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母と私

私の実体験をもとにしています。

 私は、三十代の実家暮らしの社会人。家族は、両親と妹一人の四人。悩みは母親との接しかた、扱い方その他諸々の関係性。なお父は空氣。都合の良いときしか母と関わらない。妹は、仕事が忙しいを理由に滅多に母と関わらず、家には寝に戻るだけ。ほとんど顔をあわせない。

 現在、私がいつもより()()()遅く起きたという理由で、母からお叱りを受けている真っ最中。


「あんたなんか産まんにゃえかった!」


子供の頃から多分何千回と聞かされてきたと思う。子供の頃は、これを言われるたび、悲しくなったものだが、最近はこのセリフを言われると密かにため息しか出ない。

なぜなら……


「ほんとあんたなんかおらんでもええけ。今すぐここで死にんさい」

「はあ?(なん)バカな事言いよん?死なれるわけなかろうがね!」

「んじゃどうするんねーー」

あーと母は泣き出すともにいかに自分が、辛い思いをしてきたかを語りだす。

 これが私が、ため息をつく理由だ。正直この自分語りにも辟易している。

母曰く、自分には、結婚したい人がいたが、実母(私から見たら祖母)に反対されたから結婚できなかった。ちなみに結婚できなかった相手の男性という人は、母以外の女性友付き合っていたそうだ。

 だからこそ結婚に祖母が反対したのだと、母の弟である叔父や祖母に確認したから間違いない。

ただ母自身は、祖母がでっち上げた嘘だと思っている。

だからこそではないだろうが、好きな人と結婚できなことへの恨みだったり、祖母が結婚しろとやかましく言われるのが、いやだから親戚がセッティングした見合いで会った父仕方なく結婚してやったらお前みたいな出来損ないが生まれたなどなど、もうきりがないくらい意味不明な文句が次々から出てくる。


「何もかもあんたのせいじゃけえ、とにかく消えて」

「あそう、なら出てくけえ。荷物持ってばあちゃんちに行くわ」

「なんでそうなるんよー。誰もそんな事言うとらんじゃない」


ーーーまたか。

 産むんじゃなかった。死んでくれ、消えろ。でも出ていくな。ほんっとうに意味不明だ。

子供の頃からうちの母は、怒り出すとよく分からない理由でさっきの様な事を言い出す。

 しかも怒りのスイッチが分かる時とそうじゃない時がある。

例えば宿題をしないで遊びに行ったとか、約束の時間になっても帰ってこなかったみたいな明らかに、誰もが悪いとわかる理由の時もあれば、今みたいにいつもより三十秒遅く起きたとか、物が数ミリ動いていたとか、普通なら怒らないでしょって理由で怒る。

 前者の理由でも度合いにもよるだろうが、少なくとも何で悪くて、なんでそんな事をしてはいけないか理由を話し、子供に反省させるだけで済むはず。

 うちの母のようにギャーギャーと初っ端からわめき散らし、「あんたなんか産まんにゃえかった!」や「死ね」「消えろ」とまではならなるのは、極々少数ではなかろうか?

