舞い落ちた神の子
「おい!! お前ら!」
大空に怒鳴り声が響いた。
振り返るより早く、三人の身体が宙へ浮く。
「え?」
テンが目を見開いた。
「な――」
タケミが言葉を失う。
「……?」
フレイが状況を理解できないまま瞬きをした。
次の瞬間。
ドンッ!!
三人の身体が、とてつもない勢いで空へ放り出された。
いや。
正確には――生みの親である神に、蹴り飛ばされた。
「お前ら三人で地球を守るついでに、神様になるための修行をしてこい!」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
三人の声が重なった。
神の姿がみるみる遠ざかっていく。
そして気づいた時には――。
「ギャァァァァァ!! 死ぬぅぅぅぅ!!」
テンは涙を撒き散らしながら、地面へ向かって落下していた。
長い赤茶色の髪が風に煽られ、顔に張り付く。
「神って、死んだらどうなるんだろうな……」
隣では、タケミが妙に落ち着いた顔で地上を見下ろしていた。
「何でこんな時に冷静なのよ!」
「冷静じゃねぇ! もう考えるのを諦めただけだ!」
「諦めないでよ!」
二人の視線が同時に向く。
最後の頼みの綱――フレイへ。
「フレイ! お願い、魔法を使って!」
「フレイ、起きて!」
「…………」
返事がない。
フレイは目を閉じたまま、完全に意識を失っていた。
白目を剥き、口元から魂が抜け出しているようにも見える。
「フレイ!?」
「……風が気持ち良いです」
「寝てる場合じゃないわよ!」
テンが必死にフレイの肩を揺さぶる。
ようやくフレイの瞼が持ち上がった。
「……?」
焦点の合わない瞳が、テンの顔を捉える。
だが、その視線がすぐに地面へ向いた。
――近い。
森や建物が、猛烈な勢いで大きくなっている。
「フレイ!」
「はっ!」
テンの叫びで、ようやくフレイの意識が完全に戻った。
「魔法を使います!」
フレイは慌てて杖を握り締める。
「風よ!」
ゴォォォォォッ!!
三人の身体を風が包み込んだ。
猛烈だった落下速度が、少しずつ落ちていく。
「やった!」
テンが安堵しかけた、その時。
「……無理です!」
フレイの顔から血の気が引いた。
杖を握る小さな手が震えている。
「まだ力が足りません! 三人分は止められないです!」
「そんなぁ!」
テンが眼下を見た。
「屋根が――!」
一軒の家が迫ってくる。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
「もうどうにでもなれぇぇぇぇ!!」
バキィィィィン!!
三人の身体が屋根を突き破った。
瓦が弾け、木材が砕ける。
そのまま三人は家の中へ落下し――。
ドスンッ!!
「いってぇ……」
タケミが床に転がった。
「痛い……」
テンも身体を起こす。
「うぅ……」
フレイは頭を押さえながら、床に座り込んだ。
「朝っぱらから何だぁぁぁ!!」
怒鳴り声が響く。
三人が一斉に顔を上げた。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
手には竹刀。
男はまず、ぽっかりと穴の開いた天井を見上げる。
次に床へ転がる三人へ視線を落とした。
数秒の沈黙。
男のこめかみに青筋が浮かぶ。
「近所のワルガキ共か!? 人の家の屋根をぶっ壊しやがって!」
「え?」
テンが目を瞬かせる。
「ちょっと待って――」
バシッ!
「イタッ!」
「痛っ!」
「ですっ!」
三人の頭へ、竹刀が立て続けに振り下ろされた。
「いてぇなぁ! いきなり何するんだよ!」
頭を押さえたタケミが、男を睨み返す。
「うるせぇ!」
男も一歩も引かない。
「人様の家の屋根をぶっ壊しておいて、何がいきなりだ!」
「知るか、こんなボロ屋!」
「タケミ!」
テンが慌ててタケミの腕を掴む。
しかしタケミは腕を振りほどいた。
「それより神が舞い降りたことに感謝するんだな!」
「……神?」
男の眉がわずかに動いた。
「神だか何だか知らねぇが、お前らは空から落ちてきただけだろ」
「神を侮辱したな!」
タケミが胸を張る。
「罰が――」
バシッ!
