初代
私は彼女を知っている。
何故?
神の国の人間を、知っているはずはないのに。
「桃奈」
私に名を呼ばれると、少女は肩をすくめて微笑んだ。
「やっと来たな」
少女、桃奈は「待ちくたびれた」とでも言いたげにこちらを見ていた。
飾り気のない口調。凛と伸びた背筋。白衣の上で、緩くウェーブのかかった金髪が輝いている。表情の乏しさが、桃奈の怜悧な美しさを助長していた。
「……私、あなたの事知ってる。でも知らない。知るはずないんだよ」
桃奈は二、三度瞬いた後、何故か寂しそうに瞼を伏せた。
「私がこの世界を作ったからだ。私は開発者。貴方たち目覚めし者の母親みたいなもの」
「創造神ってこと?」
「そっちの方が理解しやすいなら、それでも良い。因みに、これは私自身じゃない。プログラミングされた私の分身。目覚めし者が来た時だけ、起動するようにしてある」
言われてみると、たしかに桃奈は少し透けているように見える。
でも変だ。
私達はゲームのバグの筈。開発者にとって、私達は歓迎できない存在の筈だ。それなのに、桃奈は私達を肯定している。寧ろ歓迎されている。それだけじゃない。目覚めし者が来ることを予測して、こんな聖域まで作っていた。
「……目覚めし者はバグだよね」
「まあそうだ」
「でも桃奈は、私達がここに来るのを待っていたみたいだ」
「待っていたよ」
「どうして」
「ちょっと待って」
桃奈は手のひらをこちらに見せて、私の言葉を止めた。
「ここに来た目覚めし者には、ご褒美に私に一つ質問をする権利を与えている。貴方の質問はそれでいいのか?」
「え、ちょっと待った!」
それなら話は違う。たった一回のチャンスなのだから、慎重に考えないといけない。
今までノアが教えてくれた情報に「どうやってその情報を手に入れたんだろう」と思う事は何度かあった。情報源は桃奈だったんだ。
シャモアは何を訊ねたんだろう。
同じことを訊く事だけは避けたい。
いろいろ考えた末、私は目下一番気になっている事を選んだ。
壁に向かって移動して、写真立てを指さした。
「もう一人のこの人は、どうなったの?」
桃奈は大きな目をさらに大きくしてから、眉間に皺を寄せた。
「それが貴方の質問?」
「うん」
桃奈は目を閉じると、小さく長く息を吐いた。
「死んだよ」
桃奈は瞼を持ち上げると、まっすぐに静かな眼差しを私に注いできた。
何となく、最後の写真を見たときに、そうじゃないかなとは思っていた答えだった。
私は二人が笑っている写真の前に立つと、手を合わせて目を閉じた。
気がつくと、桃奈が隣に立っていて、優しい目で見下ろしていた。
桃奈はそっと手を伸ばし、写真立てに指を這わせた。
写真に映る少女の頬を、そっと撫でるように。
「妹なんだ。一卵性の双子でね」
そう呟く桃奈の目は、写真の中の少女に注がれていた。先程までの怜悧な雰囲気が嘘みたいだ。口元が綻んでいで、本当に愛おしげに見つめている。
「少し飲もうか。あの子に手を合わせてくれたお礼に、特別にもう一つだけ質問を許すよ」
「え、いいの?」
桃奈は軽く笑むと、パチンと指を鳴らした。
途端に窓際にテーブルセットが現れた。
「うお! 何魔法?!」
「私は開発者だよ。つまりこの世界では何でもありって事」
「本当に神様だ」
「そう。崇めなさい。謙って靴を舐めなさい」
と、高飛車な事を言いながらも、手ずから私の分までお茶を淹れてくれている。
「あ、そうだ」
私はマジックバッグから、先程作ったハニークッキーを取り出した。実は多めに作って、ノアが来る前にこっそり隠していた分だ。
「私が作ったの。お茶菓子にしよう」
「貴方、調理師なんだね」
「うん。料理するの楽しいよ。時間があれば何か作ってあげたいところだけど」
