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異変

 いきなり目の前に現れた私たちを見て、シュウがよろけた。


「わ。なんだ? 消えたと思ったらいきなり出てきて。それ何のスキルだ?」

「いや、スキルじゃない」


 絶対時間です。とは言えず、それ以上の説明は出来なかった。

 言葉足らずな短いノアの答えに、シュウは少し固まったが、すぐに諦めたように肩を竦めた。


 この時、私は始めてシュウを冷静に見た。

 最初に会った時は、高位のプレイヤーと言うだけで、ただただ恐怖の対象でしかなかった。

 だが改めて見てみると、とても穏やかそうな人物だった。


 さらさらとした青髪に深いグレーの瞳。バトルでは桁違いの実力とオーラを纏っていたが、今はどちらかと言うと覇気がない。人畜無害な感じの人だった。


「あー。まあいいや。それよりそこのゴブリン。モスたちの連れかい?」


 泉から少し離れた場所に立つ大きな木の上に、セレヌンティウスがいた。

 あ、忘れてた。バトルの間見かけなかったけど、木の上に隠れていたんだ。

 ちゃんと生きていた事にほっと胸を撫でおろした。

 それにしても、ゴブリンを見て私達のツレと思うなんて。シュウの中で私達ってどうなっているんだろう。


「セレヌンティウス。もう大丈夫だから降りておいで」


 セレヌンティウスはおずおずと降りてくると、涙をためた目で頭を下げた。


「すみません。僕だけ隠れるような真似をして。皆さんが必死に戦っていたのに」

「上手に木に登れていたでござる。安心したでござるよ」

「護る余裕もなかったからな。お前は隠れる事が、全員にとって最善の策だった」

「う、ありがとう、ございます」


 ゴブリンの涙がほたほたと地面に落ちた。


「お礼を言うのは私達にじゃないよ」


 私はシュウに向かって両手をひらひらさせた。


「お礼ならシュウに。私たちが生きているのは、ひとえにシュウのお陰だから」


 私達は居住まいを正すと、四人一列に並んで深々と腰を折った。慌てたようにセレヌンティウスも追従する。


「命を救って頂き、ありがとうございました!」


 本当に、シュウが偶然来てくれなかったら間違いなく全滅していた。

 脱兎が失敗することはあっても、まさか弾かれるなんて考えてもみなかったのだから。

 気が緩んでいた、という事なのだろう。


 一斉に頭を下げられて、シュウは小さく苦笑した。


「いや、俺も楽しかったから。ギリギリのバトルも久しぶりだったし。予想外の事も沢山起こったしな」


 意味ありげに微笑まれて、暗に私とシャモアの存在を怪しんでいるのだと伝えて来た。

 説明するのが筋だと思う。それに説明すべき相手はシュウだけじゃない。新しい仲間となる予定のセレヌンティウスとフェルディナンドとも、話し合いが必要だった。


「……このまま礼だけ述べて終わりに出来るとは思っていない。シュウの望みがあれば受け入れる用意はある。だがその前に、俺達にはやるべき事がある。少し時間をくれないか」


 ノアが言葉を選びながらシュウをじっと見つめた。ノアの真摯な眼差しは、何故か私の胸も打った。


「お礼なんて必要ない。やるべき事って何だ? 街に戻るのか?」

「いや。シーハオ草原に行く」

「は?」


 シーハオ草原と聞いてシュウの穏やかな眼差しが険しくなった。

 そして、幾分呆れたようにため息をついた。


「アンゲスリュートの夜のフィールドはレベル99の独壇場なんだ。低レベルは街の中に下位クエストが用意されてるから、それで遊ぶものだ。折角生き残ったんだから、今夜は街に大人しく帰ることを薦める」


 どうやら心配してくれているようだ。そう言われても、私達は街には入れない。

 