「痛ってぇ!」
また竹刀が頭に直撃した。
「さっきから言ってる神って何なんだよ」
男は呆れたように竹刀を肩へ担いだ。
「お前ら、たまに来る奴らの仲間か?」
三人は顔を見合わせた。
この時代。
人々はまだ「神」という存在を知らない。
神を祀る神社もない。
神を信仰する文化もない。
そんな場所で、自分たちが神の子だと説明したところで、素直に信じてもらえるとは思えなかった。
テンはすぐに姿勢を正した。
「私たちは怪しい者ではありません。屋根を壊してしまって、本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
男はそんなテンを見て、少しだけ表情を緩めた。
「こっちのお嬢ちゃんは謝ったな」
そして顔を上げ、残る二人へ目を向ける。
「そっちのガキ二人は?」
タケミの頬が不満そうに膨らむ。
「……悪かったよ」
渋々、頭を下げた。
フレイも慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさいです……」
「最初からそうしておけばいいんだよ」
男が鼻を鳴らす。
すると――。
「けっ……偉そうに」
タケミが小声で吐き捨てた。
バシッ!
「痛ってぇ!」
「聞こえてんだよ」
男は呆れた顔で竹刀を肩に乗せ直した。
「そういう態度を取るなら、お前一人で屋根を修理してもらおうか」
「何で俺一人なんだよ! 二人にもやらせろよ!」
「女の子にそんなことさせるか」
「……」
タケミはテンとフレイを見る。
確かに、この二人に屋根の修理をさせるのは違う気がした。
「……分かったよ。俺がやる」
「じゃあ、あそこの扉の中に修理道具がある。好きに使え」
男が部屋の端にある扉を顎で示す。
「はいはい……」
タケミはぶつぶつ文句を言いながら、扉へ向かった。
その背中を見送った男が、今度はテンとフレイへ向き直る。
「それで、お嬢ちゃん達はどこから来た?」
「……」
「何で空から降ってきた?」
テンの唇がわずかに開く。
正直に話すことはできる。
だが――。
神という存在すら知らない人間に、自分たちは神の子だと説明するのは難しい。
「私たちは……」
言葉を探していると、男が頭を掻いた。
「何か訳ありか」
テンが顔を上げる。
男はそれ以上、追及しなかった。
「なら、無理に話さなくていい」
「……!」
テンの瞳が輝いた。
これはチャンスだ。
「それなら……」
テンは男へ向き直る。
「私たちを、ここに泊めてもらえませんか?」
「は?」
「行く宛てがないんです」
テンは両手を胸の前で組み、潤んだ瞳で男を見上げる。
(どうだ、この美少女ウルウル上目遣いは!)
「断る」
「えぇ!?」
即答だった。
「何でガキ三人の面倒を見なきゃならねぇんだ」
「お願いします!」
テンはさらに深く頭を下げた。
「掃除、洗濯、料理……何でもします!」
「……」
男は腕を組む。
別に裕福な生活をしているわけではない。
それでも、金には多少余裕がある。
家事をやってもらえるなら、自分も楽になる。
しばらく考えた末――。
「……そこまで言うなら泊めてやる」
「本当ですか!?」
テンの顔がぱっと明るくなる。
「ただし、家事はちゃんとやれよ」
「はい!」
(よし! 人の役にも立てるし、住む家も手に入れた! 流石、私!)
テンは誰にも見られないよう、胸元で小さく拳を握った。
神の子たちには、人助けをしたい理由がある。
人々を助ける。
感謝される。
その感謝が神力となり、神の子たち自身の成長につながる。
だから――。
これも神になるための修行なのだ。
「じゃあ、お嬢ちゃん達。名前を教えてくれ」
「私の名前はテンと言います」
テンは中学生くらいの風貌をしている。
長く艶やかな赤茶色の髪。
三人の中では一番年上で、大人びた雰囲気を持っている。
優しく、しっかり者のお姉さんといった印象だ。
「私はフレイです」
フレイが小さく頭を下げる。
銀色のおかっぱヘアー。
見た目は小学四年生くらいで、おとなしい雰囲気をしている。
風や石などの魔法を使えるが、まだ力が弱く、威力は高くない。
最後にタケミが顔を上げた。
「俺はタケミだ」
ぶっきらぼうな挨拶。
テンより年下の少年で、黒銀色のツンツンした髪をしている。
顔つきもワルガキっぽい。
年下扱いされることを嫌い、何かにつけて強がる性格だ。
そして男も名乗った。
「俺はイザナだ。よろしく」
白髪混じりの黒髪を後ろで束ねている。
渋さの中にワイルドさを感じさせる顔つきだった。
その時――。
カァン! カァン! カァン!
