043.注意散漫、あるいは
043
ふと、我に返った。
《第二館》。その最上階の、教室へと続く曲がり角で、僕は我に返った。
本来、《僕》がそんなことを起こすはずがないのだ。しっかり正面を向く伸のその姿を写し続けている《僕》が、出会い頭に誰かとぶつかってしまうことなんて。
「うわっとと!」
一人の男子生徒が少しよろめいてなんとかといった具合に体勢を立て直す。その腕の中には、《僕》と直接ぶつかった女子生徒が抱き支えられている。二人が並んで歩いているところにぶつかってしまったらしかった。
僕が感じた衝撃はごくわずかなものだったのだが――こうなってしまっては言い訳がましく響くだろうが――相手の女子は大きくのけぞった。必要以上に、と言っても良いほどに。
見るとスカートの裾から覗く足首はひどく細かった。ひどく白くもある。
顔を上げると、ブレザーに隠されて腕は見えないが、僕を見つめるその顔もひどく白い――倒れそうになったことに青ざめているのかもしれなかった。整った顔立ちだともいえるが、まず目につくのはその真っ白な肌であり――そのせいで、《美しい》とか《可愛い》といった印象は全部《儚い》だとか、もっと言ってしまえば《壊れやすそう》だという印象に書き換えられてしまう。
黒ならぬ、白い絵の具で塗りつぶされるように。修正されるように。
そしてその目は焦点が定まらないようにフラフラと僕の目の辺りの宙を覗いている。体調不良で保健室に行く途中だったのかもしれない。
「すみません。ぼくがちゃんとしていないばっかりに……めーちゃんも、ごめんね」
男子は女子を立ち上がらせると、柔和な笑顔で僕に向かって軽く頭を下げる。
「お怪我はないですか?」
男子は、ともすれば自身が加害者だとでも思っているかのような腰の低さで続けた。
謝るべきはこっちの方だろうに。
――いえ、その、僕の方こそすみません。と、僕はそう言った。つもりだった。
折姫さんの前でならばいざしらず、誰かを現す《僕》がいるというこの状況では、僕が僕としてちゃんと話せているかを確認する術はないのだった。昨日のように素っ頓狂なことを口走りでもすれば周りの反応からそれを察することもできようけれど、この場合ではそうもいかない。
なにはともあれ――話は終わりだとでも言わんばかりに会釈をして歩いて行く二人を見る限り、《僕》か僕は当たり障りのない言葉を紡げたようだった。
もしかすると、僕の隣で一緒に謝ってくれている伸のおかげなのかもしれなかったが。
その二人が僕の前を通り過ぎていく――その瞬間。
《気をつけなさいよ》
「え?」
「? ……どうかしましたか?」
咄嗟に、僕は声を漏らしてしまう。今回はしっかりと漏らせている。突然声をあげたならば多くの人はそれに反応するだろうからだ。
「どしたの? ゲンちゃん」
伸が反応して、心配そうに声をかけてくる。
何度も何度も心配をかけるようで心苦しかったが、僕は《僕》の件と同様に、今の出来事について彼女に話すことはできそうになかった。
* * * * *
いえ、なんでもありません。僕がそう言えたかどうかは判然としないが、二人組が階段を下っていくと、伸が僕を肘でつついてくる。
「今の娘、可愛かったね。ゲンちゃん見とれてたでしょ? 突然声なんて上げちゃって」
このこの、と僕のことをいじる彼女には、やはり――
「ああいう娘ってどんな声してるんだろうね? お姫様みたいな声してるのかなー?」
やはり、あの女子の声が聞こえていなかったのだ。




