第3話 安心
「それと――」
扉の向こうから、ボスの声が追いかけてきた。
「最近、人攫いが妙に増えている。
……気をつけろ」
「気に留めておこう」
リボルは立ち止まらずに答える。
「ありがとうございます、ボス」
そう言って、廊下を進む。
ネオンの反射が窓ガラスを流れ、ビルの中は昼夜の区別がつかないほど明るい。だが、その明るさはどこか冷たく、人の温もりを感じさせなかった。
「おい、小娘」
リボルが振り返る。
「……ついてこい」
「は……はい」
セリーナは小さく頷き、慌てて後を追った。
ビルの外に出ると、夜風が肌を撫でる。
リボルは足を止め、振り返ってスランとミアに向き直った。
「スラン、ミア。悪いが――
ここから先は俺と小娘で行く。先に帰ってくれ」
ミアは腕を組み、じっとリボルを睨む。
「……いい?」
低く、しかし本気の声。
「もし、セリナちゃんに何かあったら――
私、あんたを殺すからね」
「はいはい。しないってのあと一応隊長だよ俺」
リボルはため息交じりに返す。
その様子を見て、スランが口を開いた。
「それとミア。情報が入り次第、すぐ連絡くれ。
人攫いの件、ちょっと気になる」
「了解」
ミアは短く頷く。
「そのうち連絡するよ」
三人は軽く手を振り合い、それぞれ別の方向へと歩き出した。
リボルとセリーナは、街の喧騒から少しずつ離れていく。
「……ここが、俺の家だ」
リボルが立ち止まり、顎で前方を示した。
そこにあったのは、都市の片隅に押しやられるように建つ、古びた一軒家だった。
外壁は色褪せ、ところどころ剥がれ落ち、今にも崩れそうに見える。窓枠は歪み、夜風が吹くたび、どこかが軋む音を立てていた。
セリーナは思わず口をつく。
「……ダンボールハウス……」
「ダンボールハウスだと?」
リボルが振り返り、眉をひそめる。
「小娘、やめてくれ。地味に傷つく」
「す……すいません……」
それでも、セリーナはもう一度、心の中で呟いてしまう。
(……ダンボールハウス……)
リボルは鍵を回し、軋む音とともにドアを開けた。
中に入ると、意外な光景が広がっていた。
家具は最低限。テーブルと椅子、簡素なベッド、古い本棚。
だが、埃はなく、床も整えられている。無駄が削ぎ落とされた、静かな空間だった。
「……きれい」
セリーナがぽつりと呟く。
「ありがとよ」
リボルは靴を脱ぎながら答える。
「これでも一応、警察だからな」
「……おじさん、警察なの?」
セリーナは驚いたように目を見開いた。
「ああ」
リボルはコートを脱ぎ、壁に掛ける。
「もっとも――
警察と言っても、ほとんど公安に近いがな」
その言葉には、自嘲とも諦観ともつかない響きがあった。
セリーナはしばらく黙り込み、やがて小さく尋ねる。
「……それでも……
人を助ける仕事、なんだよね?」
リボルは一瞬だけ言葉を探し、そして答えた。
「……ああ。少なくとも、俺はそう思ってる」
リボルは棚から毛布を取り出し、セリーナに差し出す。
「今日はもう休め。
ここにいる限り、誰も手は出させない」
セリーナは毛布を受け取り、ぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう……リボル……さん」
「呼び捨てでいい」
そう言って、リボルは部屋の灯りを少し落とす。
古びた家の中に、静かな夜が訪れた。
それは、セリーナにとって――
久しぶりに訪れた、恐怖のない時間だった。
◆◆◆
「……すいません」
腹がなっているのが抑えられず控えめにそう尋ねると、リボルは少し困ったように頭をかいた。
「あー……どうするかな。
あ、そうだ。俺の行きつけの店がある。そこ行くか」
「……はい」
そうして二人は、夜の街を少し歩き、路地裏にひっそりと灯る小さな店の前に立った。
年季の入った看板。だが、そこから漂う香りは、確かな温もりを感じさせた。
「あの〜……店長、まだ開いてますか」
「あの〜じゃねぇんだよ、このバカ者が!!!」
「ひぃっ」
ドスの効いた声に、セリーナの肩がびくりと跳ねる。
カウンターの奥に立っていたのは、鋭い眼光をした女性だった。腕を組み、リボルを睨みつける。
「……で、あんた。
その少女はどういうことだい?