「だが、仲間を待たせている」

「街で落ち合えばいいだろ」

「……」


 返事に窮していると、シュウが大きくため息をついてガシガシと頭をかいた。


「分かったよ。どうしてもフィールドに行くって言うなら、俺も同行する。それで用事が終わったら安全な場所までおくる。それで手を打てよ」


 人が良すぎる。

 神の国の人ってみんなこんなに慈悲深いんだろうか。いや、慈悲深い人は虐殺主体の世界に遊びには来ないか。


「分かった。では行くぞ。シーハオ草原!」


 私達はシーハオ草原へと転移した。



――――――――――



 拠点。

 横たわっているフェルディナンドを全員で囲み、固唾を飲んで見守った。


 花から作った薬を飲ませて五分ほどが経過している。

 浅い息を繰り返すフェルディナンドの腹部の紫が、じわじわと肌の色に変わっていく。


 肌の色、といってもゴブリンは緑なので緑色だ。


 やがて完全に緑一色になった時、全員が溜息をついて脱力した。


「はぁー。良かったぁ。苦労した甲斐があったよ」


 私も両手を胸に当てて笑った。

 フェルディナンドはのそりと身を起こすと、セレヌンティウスと並んで正座をした。そのまま床に頭を擦り付ける。


「本当にありがとうございました。皆さんは僕たち二人の命の恩人です」

「そんなのは良いのよ。同志じゃない」

「同志?」

「そう。そうよ。今まで二人だけで生きて来たのかしら?」


 リディスの問いに、生真面目に二人は頷いた。


「大変だったでしょ」

「それはまあ。……でも二人でしたから」


 二人は顔を見合わせて、頷き合っている。互いを見る目に、信頼と愛情が滲んでいるのが手に取る様に分かった。


「俺たちと一緒に行動する気はないか?」


 いきなりノアが直球を放り込んだ。

 急な申し出に二人は目をパチクリさせている。


「俺たちもお前らと同じ、目覚めし者だ。俺たちは仲間は見捨てない。一考する価値はあると思うぞ」

「……目覚めし者?」


 二人の瞳孔が揺らいだ。理解のできない幽鬼に出会ったかの様に、動揺している。


「自我のあるモンスター、と言った方が分かりやすいか? お前達の目的が『生きる』という事ならば、俺たちと同じだ。そのためには人数は多い方が良いと思わないか」

「……生きる……」


 二人が精気の抜けたような顔になり、身体が小刻みに震え出した。だが目だけは異様なほどに爛々と見開いている。


「……自我」

「……生き……残る」

「? そうだ。俺たちは生きる為の多少のノウハウを持っている。暫くは行動を共にして学ぶのも良い」

「ナカ……マ……」


 二人の様子がおかしい。

 目を見開き全身を痙攣させた様に震えているのに、正座の姿勢を崩さない。

 途切れ途切れの言葉か、地を這うような低い声になった。それはまるで低速再生の様な。


「ボクタチハ、イく……ピーー……あルノ……ピーガー……、コ……コでオ……ワカレで…ピー」


 やがて機械音のようなノイズが混ざり始め、身体はガタガタと音が鳴るほどに激しく揺れた。

 まるで身体の中で何かと戦っているようだ。

 何かに憑依されているようにも見える。


「……ピーガガー……セス、キー……ピー……カ……グヤ……ヒメ」


 ……っ怖い!


「な、何なの?」

「わ、分からねーよ!」

「カグヤヒメと言ったでござるか?」


 私は無意識にブランの手を握っていた。

 ノアのこめかみに一筋の汗が流れた。


「……バグか?」


 二人の痙攣はさらに激しさを増し、もはや輪郭を保てないほどの速さになった。

 耳障りな機械音が拠点内に響き渡る。

 耳を塞ぎたくなるほどの騒音になった時、ぷつんと糸が切れたように動きが止まった。


 正座をしたまま、手は力なくだらりと下がり、ガクンと首だけが下を向いている。


 拠点内を静寂が包んだ。

 誰も口を開けない。得体の知れない恐怖が空間に染み付いていた。

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