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アンゲスリュートの夜

 草原に移動してから数日が経った。


 草原は採取ポイントが多い上、ドロップも美味しい良いフィールドだ。


 ブランとの早朝特訓は変わらず続けていて、今ではモスも参加している。


 草原の朝は心地良い。草の上の朝露が朝日に照らされて輝き、宝石を敷き詰めた絨毯のように見える。


 ブランが挑発を連発している間に、モスは気功を発動。私とモスで烏兎匆々でモンスターを倒し、最後の一体になったら脱兎で逃げる。新鮮な空気を吸いながらの小一時間程の特訓は、朝食前の丁度良い運動だった。


「二倍速にもだいぶ慣れてきたな」

「で、ござるな。アオ殿さえ良ければもう一段速くしてみたいでござる」

「明日からやってみようか。今日はそろそろ時間だし」


 後一戦だけしてあがろうか、そんな話をしていた時。何の前触れもなく、突然に


 ゴオオォォォォン……。


 腹の底まで染み渡るような鐘の音が響き渡った。


 心臓を直接叩くような大音量。低く、重厚な鐘の音はいつまでも余韻を引きずって草原の空気を震わせている。

 暗いその響きは、とても不吉な雰囲気を放っていた。


 音が遠ざかると共に、急に辺りが暗くなってきた。


「な、何?」

「おい! あそこを見ろ」


 ブランが指し示した先に、信じられないものが見えた。

 視線の先、西の空が赤く染まっていた。

 赤いグラデーションに紫の絵の具で筋を描いたような、夕暮れの空が広がっていた。


「夕焼け?!」

「まだ早朝でござるよ!?」


 何が起こったのか分からない。

 赤と紫の描く、毒々しい夕暮れの空を呆然と見つめた。


 ゴオオオオォォォォォオン……


 二度目の鐘が地を這うように響いた。すぐ側の木から、烏が飛び立ち、黒い影となって夕焼け空を渡っていく。


 何が何だか分からずに、私たちは立ち尽くした。ただこれが、良い事でないとだけは分かった。これを吉兆と思うには、あまりにも空気が不穏すぎた。


「すぐに戻れ!」


 静寂を割って、ノアの声が響いた。

 チャットで話しかけてきている。切迫した声で怒鳴るように告げてきた。


「アンゲスリュートの夜だ!」

「アンゲス……?」

「兎に角走れ! 説明はするから走りながら聞け!」


 モス、ブランと視線を合わせて頷き合う。

 私は暴れウサギにフォルムチェンジすると、背中にブランを乗せた。

 ブランは足が遅いので、こっちの方が早いのだ。


 拠点へと走りながらも、耳だけはノアの説明に集中させる。


「アンゲスリュートの夜とは、ゲーム内で開催されるイベントの一つだ。ベル・ウェスタリオのどこかのフィールドに、アンゲスリュートの居城が出現する。夜が明ける前にその城をクリアするというミッションだ」


 アンゲスリュートはこの世界の死の神の名前だ。

 私は走りながらも周囲を見回した。今のところ城の姿は見当たらない。城は草原ではない別のフィールドに出現しているようだ。


「大丈夫そう。城は見えないよ」

「城の攻略がメインクエストだが、アンゲスリュートの夜はそれだけじゃない。シークレットクエストが乱立し、採取ポイントも追加され、フィールドの野良モンスターも強化される。いいか、決してエンカウントするな。今や出会う全ての敵が赤目だと思え!」


 赤目。その単語だけであのバトルを思い出して鳥肌が立った。走りながらも視界に見切れる見慣れた草原のモンスター達が、とてつもなく恐ろしく感じる。

 私は出会い頭のエンカウトを避けるため、気配探知をしながら疾走した。


 その時、先頭を走っていたモスが、いきなり立ち止まった。

 勢い余ってぶつかりそうになって慌てて止まる。反動でブランが背中から転がり落ちた。


「いってぇ! モス、急に何なんさー」


 ブランが鼻をこすりながら抗議した。

 モスは一点を見つめていた。


 百メートル程離れた場所にある、大きな樫の木。その根本を指差す。


「あれ……」


 樫の木が作り出す深い影に潜むように、一匹のゴブリンが佇んでいた。


「ゴブリンがなんでここに」


 普通の野良なら、ウロウロと辺りを歩いているのに、そのゴブリンは途方に暮れたように立ち尽くしていた。そして、頬には一筋の涙が光っていた。


「どうした?」


 こちらの異変を感じ取ったのだろう。

 ノアがチャットで問いかけてきた。


「ゴブリンがいるでござる。恐らくは……目覚めし者でござろう」

「……詳しく話せ」

「草原にいないはずのゴブリンがいるでござる。旅人装備をしているでござるが、普通のゴブリンもそうでござるか?」


 違う。モスはゴブリンを見たことがないので判断できないだろうか、旅人装備はレベル1からの装備だけど、普通のゴブリンはボロ布を巻き付けているだけだ。


「後、泣いてる。つまり感情があるってことだよ」

「間違いなさそうだな。くそっ、こんな時に」

「声をかけて良いよね?」

「当然だ。放っとけば、その装備じゃアンゲスリュートの夜は越えられないだろう。取り敢えず引っ張って来い」


 ゴブリンという事は、ツティーシニー平原出身だ。旅人装備でよくシーハオ草原まで来れたものだと感心する。絶対時間を駆使してたどり着いたのかもしれない。


「急いで声かけるぞー。ボヤボヤしてると俺らもヤバい」

「りょーかい」


 ゴオオオオォォォォォオン……


 鐘はまだ鳴り続けている。


 私たちは、怖がらせないように、泣いているゴブリンにそっと近づいた。

 慎重に。焦る気持ちを押し込めて、敵意がないと分かるように穏やかに。


 モスの時のように、追いかけっこをする余裕は今はないのだから。

次は月曜日に投稿します。

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