 と考えていても私も家を出ていく決心はつかない。

母は、私がいなくてはいけない。そう思っていた。

とある日までは……


「んー奨学金のハガキか」

 ある日、年に一、二回くる奨学金のハガキが届いた。

私は、ハガキを 開き中の記載事項を斜め読みしながらある数字と日付に目がいく。


「あと一年で返済終わる」

 私は、専門学校へ行くために奨学金を借りていたのだが、その返済終了が来年の今頃に終わることが記されていた。


「あと一年かぁ……。一年も待っとったら、私どうなるんかな?」

 そう呟くと私は、そっと後頭部に触れると、真横一文字にぽこと膨れた箇所がある。

それは、二十代の半ばの頃母と喧嘩した時、殴られて出来た傷だ。数針縫ったからか手で触ってわかるくらいの跡として残っている。

  喧嘩した理由は、キッチンドリンカーだった母にアルコール中毒かもしれないから病院に行こうと言ったからだった。

おそらくだが、私が専門学校へ入学する頃には、キッチンドリンカーになっていたと思う。

最初は、隠れてコソコソ飲んでいたようだが、次第にエスカレートし、私が二十歳を超す頃には、パートが休みの土日なんかは日中から飲んでいた。

 そんな調子で飲むもんだから、こないだの様な状態になると誰も手がつけられない。

ちょっとでも何か逆鱗に触れようなら、こないだの大泣きから激怒モードになり、手足が飛んでくる。

 手足だけではなく、「死ね」と怒鳴りながら、首を絞めてくるから洒落にならない。


「最近は、エスカレートしてきとるしなぁ。正直いつ殺されてもおかしくないし。あと一年待つくらなら、家出るか」


思い立ったが吉日。私は、即不動産屋へ行き、いくつかの物件を見てその日のうちに気に入った物件を契約してしまった。


数年後ーーー


『次のニュースです。昨日◯☓県△市で、同居する母親を娘が殺すという事件が発生しました。

娘は、母親に毎日暴力を振るわれて、それから逃げるためにやったと証言しており』


「また子供が親を殺す事件か」


 私は、そうつぶやきテレビのチャンネルを変える。別の情報番組が映る。


『最近、毒親という言葉が……』



 テレビから聞こえてくる言葉を聞きながら私は、一人暮らしを始めてからの出来事を思い出していた。

 物件を決めたその日に一人暮らしをすると言った日の母は、今までにないくらい荒れた。

「出て行くな」「出て行くなら殺す」などなど言っていたが、すべて無視。

というか、その日から母は、私が出てかないよう脅したり、泣き落としをしてみたりと色々やっていたが、私は、それらを尽く無視した。当然家の空気が悪くなり家族、得に妹から「姉ちゃんのせいで家の空気が悪い」と言われたが、出ていくまでだと思い妹の言葉も黙殺した。

それから約一ヶ月して家を出て一人暮らしを始めたが、母は、どうにかして私を連れ戻したかったらしく、

毎日電話による泣き落とし攻撃が続いた。

 それに我慢出来なくなった私は、ついにキレ、母に縁切りをすると宣言し、その場で母の連絡先は全てブロックした。

 母に縁切り宣言した翌日には、県外へ引っ越しする為、転職サイトと住宅情報サイトに登録した。

  そして母と縁切りした翌年。関東のとある県へと移住をした。

 そして今に至る。

 他人からすればそこまでしなくてもと思う人も居るだろうし、実際、そう言われた。

 けれど誰しもが、親が普通に子を愛せるわけではないし、また親を愛せない子どももいる。

 ただ、こうやって自分が母と縁切りしてから、母との関係について、色々考えた。

「あんたなんか産まんにゃえかった」この言葉は、今も深々と私の心に突き刺さっている。

 でも母は、ナゼ私に言ったのか?と考えた時、母と祖母の関係がかなり複雑だった事、父と結婚にいたるまでと結婚してからの生活が、かなり過酷だったと聞かされた。 仕事人間の父は、家庭を省みる事はなかった。

育児、家事は女の仕事と考える父は、当然何もしなかったし、初めての育児では、私の発達の遅さに悩まされた。

 まあその分二歳下の妹は、私と違い発達が早くその上、母に顔も性格もそっくりとあって楽だった。

と母から聞かされていた。

 そう考えたら、私を見たら産まなければよかったと思うのは、無理はないなと思うが、やはり言われた側は、たまったもんじゃなかった。

 話がそれたが、私達が、大きくなったらなったで、

父は、仕事で嫌な事があると家族に当たり散らしていたお陰で夫婦喧嘩は、絶えなかった。

 そんな日常が確実に母の心を壊したんだろう。

最終的にあんな母になったんだろな。

 でもこれらは今の自分の推察でしかないし、母が私も自分も傷つけ、最終的に親子関係が壊れた。

 この事実は、変わらない。

私は、他人に言われても母との関係を修復する気はないし、修復するのは不可能だ。

 だって私が母と縁切りしたあの瞬間(とき)に親子関係は終わったのだから、このまま二度私と母の道は交差する事はないだろう。


 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

多少脚色していますが、ほぼ実体験のままです。

 


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