6話【戦う理由】
月華家の家の前では、来た時と同じように龍神と真奈の2人を乗せたアルタイスが今まさに飛び立とうとしていた。
『じゃあ、行くよー。』
アルタイスがそう合図すると、10メートル、20メートルと徐々に高度を上げていく。勿論そのままでは目立ってしまうので、ステルスウェアの魔法も既にかけてある状態だ。
アルタイスが飛び立ってすぐ、それまで黙っていた真奈が唐突に口を開いた。
「あの、月華先輩?」
真奈にはまだ、龍神に尋ねておきたい事があった。ところが、龍神が返事をする前に何故かアルタイスが口を挟む。
『“月華先輩”なんてよそよそしいなぁ。“龍神”でいいのに。』
「何でお前が決めるんだっての。」
勝手に話を決めたアルタイスに、龍神が突っ込みを入れる。とはいえ龍神自身別に嫌そうな顔をしている訳ではなく、単純に出しゃばるなという注意のようだ。
『ダメなの?』
「正直どっちでもいい。」
適当な返事が返ってくる。どうやら龍神としては、どう呼ばれるかなどはあまり気にならないようだ。その言葉に甘え、真奈は彼に対する呼び方を変える。
「えと、じゃあ龍神先輩。お聞きしたい事があるんですけど。」
「聞きたい事?」
龍神としては大抵の事は既に話したと思っていたが、何分彼女とはまだ会って1日しか経っていない。まだ他に気になる事があってもおかしくはないだろう。そんな真奈の質問は、割とシンプルかつ率直なものであった。
「龍神先輩は、どうして恐魔と戦っているんですか?」
真奈は今日の昼間、屋上で恐魔と戦う事に対して龍神から忠告を受けていた。だが、忠告をした龍神自身がどうして恐魔と戦っているのかが知りたかったのだ。龍神は少し考えていたが、何かを隠す様子もなく答えた。
「んー、そうだなぁ。色々と理由はあるけど、きっかけはやっぱり親父かな。」
「お父さん?」
龍神は唐突に父親の話を出したが、当然真奈は彼の父親の事など知らない。そんな彼女に、龍神は身の上話を続ける。
「俺の親父は刑事でな、昔から正義とか悪とかそういう言葉にうるさい人間なんだよ。」
「先輩が恐魔と戦うのは、正義の為って事ですか?」
「少し違うな。」
真奈はかなり安直な考えをしてしまったが、どうやら違っていたようだ。そのことに関しての話なのかはたまた別の件なのか、龍神は急に話題を変えた。
「最近、都内で不可能犯罪って呼ばれる事件が頻繁に起きてるのは知ってるよな?」
「あ、はい。ここ数ヶ月で急増してますよね。」
龍神の言う不可能犯罪とは、ここ最近都内で多発している事件の事だ。その内容は、鉄パイプで串刺しにされた人間が高層ビルの壁面に磔にされていたり、周囲に建築物の無い筈の広場で人間が転落死していたりと、いずれも人間には到底不可能と思える手口のものばかりであり、それ故に巷では不可能犯罪と呼ばれているのだ。
「あれ全部、恐魔の仕業だ。」
「やっぱりそうだったんですね。」
衝撃的な事実を知らされたのだが、真奈は驚くどころか逆に納得した様子だった。しかし何故恐魔がそのような不可能犯罪を起こすのか、その理由までは詳しく知らなかった真奈は、そのことについて龍神に聞いてみることにした。
「恐魔はどうして、わざわざそんな回りくどい手口を使うんですか?」
「人間に見せつける為だよ。」
「見せつける?」
龍神が言うには、恐魔が明確な目的を持ってあのような凶行に及んでいるのは他ならぬ人間へ見せつける為であるという。勿論それにもきちんとした理由があった。
「恐魔は怒りとか憎しみとか、生物の負の感情を糧にしているのは知ってるな?」
「はい。恐魔が人間に取り憑くのも、そういった負の感情を増やす為ですよね。」
真奈の言う通り、恐魔は人間に取り憑くことで感情を暴走させ、更には周りの人間にも危害を及ぼすことで連鎖的に負の感情を巻き起こす。
昨晩龍神が倒した小型の恐魔に取り憑かれていたサラリーマンの男性も、取り憑いた恐魔によってふとしたきっかけで怒り狂う程に感情を暴走させられていたのだ。
「ところが高度な恐魔になると、取り憑くだけじゃなく人間に対して物理的に干渉することが可能になる。その中でも知能の高いヤツが、ああいう不可能犯罪を引き起こしてるんだ。」
「何の為に?」
真奈はまだイマイチピンと来ていないようだったが、龍神はそんな彼女に対して逆に質問をする。
「じゃあ聞くが、恐魔を知らない一般人が、突然身の回りで無差別殺人が起こった場合にどう感じるか、わかるか?」
「もちろん怖い…あっ!」
言いかけて、真奈は気付いた。彼女も充分理解できた様子だったので、そこから先は再び龍神が説明を始める。
「そう、ヤツらは人間の“恐怖心”を煽ってるんだ。」
『しかも“不可能犯罪”かつ“無差別殺人”だからね。恐怖だけじゃなく不安とか悲しみとか、他の負の感情もたくさん起こるんだよ。』