町中に鐘の音が響き渡った。
「やつらが来たぞ!」
「戦闘準備だ!」
外から怒声が飛び交う。
先ほどまでの静かな町の空気が、一瞬で張り詰めた。
家々の扉が次々と開く。
人々が飛び出し、それぞれ武器を手に取っていく。
「何ですか!?」
テンが窓の外へ目を向ける。
イザナはすでに竹刀を手にしていた。
「ちょっと行ってくる」
「待ってください!」
三人も慌てて後を追った。
町の端まで走ると、巨大な門が見えてくる。
高い石壁が左右へ伸び、町全体を囲んでいた。
「門を開けるぞ!」
門の上から声が響く。
ギギギギギ……。
巨大な門がゆっくりと開いていく。
門の上には、弓を構えた者たちが二十人ほど並んでいた。
「放て!」
ヒュンッ!
ヒュンッ!
ヒュンッ!
一斉に放たれた矢が荒野を横切る。
迫っていた魔物へ次々と突き刺さり、何体もの魔物が地面へ倒れた。
弓兵が攻撃を止める。
その瞬間――。
「行くぞぉぉぉ!」
門から剣を持った人々が一斉に飛び出した。
先頭を走っていた者たちが左右へ散る。
その向こうに、魔物の群れが姿を現した。
荒野の一角が歪んでいる。
空間そのものがねじ曲がったような場所から、次々と魔物が這い出していた。
醜悪な緑色の身体。
長い耳。
粗末な武器。
ゴブリン。
そして――。
「ブモォォォォ!」
ピンク色の肌。
豚のような顔。
人間より一回りも二回りも大きな巨体。
オーク。
「今日の敵はゴブリンとオークか!」
若い男が剣を構える。
剣身に、バチバチと雷が走った。
「楽勝だな!」
「今日はオーク肉の焼き肉だ!」
周囲から笑い声が上がる。
戦場だというのに、まるで狩りにでも来たような雰囲気だった。
テンは思わず目を瞬かせる。
この人たちは、本当に魔物を恐れていない。
「じゃあ、俺たちも食料を狩りにいくぞ」
イザナが竹刀を構える。
その視線の先には、一体のオーク。
「狙うのは――あの大きい奴だ」
「行くぞ!」
イザナが地面を蹴った。
ドンッ!
土煙が跳ねる。
巨体が一瞬で距離を詰めた。
「ブモッ!?」
オークが慌てて棍棒を振り上げる。
だが、遅い。
イザナは腰を落とした。
頭上を棍棒が唸りを上げて通過する。
そのまま一歩。
オークの懐へ潜り込んだ。
そして――。
ヒュンッ!
竹刀が横薙ぎに振り抜かれる。
ズバンッ!!
オークの首が飛んだ。
「……え?」
テンの目が見開かれる。
竹刀だった。
刃などついていない。
なのに――。
オークの首が、斬り飛ばされた。
「ギャッ!」
背後からゴブリンが襲いかかる。
イザナは振り返ることすらしなかった。
身体をわずかに傾ける。
ゴブリンの刃が肩を掠めた、その瞬間。
イザナの竹刀が跳ね上がった。
ズバッ!
ゴブリンの身体が上下に分かれる。
別のゴブリンが迫る。
今度は一歩前へ出た。
攻撃が届くより先に竹刀が走る。
また一体。
さらに一体。
イザナは敵の動きを先回りするように距離を詰め、攻撃の軌道から身体を外し、最小限の動きだけで魔物を倒していく。
「嘘……」
テンの口から、かすれた声が漏れた。
速い。
それだけではない。
無駄がない。
魔物が武器を振り上げるより早く懐へ入り、攻撃をかわし、確実に仕留めている。
「俺もあのくらい出来るぜ!」
タケミが飛び出した。
「タケミ!」
テンの制止を振り切る。
タケミもゴブリンへ斬りかかった。
ザンッ!
ゴブリンが倒れる。
「ほらな!」
タケミが口元を吊り上げる。
しかし――。
「ブモォォォォ!」
別のオークが突進してきた。
「くっ!」
タケミが横へ飛ぶ。
直後。
ドゴォン!!
棍棒が地面を叩き、大地が大きくえぐれた。
「こいつ……!」
タケミは剣を握り直した。
今度は自分から踏み込む。
肩。
腕。
脚。
何度も斬り込む。
だが――。
浅い。
刃は肉へ食い込むものの、分厚い筋肉を断ち切るには力が足りない。
「クソッ!」
オークが棍棒を振り回す。
タケミは後ろへ飛び退く。
風圧だけで髪が大きく揺れた。
「タケミ!」
テンが駆け込む。
「私も負けてられないわ!」
テンが剣を構えた。
剣身を赤い炎が包み込む。
「はぁぁぁっ!」
踏み込みと同時に剣を振り下ろす。
ズガッ!
