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シルバーバレット  作者: 顔のない人間
第一章 廃棄空間地点クラン

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第1話 悪を撃ち抜く男

 ――はぁ、はぁ……どうしてだ。どうして、こんなことになった。


 灰色に沈んだ街を、男は逃げるように駆けていた。

 夜明け前のビル街は息を潜め、コンクリートの壁は冷たく、無機質に男の足音だけを反響させる。背後を振り返る余裕はない。ただ肺が焼けるように悲鳴を上げ、喉から荒い息が漏れ続けていた。


 なんでだ。

 ――たかが、一人の少女をさらっただけじゃないか。


 そう自分に言い聞かせながら、男は角を曲がり、非常階段を駆け上がる。錆びた鉄の段が軋み、靴底が空虚な音を立てた。

 辿り着いた先は、ビルの屋上。柵の向こうには、灰色の街並みがどこまでも広がっている。


 男はその場に崩れ落ちた。


 ……ここまで来れば、大丈夫だろう。


 そう思った――その瞬間だった。


 カチリ、と。

 何かのピンが外れる、嫌に乾いた音がした。


 次の瞬間、衝撃。

 爆風が屋上を薙ぎ払い、コンクリート片と金属音が宙を舞う。男は転がり、耳鳴りの中で必死に叫んだ。


「う、うわぁっ……! こんなところまで来るのかよ……!

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」


 震える声で、男は地面に額を擦りつける。


「ひ、ひぃ……ゆるしてくれ……頼む……!

