11:選ぶ理由と選ばれる理由
『君は考えている顔がすごく綺麗だね』
あれは、浮気になるんだろうか。
ルイスは、どう思っているんだろう。
「ロア――」
彼に名前を呼ばれて、刺さる痛みを覚悟した。
「――なんの本読んでたの?」
ルイスはあっさりと、まるで世間話みたいに言う。
返事をしないロアの方へ、ルイスが振り返った。
「ラミアの本、読んでたの」
「ラミアか。村には一冊しかなかったね」
ルイスはまた、前を向く。
なんだ。いつも通りだ。
ロアはほっと息をつく。そして、当然だと思った。この世界線で、ルイスはまだ婚約者ではない。
まず、安心した。それからすこし悲しくなった。
目の前の彼の中には、二人きりで過ごした日々も、二人で積み上げた信頼も、なにもないんだ。
ロアは視線を落とし、カーペットに鈍く落ちる二人分の足音に、耳を澄ませた。
アーチを潜った先は、また見慣れた本棚だと思っていたのに、違う。
そのアーチの先には扉が並び、石壁に沿って面接を待つ受験者たちが立っていた。
ロアとルイスは案内係の騎士に促され、手の甲の紋章を見せた。それから列に並び、五つの扉へ受験者たちが入れ替わり入っていくのを眺めていた。
ロアの順番は、十分もたたずに来た。
「失礼します」
案内された部屋に入ると、縦長の窓と長机があった。その向こうに、騎士の制服を着た四人の面接官が座っている。
面接会場らしい、圧迫感だった。
「ロア・リーヴさん」
「はい」
「どうぞ、座ってください」
ロアが椅子に座ると、面接官の男は「えーっと」と軽い口調で言いながら手元の紙を眺めて、それからロアを見る。
そして、笑った。
「今日一日、施設を回ってみてどうでした? 楽しかったですか?」
世間話みたいな問いかけに、ロアは少し戸惑いながら口を開いた。
「はい。楽しかったです。すごく」
「それはよかったです。具体的に、どういった所が?」
「図書館にいる時間が楽しかったです」
「図書館ですか。どういう理由で楽しかったんでしょう?」
「私の村にも図書館がありますが、本を読み終える度に、読み切ってしまって楽しみが無くなったらどうしようと思いました。だけどここには、一生かかっても読み切れない量の本が置いてあります。それがなんだか……わくわくしました」
「興味深い本には出会えましたか?」
「はい。ずっと読みたいと思っていた本がありました」
普通の会話なのに、心地よかった。
問いかける面接官は笑顔を絶やさず、他の三人も頷きながら時折メモを取っている。
肩の力が抜けているのが、自分でも分かった。
「受験者の中で魔法を使えなかったのは、あなただけでしたね。どんな気持ちでしたか?」
「すごく焦りました。百人もいるのに、私だけだったから」
「結果的には、魔法を使えなかったから図書館で過ごせたわけですが、これをどう思いますか?」
「魔法が使えなくてよかったって思いました」
ロアがそう言うと、四人の面接官は笑った。
「最後に、ひとつだけ。ロアさんはどうして騎士になりたいと思ったんですか?」
マーテル城の中で死んだシェルがよぎる。それから、トアルの村で笑うシェルを思い出した。
それはロアの心の中であっという間に溶けて、代わりにぽつりと、なにかを灯した。
ロアはこぶしを握り、それから短く息を吐いた。
「なんとなく、志願しました」
面接官は、嫌な顔一つせず、また軽く何度か頷いた。
「でも、施設を回って思いました。私は、ここにいたい。ここで、いろいろなことを学びたいです」
ロアの返事を聞いた面接官は、笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。面接は以上です。退出されて結構です」
ロアは面接官に頭を下げて、部屋を出た。
ぱたんとドアが閉まったあと、あたりを見回したがルイスはいなかった。
ロアはその場を少し離れ、廊下の壁に寄り掛かった。
ゆっくりと息をつく。
別の部屋で面接を終えた受験者たちが、ロアの前を通り過ぎていく。
いくつもの足音が、カーペットに吸い込まれて鈍い音を残して消える。
「ありがとうございました」
女は面接官に頭を下げ、ドアを閉めた。
彼女は、ロアの目の前を通った。
ただの、景色だったはずなのに、ロアの世界は、ピタリと止まった。
凛と伸びた背筋。
質のいい黒い髪。
見覚えのある顔。
強い意志を持つ目。
――アメリア
二度目の人生で、シェルと結婚した女性だ。
動け。
動くな。
いや、動け。
脳みそが、体に正反対の信号を出している。
その様子をただ、傍観していた。
「ロア」
名前を呼ばれて振り向いたロアは、すぐにアメリアを探した。
彼女は、すでにいなかった。
「知り合いでもいた?」
ルイスの声を聞いても、心臓はまだ、深い音を立てていた。まるで死線を潜り抜けたみたいに。
「……ううん」
アメリアは、貴族だ。
それも、王族と結婚できるほどの身分。
そんな彼女が、どうして一般試験を受けているのか。
ロアはしばらく、アメリアが去ったほうを見つめていた。
