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第9話 神の不調

 神にも、調子の良い日と悪い日がある。

 もちろん、人のように風邪をひいたり熱を出したりするわけではない。


 ただ、神の力は信仰や祈りと深く結びついている。

 長い年月、休むことなく神殿を見守り続ければ、力の流れが乱れる日もあるのだ。


「……少し、重いな」


 朝。


 彼女が神棚へ供え物を持ってくる前から、私は自分の異変に気づいていた。

 普段なら神殿中へ意識を巡らせても何の負担もない。


 けれど今日は違う。


 神殿全体を見渡そうとするだけで、どこか霞がかかったように感覚が鈍い。

 力を使えば使うほど、わずかな疲労が積み重なっていく。


「困ったものだ」


 こんな日に限って、彼女はいつもと変わらない笑顔で部屋へ入ってくる。


「おはようございます、神様」


 今日は野菜をたっぷり使った温かなスープだった。

 先日から健康を意識し始めたらしく、彩りの良い野菜がたくさん入っている。


「最近は少し健康的な献立を考えているんです」


 そう言って照れくさそうに笑う。


 ……私のせいなのだが。

 その事実を本人は知らない。

 知らないままでいてほしいとも思う。


 彼女が祈りを終え、部屋を出る。

 私は静かに神殿全体へ意識を広げた。

 その瞬間だった。


「……来たか」


 また一つ、妨害が動き始める。

 廊下の窓枠に置かれた植木鉢。

 ほんの少し押せば落ちるよう細工されている。


 彼女がその下を通れば、避けるのは難しい。

 普段なら指先ほどの力で植木鉢を元の位置へ戻せる。


 だが今日は違う。


 力がうまく集まらない。

 植木鉢が、ぴくりと揺れるだけだった。


「くっ……」


 落ちる。

 そう思った瞬間。

 廊下の反対側から神官が一人歩いてきた。


「そんな所へ植木鉢を置いた者は誰だ」


 神官は何気なく植木鉢を持ち上げ、邪魔にならない場所へ移動させる。

 彼女は何も知らず、その下を通り過ぎていった。


「……助かった」


 私は小さく息を吐く。

 私が守ったわけではない。


 ただの偶然。

 だが、それで十分だった。

 その後も似たようなことが続く。


 廊下へ転がされた木片は、掃除係の神官が拾っていく。

 扉の留め具は、通りかかった大工見習いが「緩んでいますね」と直してしまう。

 私が力を使う前に、人の手で問題が片付いていく。


「今日は……私の出番がないな」


 少しだけ肩の力が抜ける。

 人は案外、自分たちの力で危険を避けられるものらしい。

 神がすべてを何とかしなくても、人は助け合って生きていける。


 それは喜ばしいことだった。


 けれど。


「やはり、調子が悪い」


 私は自分の力の流れを確かめる。


 まだ重い。

 無理をすれば使えなくはない。

 しかし、必要以上に介入すれば、しばらく回復できなくなるだろう。


 神にも限界はある。

 だからこそ、本当に必要な時のために力は残しておかなければならない。


 夕方になる頃には、ようやく少しずつ感覚が戻ってきた。

 朝よりは楽になっている。

 どうやら一時的なものだったらしい。


「年のせい……ではないと思いたいが」


 神に年齢という概念はない。

 それでも、長い時を生きればこんな冗談の一つも言いたくなる。


 夜。


 彼女はいつものように神棚の前へ座る。


「今日も一日ありがとうございました」


 穏やかな声が部屋に響く。


「最近、神殿のみなさんは災難続きですけれど、大きな怪我をする人がいなくて良かったです」


 彼女はそう言って微笑んだ。


「明日も皆さんが無事に過ごせますように」


 自分のことより、周りの人たちを願う祈り。

 その優しさに、私は自然と心が和らぐ。


「……そうだな」


 声は届かない。

 それでも私は、小さく頷いた。


 今日は思うように力を使えなかった。

 けれど、人々が互いに支え合い、彼女も無事に一日を終えられた。

 それならば、悪い日ではなかったのかもしれない。


 そして私は静かに決意する。

 明日にはきっと、この不調も治っているだろう。

 その時はまた、誰にも気づかれないように。


 ほんの少しだけ。


 彼女を見守る神であり続けようと。

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