 俺は……俺は頼まれただけなんだ……!」


 その懇願を、冷たい沈黙が踏みにじった。


 いつの間にか、男の前に一人の男が立っていた。

 爆煙の向こう、街灯の明かりを背に、影のように佇んでいる。


「……俺が見てきた中でな」


 低く、感情の抜け落ちた声。


「クズは、どいつもこいつも同じ台詞しか吐かない。

 どうしてだと思う?」


「……へ……?」


 顔を上げた男の視界に、相手の無表情が映る。


「単純だ」


 男はそう言って、コートの内側からピストルを取り出した。

 金属の冷たい光が、街の明かりを反射する。


「何かにすがり考えること放棄したからだそう言うクソ野郎共の結末は必然に決まっている」


 銃口が、逃げ惑った男の前頭部に突きつけられる。


「ま、待て……待ってくれ……!」


 必死の叫びは、夜に吸い込まれた。


「地獄で会おうな。クソ野郎」


 乾いた銃声が、静まり返った街に一発だけ響いた。

 そして再び、灰色の街は何事もなかったかのように沈黙を取り戻した。


◆◆◆


数時間前――


 夜のスラムへと続く道路を、一台の古びたセダンが走っていた。

 街灯はまばらで、光の届かない区画が増えるにつれ、周囲の建物は形を失い、瓦礫と鉄くずの影だけが連なっていく。


 運転席と助手席には、荒んだ目をした男が二人。

 車内には安物のタバコの臭いと、得体の知れない緊張が漂っていた。


「なぁ……今回の依頼さ。本当に少女を攫うだけなのか?」


 助手席の男が、気まずそうに口を開く。


「ああ、そうだ。兄弟。

 ただ連れてくるだけだ。何も難しい話じゃねぇ」


 ハンドルを握る男は軽く笑い、アクセルを踏み込んだ。


「それに報酬も破格だ。人生変えられる額だぜ」


 車はやがて、スラムの入口に差し掛かる。

 崩れかけた建物、路上に溜まった汚水、遠くで響く怒鳴り声と笑い声。ここは秩序の外側――忘れ去られた人間たちの巣だった。


 男たちは車を止め、路地へと足を踏み入れる。


「おい、そこの女」


 暗がりにうずくまっていた一人の女に、声をかけた。

 同時に、ためらいなく銃を向ける。


「この少女を見なかったか?」


 女は激しく首を横に振った。


「し、知りません……本当に、知りません……!」


 だが、恐怖に濁った声は男たちを満足させなかった。


「……チッ」


 苛立ったように舌打ちし、乱暴に女の髪を掴む。


「役に立たねぇな」


 その後に何が起きたのか、路地は沈黙した。

 ただ、女の悲鳴はすぐに途切れ、スラムの闇に吸い込まれていった。


 しばらくして――


「なぁ兄貴……このまま見つからなかったら、俺たちの首が飛ぶぞ」


 弟分の男が、不安を隠せずに言う。


「ああ。だから考えを変える」


 兄貴分は、冷たく言い放った。


「ここはスラムだ。多少人が消えたところで、ポリスは動かねぇ。

 ――孤児院を当たるのが先決だろ」


 男は再び、女に銃を向けた。


「おい。孤児院はどこだ。

 教えれば……解放してやる」


「……2キロ先に……『ファミリー』っていう孤児院があります……

 お願い……助けて……!」


「はいはい、わかったよ」


 乾いた声。


 パンッ。


 銃声が一発、路地に響いた。

 女はその場に崩れ落ち、二度と動かなかった。


「2キロ先、だってよ。どうする、兄貴?」


「行くぞ」


 二人は踵を返し、車へ向かう。


「……それにしても、この死体どうします?」


 路地には、力なく横たわる女の亡骸があった。

 頭部は撃ち抜かれ、夜の闇と同化するように血が広がっている。


「ほっとけ」


「あいよ」


 エンジン音が遠ざかり、スラムは再び沈黙を取り戻した。

 そこに残されたのは、誰にも悼まれない死と、闇だけだった。


「着いたぞ、兄弟。……ここだ」


 スラムの最奥。

 周囲を崩れた建物に囲まれた、小さな孤児院が闇の中に浮かんでいた。壁はひび割れ、門の鍵は古びている。だが、窓から漏れる灯りだけが、ここが人の営みの場であることをかろうじて主張していた。


「……なぁ兄貴。せっかくだ」


 助手席の男が、歪んだ笑みを浮かべる。


「ここも始末しちまおうぜ。スラムだ。

 神様だって、どうせ見ちゃいねぇ」


 兄貴分の男は答えなかった。

 ただ無言で車のトランクを開け、ガトリングガンを引きずり出す。


 次の瞬間――

 轟音。


 鍵付きのドアは、紙切れのように吹き飛んだ。


「お邪魔しま〜す」


 粉塵の中へ、男たちは踏み込む。


「な、なんですか……あなたたちは――」


 駆け寄ってきたのは、シスター服に身を包んだ女性だった。


「うるせぇな。黙ってろ」


 乾いた銃声。

 シスターは言葉を終えることなく、その場に倒れ伏した。


 悲鳴。


 孤児院の中は一瞬で混沌に包まれる。

 子どもたちは逃げ惑い、泣き叫び、互いにしがみついた。


「うるせぇ! 黙れ!」


 男の怒鳴り声と、銃声が重なる。


「さて――質問だ」


 男は血に濡れた床に写真を投げ捨てる。


「このガキを知ってるやつはいるか?

 答えたら……助けてやる」


 震える沈黙。

 やがて、一人の少年が、声を絞り出した。


「……に、二階の……寝室です……」


「よし。わかった」


 次の瞬間、銃声。

 少年は何も言えないまま崩れ落ちた。


「いや――!」


「叫ぶな」


 パンッ。


 血飛沫が舞う。

 銃声は止まらず、悲鳴は次々と途切れていった。


 男は無造作に階段を上り、写真と同じ少女を見つける。


「……こいつか」


 少女の髪を掴み、引きずり上げる。


(こわい……たすけて……だれか……)


 少女は、声にならない叫びを喉に詰まらせたまま、

 仲間たちが次々と倒れていく光景を、ただ見つめることしかできなかった。


「いいか」


 去り際、男は吐き捨てる。


「お前らみたいな身寄りのねぇガキはな、

 最初から人間扱いされねぇ運命なんだよ」


 数分後――

 孤児院には沈黙だけが残された。


 男たちは満足したように車へ戻り、

 ただ一人、生き残った少女を連れ去っていった。


◆◆◆


 夜のスラムに、車の排気音だけが虚しく残っていた。

 エンジンの低いうなりが、崩れた建物の間をすり抜け、やがて闇に溶けていく。


「……どうしますかね、兄貴」


 助手席の男が、後部座席に視線をやる。

 そこには、拘束された少女が身を縮めるように座っていた。口は塞がれ、恐怖に耐えるように小刻みに震えている。


「せっかくだ」


 兄貴分の男は、下卑た声で言った。


「どうせこいつはボスに渡されて、用済みだ。

 なら……その前に少し遊んでからでもいいだろ」


 少女の喉から、かすかな嗚咽が漏れる。

 だが、それは誰にも届かない。


 男が近づき、乱暴に服へ手をかけた――

 その瞬間だった。


「……ん?」


 男の動きが止まる。


「……何だ、これ……」


 まるで化け物を見たかのような顔で、男は息を呑んだ。


 少女の身体は、明らかにおかしかった。

 腕と脚の肌の色がそれぞれ微妙に違い、境目には歪んだ縫合痕が走っている。

 まるで、複数の誰かの身体を無理やり繋ぎ合わせたかのような、不気味な造形。


「ど、どうした兄弟?」


「……いや……こいつ……体が……」


 言葉が続かない。

 理解が追いつかず、背筋を冷たいものが這い上がる。


「……気味が悪すぎる」


「……くだらねぇ」


 兄貴分は吐き捨てるように言った。


「そんなもん、気にするな。

 もうすぐ着く。余計なことは考えるな」


 次の瞬間――


 ドンッ!!