王都・マーテル研究施設の、とある部屋の中。
暗い部屋の中に、向かい合うソファが二つ。
受験者たちを案内した、色を持つ騎士が四人、背もたれや肘置きに深く背を預けて眠っている。
黄色の紋章の男は小さく呻き声をあげて、それからゆっくりと目を開いた。
その視線は、ぼんやりと床を捉えている。
「おはよう」
その声は、目を覚ました案内役の騎士のものではなかった。
案内役の騎士たちが眠る場所より上、数段高い空間から声が飛んだ。
そこは、ステンドグラスから溢れた太陽光が、暗闇を淡く照らしていた。
男が二人と、女が二人。
一つの円卓を囲む四人は、下にいる案内役たちを見下ろしている。
「気分はどう?」
重ねて声をかける男に、黄色の紋章の男は頭を抱えて、掠れた声で呟いた。
「はい。悪く、ありません」
「よかった。身体、貸してくれてありがとう」
男は「ゆっくりしてて」と付け加えながら、目の前の円卓を眺めた。
そこには、名刺ほどの紙が無秩序にばらまかれている。
「じゃあ、まずは役割を全うしようか」
そう言うと男は、右手で自らの左手の甲に触れた。
そこには、黄色の紋章が浮かびあがる。
手の甲に緑の紋章を浮かべた女は足を組み、興味無さげに長い髪を払うと、肘をテーブルに押し付けた。
「5分で決める。まず、施設案内に参加しなかった受験者は、全員排除だ」
緑の紋章の女はそう言うと、手のひらを上に向けて指先を持ち上げた。
無秩序に並んでいた紙は、半分ほどが宙に浮き、あっという間に引き裂かれた。
その紙吹雪は、ゆっくりとあたりを舞っている。
「あーあ」
手の甲に赤い紋章を浮かべた男は、足を組んで舞う花吹雪を仰ぐ。
黄色の紋章の男は、腕に張り付いた紙吹雪に軽く息を吹きかけた。
「必死になる順番を間違えたのね」
手に青い紋章を浮かばせた女は、薄く笑っていた。まるで今日の天気でも口にするみたいに。
――コン、コン
黄色の紋章の男は、指先でテーブルを弾いた。
彼の指先の下には、〝ルイス・ミレイン〟〝アメリア・フェルナード〟の文字があった。
「どこも欲しいのは、ルイス・ミレイン。どこも欲しくないのが、アメリア・フェルナード……って感じ?」
黄色の紋章の男の言葉を聞いて、次に口を開いたのは緑の紋章の女だった。
「ルイス・ミレインはうちにもらう。こいつはどこでも即戦力。だが、長い目で見て、うちでしかできないことがある」
緑の紋章の女がそう言うと、三人は口々に同意を示した。
「じゃあ次は、アメリア・フェルナードね。彼女はとても優秀よ。本当なら、うちに欲しい。だけど、本人は戦闘防衛課へ行きたいみたい」
青い紋章の女が言うと、赤い紋章の男はあからさまに嫌な顔をした。
「バカかよ。フェルナード家のご令嬢だぞ。傷なんかつけたらなに言われるか……」
「フェルナード家の人間は、彼女が任務で死んでくれた方が喜んだりして」
黄色の紋章の男の言葉に、赤い紋章の男はため息を吐き捨てた。その様子を見た緑の紋章の女が口を開く。
「自分の足でここまで来た根性を評価してやれよ。好きだろ、そういうの」
赤い紋章の男は頭を抱えて、それからちらりと青い紋章の女を見た。
「ルイス・ミレインとアメリア・フェルナードのどちらかなら、うちに欲しかった。だけど今年は、あなたたちに譲るわ。マーテルの未来のために」
青い紋章の女に続いて、緑の紋章の女は畳みかけるように口を開く。
「もしアメリア・フェルナードが死にかけたら、最優先で治してやる。息だけはさせとけよ」
「そういう問題じゃねーんだよ」
赤い紋章の男はそう言うと、諦めたように天を仰いだ。
「……じゃあ、もういーよ。アメリア・フェルナードはうちで」
「決まってよかった。さっそく始めよう」
赤い紋章の男は、さっさと話題を変える黄色の紋章の男を睨んだ。
しかし、彼が二の句を紡ぐ暇もなく、青い紋章の女が指を鳴らした。その瞬間、紙吹雪と名刺サイズの紙は、この空間から消え去った。
円卓に大きく焼き付いたのは、正方形の焦げ跡。
その四方向には、牌が整然と並んでいる。
雀卓。
赤い紋章の男は舌打ちをひとつして、自分に配られた十三の牌を指先でずらした。
「で? お前はどうするんだよ」
「うーん。そうだね、僕は……」
黄色の紋章の男は、配られた十四の牌を視線でなぞり、口角を上げた。
「うん、今決めたよ。今年は、冒険の年にしよう」
黄色の紋章の男は、対子になった白を指でなぞった。
赤い紋章の男は鼻で笑うと自分の牌を眺めた。
「おー、冒険でもなんでもしとけや。負かしてやるよ! 今日こそな!」
「今日こそ〝待った〟って泣きつくんじゃねーぞ」
緑の紋章の女が言うと、青い紋章の女は牌から視線を上げて三人を見た。
「なにを賭けましょうか?」
黄色の紋章の男は、楽しそうに笑った。
「じゃあ手始めに――一金貨から」
全員が迷いなく、テーブルに一枚の金貨を出す。
揃った四枚の金貨を見て、緑の紋章の女が笑った。
「まーた、お前の女が泣くなあ?」
金貨には、薄く微笑む女が一人、刻印されている。




