お礼という名の無茶振り
桃奈の家は、本当に普通の中流階級の家だった。
狭い玄関の作り付けの棚の上には、置き時計に狸の剥製、それに枝を模した置物が置いてあった。壁には風景画がかかっている。実家感の強い玄関だった。
玄関から奥に続く廊下がのびている。おそらくその先がリビングなのだろう。奥から差し込む明るい光が廊下を照らしていた。
「誰が上って良いと言った。そこで話せ」
靴を脱ごうとしたら怒られた。もう死にたい。
「で、お前は何なんだ。目覚めし者とか言うつもりか?」
腕を組んで見下ろしてくる。
なんでこんなに威嚇してくるんだ。怖いじゃないか。
それでも家に入れた事で、俺も幾分冷静さを取り戻す事が出来た。
「いや。アオと一緒に行動してるだけの、単なるプレイヤーだよ」
「アオというのは?」
「知らないのか?」
てっきりベル・ウェスの中で起こる事は筒抜けだと思っていたが、桃奈は憮然とした顔で首を捻った。これは頑張って来た甲斐があった。
「いちいち知るか。私は世界を作っただけだ。後のことはベル・ウェスが勝手にやっている」
「マジか。……じゃあモモの事は? モモも知らないのか」
「馬鹿か? 私以外の誰がDNAを組み込めるんだ。生まれた事も、死んだ事も承知している」
いやもう。違いが分からん。桃奈の常識は俺の想像では追いつかねーよ。
「青葉のDNAも組み込んだだろ」
そこで桃奈はピタリとフリーズした。何度か瞬いた後、少し震える声を出した。
「……生まれたのか?」
「ああ」
「……そうか」
桃奈は初めて、嬉しそうに頬を緩めた。
笑うとやはり、アオの面影があった。
「今、強いぞ。凄いスキルを手に入れて、アオに勝てる奴なんて、ベル・ウェスには存在しない。……スキルはあんたからのギフトなのかと思っていたが」
「さっきも言ったように、私は関与していない。アオが強くなったのなら、ベル・ウェスがそれを望んだという事だろう」
桃奈は視線を床にさげた。
そこには一つの旅行鞄が置いてあった。ゴロゴロの付いた奴だ。
「旅行?」
「ああ。空港に向かおうとしたら変態が表にいたんだ」
出来れば名前で呼んでくれませんかね。
じゃあ明日来ていたら、会う事はなかったのか。嬉しいような苦しいようなだ。
「飛行機、時間いいのか?」
「ああ、やめにした。どうやらそんな場合ではなさそうだ」
桃奈は思慮深げに瞼を下ろすと、少し考え込んだ。黙っていると、見惚れるほど綺麗だ。
「君はアオの存在を私に伝えに、わざわざ来たのか?」
「ああ。具体的にはサービス終了を阻止しに来た」
ゲームの宿命。サービス終了。
ベル・ウェスは今は人口も多いが、永遠に人気が続くという事はない。だがたとえプレイヤーが俺しかいなくなっても、ベル・ウェスを消さないでほしい。それは目覚めし者の消滅を意味するのだから。
直談判に来たつもりだが、まあアオの存在を桃奈が知っていれば、そんな事態にはならない筈だ。何故ならベル・ウェスはアオの為に作られた世界なんだろうから。
だからアオの事を伝えた時点で俺の目的は達成だ。
「アオ達にはいつまでもベル・ウェスの中で楽しく生きていて欲しいんだ」
桃奈も同じ気持ちだろ? そう思って言った言葉に、桃奈は皮肉っぽく口元を歪ませた。
「いつまでも、ね」
酷く馬鹿にした口調だった。
無知で憐れな存在を蔑むような嘲笑。何でだ? 死にたい。
「アオの為にベル・ウェスを作ったんじゃないのか? わざわざDNAを組み込んだんだろ」
「アオの為に作った訳ではない。組み込んだのも、単に私と青葉のDNAが、この世で最も優れていたからに過ぎない」
物凄い事を言い切ったなと思ったら、桃奈は考えを纏めるように、人差し指でこめかみをトントンと叩きだした。
「目覚めし者の消滅を防ぐ為にマザーハウスまで作っていたじゃないか」
「別の目的で作った物が結果としてそうなっただけだ。そもそも自我というものが、あれ程に脆弱だとは予想外だった」
アオ達から聞かされた、マザーハウスにいた桃奈。その印象とだいぶ違う。マザーハウスの桃奈は、本当に『マザー』のようだった。
だが現実の桃奈は、研究者の顔をしている。
桃奈にとってアオも目覚めし者も、研究の対象としてしか映っていないように思えた。
一気に不安が込み上げてくる。
ベル・ウェスがアオへの愛情から作られた物でないのなら、永続する保証がなくなる。何の研究か分からないが、桃奈が満足したらそれで終了してしまうんじゃないか?
俺、もしかして余計な情報を教えてしまったのか?
「……サービス終了、しないよな?」
桃奈はしばらく考え込んでいたが、考えが纏まったのか、ふっと顔を上げた。そして艶やかに笑った。初見がコレだったら惚れていたかもしれない、という笑顔だった。
「纏めると、君は善良なんだな」
「は?」
どこをどうして、そうなった?
「データでしかないアオを、生命だと認めている」
「そりゃ、まあ」
「それに、とても良い情報を持って来てくれた」
「どの情報のことか分からないけど、役に立ったんなら良かったよ。ってか、サービス終了しないって約束して欲しいんだが」
桃奈は、約束するさ、と軽い調子で請け負った。
「そんな善良な君に、一つお礼というか、お願いがある」
お礼とお願いは真逆だけどな。
心の中で突っ込む俺の前で、桃奈は飾られていた枝の置物に手を伸ばした。
それは大理石のような白い石で出来た枝の置物だった。
複雑に枝分かれしたそこには、葉っぱも花も咲いておらず、丸い実がいくつもなっている。そんな変わったオブジェだった。
桃奈は枝から一つ実を抜き取ると、俺に向かって差し出して来た。
「コレをアオに渡してくれ」
「は?」
実は真珠製だ。真ん中に枝が通る為の穴がビーズのように空いている。
見覚えがある。シャモアがよく拾っている物と同じだった。これが元ネタだったのか。
っていうか、コレを? アオに渡す?
「えっと、どうやって?」
「知らん。なんとかしろ」
……病院行けよ。
少し前に予告していたのですが
本業がバタついていたのと、ストックが無くなったので、長めの冬休みをいただきます。
次の更新は1月末です。せっかく読んでくださっているのにすみません。




