↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルフ料理は手紙である  作者: 羊皮紙のヤギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/3

第3話 看板

 店を出すには、まず名前が要る。


 俺は三日かけて考えた。候補は六つあった。


「スローライフ食堂」


 紙に書いて彼女に見せた。彼女はしばらく眺めてから、首を振った。


「読めません」


「あ、そっか。ごめん」


 考えてみれば当たり前だ。俺の字で書いても、伝わらない。


 発音を書いて、もう一度見せた。


「すろう、らいふ、しょくどう」


「すろうらいふ」


「うん」


 彼女はもう一度紙を見て、それから言った。


「意味は、なんですか」


「のんびり暮らす、食堂」


 彼女は少し黙って、首を振った。


「いい名前です。でも、これはあなたの店の名前です」


 俺はそうか、と思った。俺の店。俺の名前で出す店。名義人は俺で、奴隷は店を持てない。だからこの店は、制度の上では全部俺のものだ。名前をつければ、それは俺の名前になる。


「じゃあ、なんて名前にする」


 彼女は答えなかった。「あなたが決めてください」と言って、台所に戻った。


 結局、俺が決めた。看板は「エルフ料理 リュシー」。


 安直だと思う。でも彼女の名前を入れたかった。理由はうまく言えない。持っている、という感じがしないようにしたかったのかもしれない。名前を入れておけば、少なくとも看板の上では、この店は二人のものに見える。


