2話【恐魔と魔女】
黒い虫が消えてなくなると、スーツの男性は人が変わったかのように弱気になり、急に頭をかかえ出した。
「お、俺、どうしてこんなくだらないことで、あんなに怒ってたんだ!?」
男性のあまりの変わり様に、仲裁した龍神以外の全員がポカンとしている。それと同時に、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。おそらくギャラリーの中の誰かが通報したのだろう。
パトカーは近くの路上に停車すると、中から若い警官が2人現れた。1人の警官は速やかにスーツの男性の側へ駆け寄り、もう1人の警官は周りの人達から事情を聞いている。
やり取りはスムーズに進んだようで、スーツの男性から話を聞いていた警官が話をまとめるように口を開いた。
「わかりました、詳しい話は署で聞きましょう。」
どうやらこの場は何のトラブルもなく収まったようだ。しょんぼりする男性を尻目に、警官は黙って様子を見ていた龍神にも声をかける。
「申し訳ないんだけど、君も一緒に来てもらえないかな?」
龍神は直接的な関係者ではないが、一応形としては仲裁した立場ではあるので話を聞かれるのは妥当なところだろう。しかし、当の本人は怪訝そうな顔で警官に尋ねる。
「事情聴取ってことっすか?」
「まぁ、簡潔に言えばそうなるね。」
警官は穏やかな口調で接する。だが龍神は、そんな気は全くないといった態度でとんでもない事を言い出した。
「それ、家でやるんでここは帰してもらえないっすか?」
「家で?どういうことだい?」
事情聴取を家でやる、などと訳の分からない事を言う龍神だったが、彼の口からは警官にとって予想外な事実が語られることとなる。
「俺の親父、月華 轟龍っていって刑事やってます。」
月華 轟龍。その名前を聞いた途端、警官の顔色が変わった。後ろにいた警官は、名前を聞いただけで若干ビクついたようにも見える。
「月華 轟龍だって?君、まさか月華警部の息子さんなのかい?」
「そうっす。」
警官が龍神の学生服の胸元をよく見ると、名札には確かに月華 龍神と書かれている。先程自分が口にした上司と名字が同じであった。
「どうせ後で親父にあれこれ聞かれるんで、ここはさっさと帰して貰えないっすか?」
龍神からそう言われてしまった警官は複雑そうな顔になった。持っていたボールペンを額に当て、何か考え込んでいるようだ。
「規則としては本当は駄目なんだけど、相手が月華警部となるとなぁ…。」
「先輩、ここはもう月華警部に任せておいた方が良いのでは…。」
それまで後ろで黙っていたもう1人の警官までもが口を挟んできた。理由はわからないが、どうやらこの警官2人は上司である龍神の父親に対して何かしらの苦手意識を持っているようだ。
先輩警官は少し困ったように頭をかいていたが、やがて諦めたかのように口を開いた。
「わかった、その代わり警部には君の方からきちんと事情を説明しておいてくれよ?じゃないと後で我々が警部に何を言われるかわかったもんじゃないからね。」
「あざっす。」
龍神は警官に軽く頭を下げると、地面に置いてあった自分のカバンを肩にかけてその場を立ち去る。それを見届けた警官はスーツの男性と初老の男性をパトカーに乗せると、そのままパトカーを発進させて去って行った。
一連の流れを見ていたギャラリーも次第に散り散りになっていったが、ただ1人、真奈だけは強い眼差しで何かを決意したような様子であった。
次の日。星陽高校2年A組の教室で帰りの支度をしていた龍神に、唐突に声をかける者がいた。
「おーい、龍神!」
「おう、何だ甚太郎。」
彼、小日向 甚太郎は龍神と同じ星陽高校2年生で、彼のクラスメイトでもある。龍神とは1年生の時も同じクラスで、その頃からの付き合いだ。
「龍神、この後ヒマか?」
「特に予定はないな。」
「俺、今日は野球部の練習が無いんだよ。この間『仮面物語4』貸してくれた礼にハンバーガーでも奢ろうかと思ってさ。」
仮面物語4は去年発売した大人気ゲームだ。発売日に購入した龍神はとっくにクリアしてしまっていたので、以前からやってみたいと言っていた甚太郎に先月貸していたのだった。
「そういうことなら。」
「よし、決まり!さっさと行こうぜ!」
甚太郎に急かされ、龍神は彼と共に教室を後にした。
昇降口までやって来た2人は、下駄箱で靴を履き替えようとする。だが、龍神は自分の下駄箱の中に何か入っているのに気が付いた。見てみるとどうやら折りたたまれた何かのメモ用紙のようであり、既に靴を履き終えていた甚太郎が不思議そうに尋ねる。
「なんだそれ。手紙か?」
「みたいだな。」
龍神は四つ折りになっていたメモ用紙を広げる。差出人の名前はどこにもなく、中には綺麗な字でこう書かれていた。
『月華 龍神様。私は貴方の秘密を知っています。その件に関してお話がありますので、今日の放課後、第二校舎の屋上でお待ちしています。』