炎を纏った刃がオークの肉へ食い込んだ。
肉が焼け、煙が上がる。
オークが苦痛の声を上げた。
それでも倒れない。
「これでもダメなの!?」
テンが歯を食いしばる。
「援護するです!」
フレイが杖を掲げる。
「いきます!」
ヒュンッ!
地面から飛び出した石の礫が、二人の死角にいたゴブリンへ飛んでいく。
「ギャッ!」
ゴブリンが吹き飛んだ。
ゴブリンなら――。
三人でも倒せる。
だが、オークは違った。
テンは炎を纏わせた剣で、ようやく致命傷を与えられる。
タケミは何度斬り込んでも決定打を与えられない。
フレイの魔法は、オークを怯ませる程度だ。
「はぁ……はぁ……!」
テンの肩が激しく上下する。
額を伝った汗が頬を流れ、泥と返り血が混じった。
その時だった。
テンの視界に、イザナが入る。
「……」
イザナはまだ戦っていた。
いや。
戦っているというより――。
狩っている。
竹刀が横へ走る。
ゴブリンが倒れる。
身体を沈める。
オークの棍棒が頭上を通過する。
そのまま懐へ入り、竹刀が一閃。
オークが崩れ落ちる。
息は多少上がっている。
それでも、テンたちとは明らかに違った。
「……何で?」
テンが呟く。
自分は魔法を付与した剣で、ようやくオークを倒している。
それなのに――。
イザナは竹刀一本で、次々とオークを倒している。
(何て強さなの……)
テンは言葉を失ったまま、イザナを見つめる。
そして、ふと周囲へ目を向けた。
「……あれ?」
おかしい。
イザナだけではない。
町の人々も――強い。
自分たちが苦戦しているオークを、次々と倒している。
「さっきから見てると……」
テンの額に新たな汗が浮かんだ。
「この町の人たち、強すぎない?」
隣では、タケミが悔しそうに歯を食いしばっている。
「クソッ……!」
剣を握る手に力がこもる。
「何であの男は簡単に倒せるのに……俺にはできないんだよ!」
悔しさを叩きつけるように、タケミは剣を振り続ける。
フレイも杖を握り締め、必死に魔法を撃ち続けた。
しかし、時間が経つにつれて三人の動きは明らかに鈍くなっていく。
呼吸が乱れる。
腕が重い。
足が思うように動かない。
それでも――。
イザナや町の戦士たちは、まだ戦っていた。
そして。
戦闘開始から一時間ほど経った頃。
最後のゴブリンが地面へ崩れ落ちた。
荒野に静寂が戻る。
そこには、大量のゴブリンとオークの死体が転がっていた。
「フゥー……終わったな」
イザナが肩で息をしながら、竹刀を肩へ担ぐ。
そして三人へ目を向けた。
「お前ら、無事か?」
「どうにか……無事です」
テンが息を整えながら答える。
三人とも大きな怪我はない。
だが、泥と返り血で身体は汚れ、疲労で立っているのもやっとだった。
対してイザナは、多少息が上がっている程度。
身体についている返り血も僅かだった。
「テンとフレイは、異世界とかいう所から帰ってきた奴らと同じような技が使えるんだな」
「えっ?」
テンとフレイが顔を見合わせる。
「まぁ、あいつらに比べたら弱いけどな」
「異世界から帰ってきた人がいるんですか?」
テンの声に驚きが混じる。
神の子である三人は、異世界という存在そのものは知っている。
だが――。
地球に異世界帰りの人間がいるとは思っていなかった。
しかも、複数人。
「何人かいるぞ」
イザナは先ほど雷を剣に纏わせていた男を指差した。
「あの剣に雷を纏わせてた奴とかな」
「……」
テンは言葉を失った。
そんなテンを見て、イザナが目を細める。
「そうか。だからあの時、言い淀んだんだな」
「……」
どうやらイザナは、三人を異世界帰りの人間だと思い込んでいるらしい。
ここで否定すれば、余計に話がややこしくなる。
テンはそっと視線を逸らした。
「……そうですね」
曖昧に返す。
少し気まずくなったテンは、別の話題へ逃げるように口を開いた。
「それよりイザナさん」
「ん?」
「オークを回収して、家に帰りましょう」
テンは荒野に転がるオークへ視線を向ける。
「帰ったら、私が料理しますよ」
「そうだな」
イザナが頷く。
「回収して帰るか」
イザナと三人は、オークの死体へ向かって歩き出した。
その背中を、荒野に残された魔物の死体が静かに見送っていた。
神になるための修行。
そのために降りてきた地球。
そこで待っていたのは――。
自分たちが想像していたより、遥かに強い人類だった。