 準備は二週間かかった。


 表の窓口を広げて揚げ場を作り、中に席を六つ置き、仕切りを一枚立てて、その奥にエルフ用の厨房を作った。


 エルフ用、というのが難しかった。俺には何がエルフの料理なのか分からない。彼女が器具を選び、鍋を選び、包丁を選び、そのうえで俺にこう言った。


「この奥には、入らないでください」


 ちょっと傷ついた。でも、そういうものかと思った。秘伝なんだろう。うちの唐揚げだって、粉の配合は誰にも教えていない。


 書類は俺の名前で出した。名義人、三上陽太。奴隷、リュシー。


 窓口の男は紙を見て、少し笑った。


「優しいご主人様だな」


 そう言われて、俺は黙っていた。言い返す言葉が見つからなかった。


 開店の日は晴れた。


 朝の八時に戸を開けて、十一時まで客は来なかった。十二時になっても来なかった。


 俺は窓口の前に立っていた。彼女は奥の厨房にいて、仕切りがあるので顔は見えなかった。音だけが聞こえた。包丁の音が、一定の間隔で鳴っていた。


 二時になって、俺は椅子に座った。三時になって、揚げるのをやめた。


 四時。通りを馬車が通った。


 馬車は店の前で止まった。御者が降りて扉を開け、中から女の人が降りた。四十くらいで、服が明らかに高い。袖の刺繍が遠目にも細かい。


 そのあとから、もう一人降りた。灰色の服の、若いエルフだった。


 女の人は店の前に立って、看板を見上げた。


「エルフ料理、リュシー。……まあ」


 それから俺のほうを見た。


「あなたが、名義人の方?」


「はい。三上陽太です」


「ローレンです。ローレン伯爵の妻をしております」


 俺は頭を下げた。伯爵の妻。この店に、そんな人が来るとは思っていなかった。


「新聞で見たの」


 夫人はそう言った。


「新聞」


「社交欄。『奴隷に故郷の味を食べさせる店がある』と」


 俺は新聞に載った覚えがなかった。誰が書いたんだ、と思った。思ったが、訊かなかった。


「最近流行っているのよ。きちんとした家では、自分のエルフに、きちんとしたものを食べさせるの」


 夫人は扇子で自分の首のあたりを扇いだ。


「うちのティナは、故郷の味を、もう十年も食べていないの」


 後ろのエルフが小さく頭を下げた。ティナ、という名前らしい。


「エルフの料理は、うちの子が作ります」


 案内しながら、俺はそう言った。うちの子、という言葉がすっと出て、自分でも少し驚いた。


「まあ。あなた、いい主人ね」


 夫人はにっこりした。


「そういうの、大事よ。今の時代」


 席に案内した。夫人が上座、ティナがその隣。夫人は自分の前に来た皿を、ティナの前に押しやった。


「ほら。遠慮しないで」


 ティナは皿を見ていた。それから匙を持って、一口飲んだ。


 止まった。


 匙を持ったまま、止まった。まばたきもしなかった。それからゆっくり、二口目を飲んだ。


 涙が出ていた。


 夫人がそれを見て、嬉しそうに言った。


「ほら。泣いてる。よっぽど懐かしかったのね」


 俺も、そうだと思った。故郷の味なんだろうな、と思った。十年も食べていなかったんだから、そりゃあ泣くよな。


 俺は奥の仕切りを見た。


 包丁の音は、いつの間にか止んでいた。


 止んで、それからまた鳴り始めた。同じ間隔で。


 ***


 その日、店の売上は二皿分だった。


 夫人は代金を多めに置いていった。俺はそれを数えて、手が震えた。三日ぶりに明日の粉が買える。


 ティナは帰り際に俺のほうを見て、一度だけ頭を下げた。夫人はその背中に手を添えていた。優しくなでる、というやつだった。


 二人が戸を出たあと、片づけをしていて気づいた。椀を二つ出したのに、戻ってきたのは一つだけだった。


 持って帰ったのか。


 数え直した。一つだった。


 気に入ったのかな。


 そう思った。この店の椀は、町の道具屋で買った安物だ。気に入るような代物じゃない。だが、エルフの客はときどき、そういうことをする。皿を一枚、匙を一本、布巾を一枚。何も言わずに持って帰る。故郷を思い出したのか、ただの記念か、俺には分からない。


 次の日、夫人が来たとき、それとなく訊いてみようかと思った。


 やめた。


 (皿一枚で気まずくなるのは嫌だ)


 俺は椀を一つ、棚に戻した。


 欠けた一枚のことは、そのまま忘れることにした。


 彼女は戸口まで見送りに出なかった。台所の奥で皿を洗っていた。洗い方が丁寧だった。水を替えて、もう一度洗って、布で拭いて、伏せて、また拭いて。


 俺はその背中に声をかけた。


「今日、どうだった?」


 手が止まった。止まって、少しして、また動いた。


「あの人は」


 彼女は言った。


「あの人は、また来ますか」


 俺はほっと息をついた。


「来るんじゃないかな。気に入ったみたいだし。泣いてたし」


 彼女は頷いた。それだけだった。


 店が、ようやく少しだけ回り始めた気がした。


 その晩、布団の上で銅貨を数えた。数え終わって壺に入れた。壺はまだ軽い。二千四百枚には、ほど遠い。


 俺は天井を見て、明日のことを考えた。


 明日も、昼から店を開ける。夫人が来るかもしれない。来たら皿のことを訊いてみようか。訊かないほうがいいか。訊かない。訊かないで、もう一枚、出そう。気に入ったなら、また出せばいい。


 明日の夜は粉を買いに行く。屋台の分と店の分。金は足りる。


 そこまで考えて、俺は寝た。


 ***


 翌朝、店の裏口を開けると、包みが置いてあった。


 布に包んで、紐で結んである。紐の結び方が丁寧だった。


 開けた。椀がひとつ。昨日、足りなかった椀だった。


 洗ってあった。縁を、布で拭いた跡があった。


 返しに来たのか。


 律儀だな、と思った。持って帰って、洗って、包んで、夜のうちに返しに来た。この店の椀だから、返さなければならないと思ったのだろう。そういう育ちなんだな、と思った。


 (でも、なぜわざわざ)


 売上は二皿分。椀代は銅貨三枚。三枚のために、夜中に歩いて戻ってくる。


 律儀なのか。それとも。――なんだ。


 椀の中には、何も入っていなかった。


 ひとつだけ、針の先ほどの黒い点があった。焦げた跡かもしれなかったし、椀を焼いたときの釉の不良かもしれなかった。


 俺はその点を、親指でこすってみた。


 落ちなかった。


 (まあ、いいか)


 裏口の棚に戻した。


 それから店を開けた。今日も二皿売れれば、明日の粉が買える。


 ***


 一人目、受信を確認。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。