中身を確認した龍神は、メモ用紙を制服のポケットへとしまう。その様子を見ていた甚太郎は疑わしそうな目で龍神を問い詰める。
「なんだなんだ?まさか、ラブレターとかって言うんじゃねえだろうな!?」
「そんなところだ。悪い、甚太郎。用事が出来たんでハンバーガーはまた今度な。」
少し厄介事になりそうだと直感した龍神は、甚太郎を巻き込まないようにと澄ました顔で適当に答えた。だが、それを聞いた甚太郎は怒り心頭であった。
「けーっ!このモテ男め!裏切り者が!!お前なんか絶交だ!」
激昂する甚太郎を、龍神はいつも通りといった様子の少し冷ややかな目で見る。
「お前が俺と絶交すんの、一体これで何回目だ?」
「うるせぇ!今度こそは本当に絶交だ!!」
捨て台詞を残し、甚太郎は走り去ってしまった。とはいえ、どうせ明日になればいつも通りに戻っているのはまず間違いないので、龍神は特に心配する様子もなく指定された屋上へと向かうことにした。
第二校舎屋上の扉の前に到着した龍神は、早速扉を開けて屋上に出る。屋上には、見覚えのある少女が腕を組みながら仁王立ちして待っていた。
「待ってましたよ、月華先輩。」
龍神の目の前に立っていたのは、昨日自分にぶつかってきた1年生の友人らしき少女だった。だが龍神は、ある別の理由から彼女の事をよく覚えていた。
「お前、確か昨日の1年生だな。」
「私は1年C組の瀬能 真奈っていいます。」
少女は丁寧に自己紹介をするが、龍神にとってはそんな事はどうでも良かった。無駄話をする気もないので、龍神は単刀直入に質問をする。
「俺の秘密を知ってるって?」
前置き無しで本題に入るが、当の彼女からは更に斜め上からの応答が返ってくることとなる。
「先輩、あなたは【恐魔】に取り憑かれています!」
「はい?」
真奈は何の脈絡も無しにいきなり龍神を指差して言った。このまま彼女を放っておけばほぼ間違いなく会話は明後日の方向へと向かってしまうのは目に見えていたので、まずは順を追って確認することにした。
「一応聞いとくけどさ。お前、恐魔が何なのかはちゃんとわかってんのか?」
龍神の質問に、真奈はムッとした様子で答える。
「バカにしないでください!恐魔っていうのは生物の負の感情から生まれた化け物で、人に取り憑いて気持ちを不安定にさせたり暴走させたりする怪物です!」
「うん、それは大体合ってる。」
「ありがとうございます!」
会話が微妙におかしい気がしないでもないが、真奈は気にせずそのまま説明を続ける。
「ただ、それだけじゃないんです。恐魔の中でも強力なものは、取り憑いた人間を異形の化け物に変えてしまう力を持っているんです!」
「うん、それも正解。」
とりあえずは恐魔が何なのかは理解しているらしい。それがわかったので龍神は彼女が単なる妄想少女ではないという事に少し安心したが、それでもこの子の暴走は止まらない。
「そういうわけで先輩、今からあなたに取り憑いている恐魔をあたしが退治します!少々手荒な真似をしますが、これも先輩の為なんです!悪く思わないでください!」
「だから何で俺が取り憑かれてるって事になるんだよ?」
「問答無用!!」
真奈は龍神の質問を無視してスマホを取り出すと、ホーム画面にあるアイコンの1つをタッチする。するとスマホの画面が光り出し、音声が聞こえてきた。
『アプリケーション起動。使用する項目を選んで下さい。』
「フェアリーチェーン!」
彼女がそう叫ぶと、スマホの画面が更に強く光る。それと同時にスマホの画面から光り輝く鎖が飛び出し、龍神に向かって勢いよく伸びていった。
これこそが真奈が親友の千景にですら言えなかった秘密であり、同時に使い方に関して悩んでいたというアプリ、魔法である。
「えっと、あれ?」
しかし勢いよく伸びていった鎖は龍神の横を通り過ぎ、十数メートル程その長さを伸ばしたかと思うと瞬く間に消えてしまった。
「あ、あれ?おかしいな、消えちゃった…。」
自分の出した魔法が思い通りにいかずに戸惑う真奈に、龍神が呆れたように口を出す。
「何やってんだお前?フェアリーチェーンは一度伸ばした後、手元で操作して相手に巻き付けて使うもんだぞ?」
何故か使い方に詳しい龍神の指摘に、真奈はしょんぼりしながら小さな声で答える。
「うぅ…だって初めて使ったんだもん…。」
「はぁ?初めて?」
龍神は先程からこの少女には変な意味で驚かされっぱなしだった。肝心の真奈の方も、龍神の指摘を最後にそのまま黙ってしまった。このままではラチがあかないので、龍神の方から彼女へと話を切り出す。
「つーかさ、俺もお前に言いたい事あんだよ。」
「えっと、何ですか?」
真奈はおどおどした様子で聞いたが、その瞬間に龍神の目が急に冷たくなった。脅しをかけるような低い声で、一言彼女に言い放つ。
「お前、【魔女】だろ。」