姉様はこんなにも尊い
「姉さん、今日の髪型も世界で一番似合っていますよ」
鏡の前で淡い桃色の髪を整える姉――アイリス・フォン・ローゼンベルクの肩に、僕はそっとリボンを添えた。 王都から遠く離れた、豊かな港湾都市を擁するローゼンベルク伯爵領。その本邸の2階、朝のやわらかな陽光が差し込む姉さんの部屋だ。白を基調とした室内にはほのかに薔薇の香りが漂い、壁には僕が前世の知識を応用して特注で作らせた高精度の全身鏡が置かれている
「ありがとう、レオン。ふふ、あなたにそう言われると本当に綺麗になれた気がするわ」
少し首を傾げて柔らかく微笑むその仕草は、まさに天使だ。 のんびりとした雰囲気に、控えめな佇まい。自分から滅多に主張しようとしない、守ってあげたくなるような可憐な伯爵令嬢……それが僕の愛する姉さんだ。
だが、僕の心の中は穏やかではない。 なぜなら僕は前世の記憶を持つ転生者であり、この世界が乙女ゲーム『聖女の天秤』の世界だと知っているからだ。
ゲーム本来のシナリオでは、公爵家の息子と婚約させられた姉さんは、彼を狙うヒロインや他ルートの悪役令嬢たちの嫉妬と陰謀に巻き込まれ、『公爵令息ルート』の悪役令嬢に仕立て上げられて国外追放される悲劇の噛ませ犬ポジションだった。
『皇太子ルート』や『脳筋ルート』でも姉さんは陰謀に巻き込まれ、冤罪をかけられ、断罪や国外追放へと追い込まれる幸薄な役どころだった。
冗談じゃない。 こんな可憐で心優しい姉さんが悪役令嬢にされて国外追放だなんて、絶対にあってはならない! 脱!乙女ゲーム! 脱!姉さんの断罪ルート! 脱!国外追放! 僕の人生のすべては、儚い姉さんを守り、一生僕の個人資産で養うためにある。
思い返せば、前世の記憶を取り戻した7歳の頃から、僕は父さんに絶え間なく抗議をし続けていたのだった。
『父様!! なぜ! なぜあと2年……! いや、せめて1年でも早く僕を産まれさせてくれなかったのですか!?』
『な、何の話だ突然……』
『これでは姉様と同時に学園へ通えないではありませんか! あの心優しい姉様を、学園で僕が守っておあげできない! 全ては父様の計画性のなさゆえです!』
『私に命の誕生のタイミングを責められても知らん! そもそもカミラとの愛の営みにまでお前の許可がいるというのか!?』
執務室で真面目な顔をして机を叩き、父さんを本気で責め立てたあの頃。 腹黒領主として王都の貴族たちからも恐れられる父さんが、7歳の息子の理不尽すぎる八つ当たりに「頭が痛い……」と額を押さえていたのは良い思い出だ。
あの時、2歳差のせいで乙女ゲームの本編が巻き起こる学園に一緒に通い、お近くで守ってさしあげられないと知って絶望した僕は、その日を境に『前世の科学知識×桁外れの魔力』をフル活用し、跳躍的な飛び級計画と魔道具開発による個人資産形成に全てを捧げてきたのだ。
◇
1階の食堂へ向かうと、長テーブルにはすでに両親がついていた。
「それにしてもアイリス、学園入学前に来ていた公爵家からの婚約の打診、いつの間にか立ち消えになっていて良かったわねえ」
焼きたてのパンを大きな口で頬張りながら呑気に言ったのは、母さん――カミラだ。 母さんは元・王宮の影の家系(宮廷伯爵家)の次女で、身体強化の固有魔法を使う生粋の武闘派。性格が明透すぎて隠密に向かず実家を追われたが、その裏表のなさが父さんを狂わせている。伯爵夫人としてもこの明透さ致命的なのでは?と思わなくはないが、全ては父さんの愛の力(権力)で問題なく事が回っているらしい。
「……ああ、カミラ。今日も君のオーラは春の陽だまりのように心地よい。パンのカスが頬についているところも愛おしいよ」
「ちょっとあなた、子供たちの前で急に抱きつかないでちょうだい!」
母さんの隣に座る父さん――アルフレッドは、この豊かな領地を治める腹黒伯爵だ。 魔導師としても超一流の父さんの固有魔法は「精神の変化がオーラで見える」という極悪非道な力。人間不信になりがちな父さんにとって、思考とオーラが100%一致している母さんは可視化された天使であり、朝から隙あらばデレデレと抱きついている。
「ふふ、お父様とお母様はいつも仲良しで素敵ね」
姉さんが自分の席につき、小さく頬をゆるめて紅茶を一口飲む。……可愛い。姉さんこそ本物の天使だ。
ちなみに、ゲーム本来のメイン攻略対象であり、アイリス姉さんの婚約者になるはずだった公爵令息。彼からの婚約打診を、婚約が成立する前に影で完膚なきまでに叩き潰したのは僕だ。 前世の知識と持ち前の魔力で作った魔道具を売りさばき、築き上げた個人資産と情報網を駆使して、あいつが裏で平民や従者を見下し、暴行まで振るっていた横暴な素性と罪状を全て暴露。更には公爵家の表には出せない悪事などを使い、少々脅しをかけ、結果、婚約どころか公爵家から即座に『廃嫡』させ、学園に入学する前に気づけば社交界からも姿を消していた。
(ふふ……本来の婚約者ルートごと開幕前に消滅させてやった。心の清い姉さんには、こんな薄汚い裏工作のことなんて一生知らせずに済ませてみせる……!)
僕が一人で胸を張っていると、姉さんがふと僕を見て申し訳なさそうに微笑んだ。
ちなみに父さんは母さん同様姉さん溺愛なため、「カミラに似てピュアなアイリスを汚い男に引き渡せるか」と裏で僕の手回しをスルーしてくれていた。
「レオン、お前が裏で動いた件、カミラには内緒にしておいてやれよ? 彼女は嘘がつけないからな。知ったら顔に出てしまう」
父さんが眼鏡の奥の目を光らせ、僕だけに聞こえる声で囁く。
「もちろんです、父様。……ところで僕、来年は飛び級して1年早く学園に入学します。姉さんの側仕え兼護衛として生徒会に入り込みますから」
「ふむ、頼もしいな。必要なら私の裏のパイプも使え。アイリスを害する害虫は、芽のうちに摘み取るに限る」
父さんと僕の視線が交差する。腹黒当主と転生者弟の利害は完全に一致している。
母さんの実家(王宮の影の組織)からは「養子に来ないか」とスカウトされているが、それも姉さんを守る情報網として利用してやるつもりだ。 僕の固有魔法『領域把握と絶対遮断』も、すべては姉さんに近づく害虫(攻略対象)を物理的にも概念的にもシャットアウトするためにある。
「レオン、そんなに心配しなくても大丈夫よ? 私だって自分の身くらい守れるわ」
「いいえ、姉さん。学園には頭の沸いた王子や、性根の腐った女がウジャウジャいます。僕が作ったこの『自動防衛&即時転移魔道具(巨大ダイヤ付き)』を肌身離さず持っていてください!離れていても必ず僕が守りますから。」
「ふふ、ありがとうレオン」
困ったように笑う姉さんもなんと尊いことか。
待っていろよ、王都の魔導学園。 父さんの親バカ&妻溺愛パワー、そして僕の財力と魔力で、姉さんの断罪ルートなんて木っ端微塵に砕いてやる!