龍神の説明をアルタイスが補足する。確かにあんな形で無差別殺人などが起きては、普通の人間なら恐怖心を抱く筈であるし、不安にもなるだろう。
「そんなヤツらを野放しにしてたら、それこそ何人被害者が出るのかわかったもんじゃねえ。それを止める為にも、俺はヤツらと戦ってる。」
「へぇぇ…!」
龍神が恐魔と戦う理由を知り、真奈は感心したように声を上げた。だがここで、真奈はふとある事を思い出す。
「もしかして、先輩が剣道を辞めた理由って…。」
最初に龍神と会った時に言っていた、忙しくなったから剣道を辞めたというあの言葉の事だ。あの時は何の事だかわからなかったが、今ならそれも合点がいく。
「今はとにかく1分1秒でも時間が惜しいからな、部活なんてやってるヒマはねえよ。たとえ全ての人間を救うのは無理だとしても、1人でも多く救えるのならそれに越したことはないだろ。」
熱中していた剣道を辞めてまで恐魔と戦う龍神の姿勢に、真奈は少し胸が痛くなった。更に龍神は、最初の話題へと話を戻す。
「最初の話の続きだけどな、俺の親父は今、署内の【不可能犯罪対策班】っていう所の班長を務めてる。」
「先輩のお父さんは今、恐魔による事件を捜査してるってことですか?」
「そうだ。とは言っても親父は魔法の使えない普通の人間だから、恐魔に対してやれる事なんてたかが知れてるけどな。」
『普通の人間には、恐魔なんて見ることすらできないからね。』
確かに、そういった不可解な事件が多発すれば警察が解決の為に特別チームを編成したりするのも何ら不思議ではない。だが例えエリート刑事が何人も集まったところで、姿の見えない恐魔に対して何ができるというわけでもないだろう。
「恐魔の退治は、お父さんのお手伝いって事もあるんですか?」
「いや?最初の方は親父からはむしろ反対されてたんだよ。俺たち警察の領分だから手を出すな、ってな。」
『本音は龍神の事を心配する親心だろうけどね。』
いくら力を持っていると言っても、警察からすれば龍神は一般人だ。しかもそれが自分の息子となると、尚更巻き込むのは気が引けるというものだろう。だがそれに対する龍神の決意は固かった。
「けど、警察には出来ない人助けが俺には出来る。だったら俺がやるしかないだろ。最初は親父の影響もあったけど、今はもう関係ない。俺がやりたいと思うからやってるだけだ。」
「立派…ですね。」
ぽつりと返事をすると、それきり真奈は黙ってしまった。それほどまでの想いを抱いて恐魔と戦っていた龍神に対し、中途半端な正義感と覚悟で恐魔と戦おうとしていた自分の浅はかさが恥ずかしくてたまらなかったのだ。悔しさと情けなさで涙が少しずつ溢れ、頬を伝う。龍神はその事に気付いていなかったが、アルタイスは自分の背に雫が落ちたのを感じ、彼女が泣いている事を理解していた。
もっとも龍神自身もそんな真奈の様子を察したのか、それ以上は何も喋らなかった。アルタイスは気持ち少しスピードを上げ、真奈を送り届ける事に専念した。
それから少しして、ある程度気持ちが落ち着いたのか、何かを見つけた様子の真奈が下の方を指差しながら龍神に言った。
「あ、先輩。あの公園で下ろしてください。」
真奈が指差したのは、住宅街の真ん中にある小さな公園であった。いかにも近所の子供たちの遊び場になっているような場所だ。
「公園?あそこでいいのか?」
「はい、家のすぐ近くなんです。」
「よし、わかった。アル!」
『オッケー。』
アルタイスは返事をすると、スピードを落として公園の真上に近付く。そのまま翼を羽ばたかせながら、ゆっくりと下降していった。
「ここからは1人で大丈夫なんだな?」
アルタイスの背から降りた真奈に、龍神が確認するように聞いた。
「はい、大丈夫です。ただ最後にですね、1つ龍神先輩にお願いがあるんですが…。」
「何だ?」
これまで質問は散々されたが、頼み事というのは初めてだった。だが少し言い辛い内容なのか、当の真奈は複雑な表情を浮かべている。
「えっとですね…」
言いかけて、真奈は言葉に詰まってしまう。数秒の間黙って何かを考えていたようだが、やがて意を決したように口を開いた。
「わ、私にマジックフォンの使い方を教えていただけませんか!?」
「『マジックフォンの使い方?』」
思いもよらない頼みに、龍神とアルタイスは声を揃えて聞き返してしまった。何しろ、何故彼女がそんな頼みをしたのかが理解できなかったのだ。
「お前、母親も魔女なんだろ?」
「はい、そうです。」
「今時の魔女なんだったら、マジックフォンも持ってんだろ。わざわざ俺に教わらなくても、母親に教えて貰えばいいんじゃないのか?」
『そうそう。魔法の使い方って、普通は身内から教えて貰うものだよ?』
龍神とアルタイスの言う事ももっともであった。実際、龍神自身もマジックフォンの基本的な使い方は魔女である母親に習ったという経緯があったのも事実だ。