 地面を揺るがすような爆発音が響き渡った。

 強烈な衝撃が車体を叩き、視界は一瞬で白煙に包まれる。


 夜の闇を引き裂く轟音。

 それは、この地獄が終わる合図なのか、

 それとも――さらに深い地獄の始まりなのか。


 爆煙の中から、男たちは必死に這い出した。


「……兄貴、無事か!?」


 瓦礫にまみれた男が叫ぶ。


「ああ……生きてる。だが、ここはまずい」


 兄貴分は周囲を睨みつけ、即座に判断した。


「このままじゃ的だ。あの廃墟ビルに逃げ込む。

 中から迎撃するぞ」


「了解だ、兄貴!」


「……あの女はどうする?」


 一瞬だけ、後部座席の方を見る。


「ほっとけ後で回収する」


 それだけ言い残し、男たちは夜の闇へと走り出した。


 廃墟ビルの内部は、腐臭と湿気に満ちていた。

 壁には黒いカビが広がり、床には割れたガラスと皿が散乱している。


 男たちはその中の一室に身を潜め、銃を構えた。


 ――トン。

 ――トン。


 足音が、ゆっくりと近づいてくる。


「……兄貴、どうしやす?」


 弟分の声が震える。


「落ち着け。足音は一人分だ」


 兄貴分は低く言った。


「数を頼れないなら、どうにかなる」


 足音が、扉の前で止まる。


「……来るぞ」


 次の瞬間――

 ドアが開いた。


 立っていたのは、想像とはまるで違う存在だった。


 背中の曲がった、痩せ細った男。

 ぼさぼさの髭、擦り切れたコート。

 まるで長年路上で生きてきたかのような、老いた浮浪者にしか見えない。


 その姿を見た瞬間、男たちは吹き出した。


「あははははは! なんだよ、このヨボヨボ!」


「おいお兄さん、今なら見逃してやるぞ?

 さっさと自分のダンボールハウスに帰りな!」


 嘲笑が室内に響いた――その刹那。


 瞬き一つ分の時間で、男の腕が動いた。


 ドンッ。


 乾いた銃声。

 兄貴分の顔面に、風穴が開く。


「……っ!?」


 崩れ落ちる身体。

 血が床を濡らす。


「ゴタゴタうるせぇぞあと俺はまだ36だ」


 老いた男は、感情のない声で吐き捨てた。


「この()()()()ども」


「へ……? 兄貴……?

 兄貴、兄貴、兄貴――!!」


 弟分は叫びながら、老いた男の目を見た。


 その瞬間――悟った。

 勝てない。


 本能が、全力で警鐘を鳴らしていた。


 弟分は踵を返し、逃げ出そうとする。


 その時――

 老いた男のポケットから、通信音が鳴った。


『おい、リボル。あの少女……相当ボロボロだぞ。

 どっかの誰かさんが派手に爆発なんか起こしたせいでな。

 このままじゃ、助からねぇ』


「……そうか」


 男――リボルは、静かに答えた。


「……後で贖罪はする。

 治療を頼んだぞ、スラン」


 通信が切れる。


「さて……」


 リボルが再び銃を構えた瞬間、弟分は煙幕を投げた。


 白煙が一気に室内を覆う。


「逃がすかよ」


 だが、リボルは追わない。

 静かに、ビルの階段へと向かう。


 ――屋上へ。


 逃げ場は、すでに塞がれていた。


◆◆◆


――現在


 そこには、もはや人の形を留めていない男の死体が転がっていた。

 肉は裂け、骨が露出し、血は乾きかけてアスファルトに黒い染みを作っている。

 夜風が吹き抜け、銃煙と鉄の匂いだけがその場に残されていた。


「……終わったか、リボル」


 瓦礫の影から、低い声が投げかけられる。


「ああ。終わったさ」


 リボルはピストルをゆっくりと下ろし、死体にもう一度だけ視線を向けた。


「それで……さっきの小娘は?」


「命に別状はねぇ」


 通信越しの声は淡々としている。


「だが、当分は目を覚まさないだろうな。

 身体も心も……相当やられてる」


「……そうか」


 それ以上、言葉は続かなかった。

 夜の静寂が、二人の間に落ちる。


「帰還する」


 リボルはそれだけを告げ、踵を返した。


「へいよ」


 通信が切れ、再び静寂。


 スラムの夜には、もう悲鳴も銃声もない。

 ただ、誰にも知られぬ場所で殺しが終わった痕跡だけが残されていた。

楽しんでいただけましたら、

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