさせられた。
「どうして希望に満ちた神託を信じないで悲観的な主観を信じるんですか!何もかもが悪い方へ向かっているなんて思うのはあさましい人間の弱さです。うえぇぇん!」
僕は彼女の信仰心の根っこの強靭さに驚いた。
彼女は強いのだ、と思った。どんな状況でも希望を、神を信じるなんてとても僕みたいな弱い人間には出来ないことだった。
眩しい希望を常に直視し続けるのは並みの精神力では出来ない。
僕は、いや人間は薄暗い絶望にどうしても親しみを感じてしまうものだ。洞窟を思わせる暗闇でじっとしているのが好きなのだ。
だが彼女のような信者は、「信じているから」とただその一念で希望から目を背けることなく、毎日を正しく生きようとしている。原動力の格が違う。
勇者様はそれを「思考放棄したバカだ」と言うが、僕はとてもそうは思えなかった。
メルはすごいなぁ……。強いなぁ……。
僕は彼女の頭をそっと撫でていた。無意識に、彼女の存在を確かめたいと思ってしまって、自然と手が伸びたのだ。
失礼な自分の行動に気付き、手を止めると、彼女は何も言わないで僕の方に目を向けていた。
いつの間にか彼女は勇者様の愚痴をやめていた。そして僕と見つめ合ったまま、不思議な抑揚で
「止めないでください」
と言った。
「頭をなでてください。落ち着きます」
彼女はまっすぐな瞳をしていた。純粋な子供のようだった。
僕は手を動かすのを再開した。
彼女はゆっくりと目を閉じ、そして僕にもたれる体を重くした。
彼女の体はようやく疲労を思い出したようだった。
「私は……シオさんのことを、ゼノ様の次に信じているんです……」
そう言って彼女は現実から夢へとズンズン降りていった。長いまつげと血色の悪い顔が燭台で溶けた蝋を思わせた。
彼女は僕の肩でスースーと寝息を立て始めた。僕はそっと彼女を抱き上げ、ベッドに寝かせようと思った。
だが、そこで彼女が生地の固い、汚れた祭服のままであることに気付き慌てて彼女を揺すった。
まだ眠りの浅かった彼女はフッと目を開けた。
「メルさん、着替えてから寝てくださいね」
僕がそう言うと彼女はぼんやりと万歳した。
「脱がせて……」
いや、そこまで信じられても困る。
僕は彼女のほっぺたをぺちぺちと叩き、彼女を少しでも覚醒させてからさっさと部屋を出た。
扉の前で僕はため息をついて立ち尽くした。
彼女の柔らかいほっぺたに、僕はメルという神官が女性であることを思い出し、俗っぽい人間の限界を感じてしまった。
両手で顔を隠し、彼女のような高踏な人間にはなれない、と軽く自己嫌悪した。