だが真奈にはそれが難しい、というよりも現状そうすることができない理由があった。目を泳がせながら、少しもじもじした様子で言うのを渋っている。
「えっと、それが実は問題がありまして…。」
『まさか、母親とは離れて住んでる、とか?』
アルタイスが尋ねた。家庭的な問題であれば、教えてもらうことができないというのも仕方がない。だが、真奈はそれを否定する。
「いえ、違うんです。」
「もしかして母親はガラケー派なのか?そういや、未だにガラケーの魔女がいるってどっかで聞いたことあるな。」
魔女が魔法を使う為の道具としてマジックフォンが導入されたのはここ数年の出来事であり、それまでは多くの魔女がガラケーで魔法を使っていた。今ではほとんどの魔女がマジックフォンに移行しているが、極一部、未だにガラケーで魔法を使っている魔女がいるという噂もあった。
「そうじゃなくって!!」
またしても真奈は否定する。声も一際大きくなり、その気迫に押されて思わず龍神とアルタイスは口を閉じてしまったが、次の瞬間に彼女の口からは衝撃的な事実が語られることとなる。
「ウチの母、機械音痴なんです。」
真奈の言葉に、しばらくの間沈黙が流れる。数秒して、状況を大体把握した龍神が静寂を破るように口を開いた。
「まさかと思うけど…母親がマジックフォンが使えないのか?」
若干顔を引きつらせた龍神の質問に、真奈は困ったような様子で答える。
「マジックフォンというか、それ以前にスマホがほとんど使いこなせてないみたいで…。日頃から、何故スマホなんかが魔法の道具に選ばれたんだ、って愚痴ってます。」
現代における魔女が魔法を使う際の道具として、スマートフォンが選ばれた理由は至極単純である。大昔から魔法を使う為の道具には、軽くて携帯しやすい、普段から持ち歩いている、人前で出しても怪しまれないといった条件が必要とされていたのだが、その結果スマホは正にその条件にピッタリだった、というだけの話だ。
「今はマジックフォンで魔法を使うのがすっかり主流になってるからな。」
そんな龍神の言葉に頷きながら、真奈は恥ずかしそうに話を続けた。
「自分でも使い方がよくわかってないのに、ましてや人に教えるなんて論外で…。結局、母の教えでは使い方が全くわからなくって困ってたんです。」
「なるほどね、事情はわかった。」
龍神は納得したように言う。要するに、母親の教えではマジックフォンの使い方がよくわからなかったから自分に教えて欲しいと言ってきたということだ。そんな彼の言葉を聞き、真奈はおそるおそる尋ねた。
「で、どうでしょうか?教えて…もらえませんか?」
「悪いが、今ここで返事はできない。」
龍神はピシャリと言った。断られた訳ではないが、かと言ってOKしてもらえた訳でもない。不安になった真奈は更に尋ねる。
「それって、何かご迷惑とか不都合があるとかじゃ…。」
真奈はかなり動揺した様子であったが、それを否定するように龍神は冷静に返す。
「そうじゃねえよ。その前に確認しなきゃならない事が1つあるんでな。」
「確認しなければならない事、ですか?」
真奈は首を傾げるが、龍神はその質問を無視してアルタイスの背に乗る。
「とにかく!その時になったらまた連絡すっから、今はそれを待ってろ。」
「あ、はい。わかりました。」
やや強引に押し倒され、結局真奈はそのまま納得せざるを得なかった。龍神はそれ以上何かを語る事なく、代わりにアルタイスが翼を羽ばたかせ、上へと上昇していく。
1人残された真奈は、龍神たちが飛び去るまで見守っていたが、やがて彼らの姿が見えなくなるのを確認すると家へと急いだ。
家への帰り道、上空では龍神を背に乗せたアルタイスが先程の件について彼に尋ねる。
『龍神。あの子にマジックフォンの使い方、教えてあげないの?』
アルタイスはやや心配そうにしているが、龍神からは意味深な答えが返ってくる。
「とりあえず“バアさん”に聞いてからだな。俺が良くても、もしかしたらあの人が許可しない可能性があるだろ。」
ぶっきらぼうな返事ではあったが、彼の心情を察したアルタイスは苦笑しながら冷やかし気味に言う。
『龍神って、そういうトコ変に律儀だよね。』
「大きなお世話だっての。」
からかうように言うアルタイスに対してやや鬱陶しそうに返事をしながら、そのまま龍神は話題を変える。
「それよか腹減ったなぁ。アル、ちょっとコンビニ寄ってピザまん買って行こうぜ。」
『帰ったらすぐ晩ご飯の筈だからダメ。』
龍神のワガママをアルタイスはあっさり却下する。まぁ夕飯前なので当然と言えば当然なのだが、やはり龍神は不満そうな様子だ。
「ちょっとぐらい良くねえ?」
『龍神を甘やかしたら、ボクまでママさんに怒られるんだけど?』
「仕方ねえのな。」
そんな他愛もない会話を交わしながら、2人はやや冷え込んできた夜空を駆けていく。