もし攫ってきたって言うなら、今すぐ私が正義の鉄槌を下してあげようか」
「違う違う、そういうわけじゃない」
リボルは慌てて手を振る。
「今日から俺の家で保護することになった少女だ」
「……ふぅん」
店長はセリーナをじっと観察するように見つめ、やがて鼻を鳴らした。
「まぁいいわ。
でも、少しでも不審な動きしたら――鉄槌だからね?」
「肝に銘じておきます姉御」
そうして二人はカウンター席に腰を下ろし、メニューを眺め始めた。
「いいか、小娘――」
「ちょっと、何言ってんのよ」
店長が即座に割って入る。
「何すんだよ、レオーネ」
「こっちの台詞よ。
こんなに可愛い保護された少女を小娘呼びなんて、失礼極まりないわ。まったく」
「……わかったよ、レオーネ」
リボルが肩をすくめる。
店長はセリーナに柔らかく微笑みかけた。
「ねぇ、名前はなんていうの?」
「……セリーナ……です」
「そう。セリーナちゃんね」
店長は胸に手を当てる。
「私はレオーネ・ラプンツェル。
もし、こいつが変なことしたら――ちゃんとギタギタにしてあげるから安心しなさい」
そう言って、にやりと笑う。
「特別に今日は、何でもご馳走しちゃうわ」
「……ありがとうございます」
「あら、礼儀正しい。
まるで日本人みたいだわ」
「じゃあ、ついでに俺の分もタダで――」
「あんたは、しっかり払いなさい」
「ですよね」
セリーナは思わず、小さく笑った。
久しぶりに聞いた、怒鳴り声と冗談が混ざった、温かい空気。
それは彼女にとって、失われた日常の匂いそのものだった。
「何にするのかしら?」
レオーネがメニューを片手に、腰をくねらせながら問いかける。
「……ポルペッタで」
少し緊張した声でセリーナが答えると、レオーネは満足そうにうなずいた。
「はいはい、いい選択ね。
ちょっと待ってちょうだい、すぐ作るから」
「俺はカプレーゼで。酒はいらない」
「あら珍しい。明日は雨かしら」
「うるせぇ」
軽口を叩き合う二人のやり取りの中、厨房から漂ってくるトマトとハーブの香りが、店内にほんのりとした温かさを運んでくる。
古い換気扇の低い音と、フライパンに油がはぜる音が、不思議と心を落ち着かせた。
しばらく沈黙が続いたあと、セリーナが小さく口を開いた。
「あの……昨日は……助けていただいて、ありがとうございました」
その言葉に、リボルは一瞬だけ目を伏せた。
そして、ゆっくりとセリーナの方を向く。
「礼なんていらない」
低く、かすれた声だった。
「あの場の近くにいながら、
……俺は、助けることができなかった」
カウンターに置いた手に、わずかに力がこもる。
「俺こそ、謝らせてくれ。
……すまなかった。本当に、すまなかった」
セリーナは言葉を失い、ただ首を振った。
「ち、違います……。
生きていられるだけで……」
「それでもだ」
リボルはそれ以上言葉を続けなかった。
背中には、消えない後悔が貼り付いているようだった。
「……はい、お待たせ」
タイミングを見計らったように、レオーネが皿を置く。
「重い話はね、温かい料理の前では一旦おしまい。
今は食べなさい、セリーナちゃん」
湯気の立つポルペッタを前に、セリーナはそっとスプーンを取った。
一口食べた瞬間、思わず目を見開く。
「……おいしい……」
「でしょ?」
レオーネは誇らしげに胸を張る。
その小さな一言に、リボルは気づかれないよう、ほんのわずかに口元を緩めた。
今夜だけは――
この少女に、恐怖ではなく、温もりを与えられる場所でありたいと、そう願いながら。
「……ありがとさん」
「……ありがとうございます」
そう言って二人は食事を終え、静かな夜気の中へと店を出た。
扉が閉まると同時に、店内の温もりが名残惜しそうに背中を押してくる。
「次はちゃんとした格好で来るのよ
あ、そうだ」
背後から、レオーネの声が飛ぶ。
「――ちょっと待ってくれるかしら」
セリーナの足が止まる。
レオーネはカウンターの中から出てきて、セリーナの前にしゃがみ込んだ。
「あなたね……腕に、ずっとコンプレックス抱いてるでしょ?」
セリーナは一瞬だけ言葉に詰まり、やがて小さくうなずいた。
「……これ、あげるわ」
差し出されたのは、シンプルな黒い手袋だった。
柔らかく、指先まで丁寧に縫われたもの。
「……いいんですか?」
「えぇ、もちろん」
レオーネはにっこりと笑う。
「本当はね、こういうのは親とか、そういう人が気づいてあげるものなんだけど……」
ちらりとリボルを見る。
「まぁ、いないものは仕方ないわね」
「――っ」
リボルの胸に、見えない刃が突き刺さる。
セリーナは手袋を大事そうに受け取り、両手を包み込むようにはめた。
「……ありがとうございます」
そして、深々と頭を下げる。
「どういたしまして。
女の子はね、自分を守る権利があるのよ」
その言葉を、セリーナは胸に刻むようにうなずいた。
「良かったな、セリーナ」
リボルが少し照れくさそうに言う。
「……はい」
小さく、けれど確かな笑顔が、セリーナの顔に浮かんだ。
夜の街は相変わらず冷たく、荒んでいる。
それでも今夜だけは――
彼女の手を包むその手袋が、確かに守られている証のように感じられた。
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