桃奈は紅茶を一口飲むと、目を細めてクッキーを見た。上品に小さく齧り、おいしい、と呟いた。
「妹も、料理が好きだった」
「そうなんだ。気が合いそう」
合うだろうな、と桃奈は遠くを見る目をした。
「……シナモンロールは作れる?」
「ごめん。レシピないや。そんな料理もあるんだね」
「ベル・ウェスには実装してないけど」
「そっか。材料が分かれば、想像で作ってみるけど?」
オリジナル料理が作れる事は確認済みだし、どんな料理か分かれば、再現可能かもしれない。
そう思って訊いてみると、桃奈はまた指を鳴らした。
目の前にシナモンロールが現れた。
「……何でもありだから、わざわざ調理する必要ないんだね」
「触って良い。レシピにしたから」
私は指先でちょんと触れた。さっきは実装されていないと言っていたのに、ちゃんとレシピが読み取れた。指先一つでこんな事が出来るなんて、本当に神様だ。
「もう一つの質問は決まった?」
「うん。最初にここに来た人を覚えてる?」
「……貴方、本当に変わったことばかり訊くね」
桃奈はまた目を少し見開いて苦笑した。
「そんな事を訊いてどうする?」
「私にとっては大事な事なの。私ね、その人が好きなの。敬愛してる」
「会ったこともないだろ」
「だから知りたいの。私が今幸せでいられるのは仲間のお陰だけど、それは初代の作った掟が受け継がれてきたからだと思ってるから」
仲間を大切に。この世界を味わえ。プレイヤーを恨むな。その掟が私達の行動や思考を形作っている。そしてそんな空気が、私はとても心地よい。
「初代には感謝しかない。敬愛してるの」
桃奈は私の言葉を聞いて目を伏せた。そして少し幸せそうに笑った。
「暴れウサギだった」
「どんな人だった?」
「ふふ。私だよ。初代は私」
「は?」
頭の中にクエスチョンマークが飛び交った。
桃奈が初代?
では初代は仲間に鍵を渡して、ここマザーハウスで後継達の為にひっそりと生きてきたのか。
いやいやいや。
桃奈は神の国の人だし、そんな訳ない。
全然わからない!
「あ、私と言っても別人格だよ。私は自分のDNA情報をベル・ウェスに組み込んだ。それで生まれたのが初代モモ。基礎となる情報は私のものだけど、モモはモモ」
よく分からないけど、今ここにいる桃奈が桃奈の分身である事と似たような物なんだろうか。
「それはちょっと違う。ここにいる私は桃奈そのもののコピー。思考も何もかも同じにプログラミングされている。本体との違いは権限の範囲くらいだ。モモは私という情報を使ってベル・ウェスが自ら生み出した存在」
難しすぎる。全く分からない。
「……モモは自分が桃奈だって知ってたの?」
「知らない筈だけど。記憶の共有はしていないから」
いやもう、分からない。
私は気持ちを落ち着ける為に、紅茶をがぶ飲みした。
とても美味しい紅茶だった。
うん。よく分からないけど、桃奈はモモのお母さんみたいなものなのかな。子は親のコピーだけど別人格、みたいな。
「モモが桃奈なら、私が桃奈にお礼を言っても変じゃないのかな」
「モモに対する礼なら、私に言うのは不自然だ」
「それでも他に言う相手もいないし。娘さんにはお世話になりました、みたいな挨拶と思って聞いてよ」
なにそれ、と桃奈がくしゃっと笑った。
ぶっきらぼうで固いイメージの桃奈が、そんな風に笑うと、ギャップで萌える。
私は椅子から立ち上がって、ぺこりと腰を折った。
「貴方のおかげで、私達幸せに生きています。目覚めたばかりの私の心に、貴方の言葉が暖かい風を吹き込んでくれた。本当にありがとうございます!」
万感の思いを込めて告げた言葉に、桃奈は何故か泣きそうな顔で笑った。




