第9話「牙の向こうに揺れる影」
朝。ギルド支部の掲示板前は、いつになくざわついていた。
「獣道沿いで跳牙猿が出たってよ。群れから外れたヤツが暴れてるらしい」
「荷馬車も通れねぇって話だ。被害が出る前に誰か処理しねぇとな……」
そんな声を背に、レイルは一人掲示板を見つめていた。
そこへ足音も静かに、受付嬢カティアが現れる。
「レイルさん。緊急依頼の件で、お時間いただけますか?」
顔を上げると、いつもより少しだけ真剣なカティアの表情があった。
「今回は……適性評価を兼ねた特例依頼になります。同行者は――」
「ベルトンか」
レイルが先に名を口にした。予感していたからだ。
カティアは小さくうなずく。
「……危険がないとは申しません。でも、これは正規ルートでランク昇格を目指すための“通過点”でもあります」
レイルは、モモンの小さな身体を見下ろし、ひと息ついた。
「了解。行こう」
⸻
◆ 農道にて ― 黒い影
「まったく……俺にとっちゃ罰ゲームだぜ。よりにもよって“ゴミ職”と組まされるなんてよ」
ベルトンが吐き捨てるように言った。
その言葉にも、レイルは沈黙で返す。
(言い返したところで、無駄だ。今は“行動”で証明するしかない)
農道を進み、獣道との分岐が見え始めたその時。
藪の奥でわずかな揺れがあった。
「……止まれ。あの藪、動いた」
レイルが手を上げ、指先で前方を示す。
風はない。動く理由があるとすれば、そこに“何か”がいるということ。
「モモン。前に出て、確認」
「ぷにっ!」
小さなスライムが勢いよく跳ねて前進する。
──次の瞬間、藪から跳ねるように飛び出してきたのは、
跳牙猿――犬ほどの大きさで、鋭い牙と凶暴性を持つ猿型の中型モンスターだ。
※《モンスターデータ》
跳牙猿/危険等級:D-ランク相当
群れを形成する跳躍型の獣種モンスター。
単体ではF上位〜D下位の危険度。攻撃性は高く、興奮状態の個体は動きも速い。
「モモン、前に出ろ! あいつの飛びかかりを止めろ!」
跳牙猿が空中で牙を剥いてレイルに襲いかかる。
レイルの肩をかすめ、鋭い痛みが走った――その時。
「ピィィ!」
モモンの身体が一瞬、半透明な結晶のように硬化し、
光のような薄膜がレイルの前面に広がった。
跳牙猿の牙がその“膜”に当たり、弾かれる。
「……今の、バリア……?」
ミルが呆然と呟く。
反撃の隙を逃さず、彼女は横から跳びかかり、自らの牙で跳牙猿を貫いた。
「ピギィィィ――」
獣の断末魔とともに、あたりに静寂が戻る。
⸻
◆ 応急処置 ― それぞれの報告
レイルは肩の傷を押さえながら、薬草を取り出した。
「……すぐに血は止まる。モモン、少しの間、警戒を」
「ぷにぃ……」
モモンの硬質化はすでに消えていた。
先ほどの“光の膜”も、まるで幻のように消えている。
(進化じゃない。でも……兆しはある)
そのとき、後方でベルトンが声をかけてくる。
「……お前、治療するんだろ? 俺は先に帰って報告しておく」
レイルは顔を上げなかった。
ただ、心の中で冷たく思った。
(どうせ、あいつは自分の都合の良いように話すつもりだ)
⸻
◆ ギルド支部 ― 偽りと迷い
「報告します。モンスター1体。俺が注意したのに、テイマーが不用意に近づいたせいで襲われた」
ギルドカウンターの前、ベルトンは自信たっぷりに語った。
受付嬢・カティアは、無言で報告書を受け取る。
その瞳に、一瞬の迷いが宿る。
「わかりました。後ほど、レイルさんの報告と照合させていただきます」
「ふん、あんな“出来損ない”の言い分なんて誰が信じるかよ」
ベルトンは肩をすくめて去っていった。
カティアはその背を見送ると、深く息をついた。
(でも……あの人は、嘘をつくような目をしていなかった)
レイルの財布事情(第9話終了時点)
項目
金額
前回残高
823ルム
収入:突発任務報酬
+100ルム
支出:応急薬草・包帯/簡易治療費
-45ルム
残高合計
878ルム
跳牙猿はD-ランク相当のモンスターで、興奮状態で危険度上昇。
ベルトンは戦闘に参加せず、先に帰還して虚偽を含む報告を行う。
カティアがレイルに対して「信頼の芽」を抱きはじめる。