第1話 朝のお供え
神官の朝は早い。
夜明け前に身を清め、社殿を掃き、朝のお祈りの準備を整える。それがこの神殿で神に仕える者の日課だ。神にお供えをし、祈りを捧げ、神殿を管理し、人々の相談に乗り、困っている者へ施しを行う。それが神官の務めである。
神官には3つの階級があり、すべての神官を束ね神殿を管理している神官長、神官長の補佐を行い神官長に万が一があった時には職務を代行する神官長代理、そして一般の神官がいる。
最近は「次期神官長」の席を巡って、神殿全体がどこか落ち着かない。
今の神官長様も高齢になり、後継を決める時期が近いと言われているからだ。
……正直、私にはあまり実感がない。
もちろん私も候補の一人みたいだけれど、皆のように優秀というわけでもない。できることと言えば、人より少し料理が好きなくらい。
だから今日も、いつも通り。
朝一番に厨房へ向かい、小麦粉をこね、庭で採れた果実を甘く煮詰めて生地に乗せ、クッキーを作る。
「今日はうまく焼けたかな」
焼き色はきつね色。香ばしい香りが立ち上る。
神殿ではお供え物といえば果物や酒、保存の利く乾物などが一般的だ。けれど私は、毎日少しずつ違う料理やお菓子を作って自分の部屋にある神棚へ供えている。
理由は単純だ。
神様だって、毎日同じものだと飽きるかもしれない。
そんなことを言うと先輩方には笑われる。
「神は食事を楽しむ存在ではない」
「供え物は形式が大事だ」
そう言われても、私はどうしても温かいものを作りたくなる。
神棚の前へ座り、皿を丁寧に置く。
「おはようございます。今日は果実をのせたクッキーです。少し甘さを控えめにしてみました。気に入っていただけたら嬉しいです」
返事はもちろんない。
それでも、こうして話しかけるのが毎朝の習慣だった。
手を合わせ、静かに祈る。
人々が今日も穏やかに過ごせますように。
病に苦しむ人が少しでも楽になりますように。
神殿が良き場所でありますように。
そして、焼き菓子が冷めすぎませんように。
……最後だけは少し私情が混ざっている気もするけれどね。
祈りを終えた私は、使った厨房を綺麗に片付けてから朝のお祈りを行いに祈祷場へと向かった。
神官たちが次々と集まってくる。
「あれ?」
最初に来た先輩神官は、なぜか全身泥だらけだった。
「どうされたんですか?」
「……いや、少し転んだだけだ」
服には枝まで刺さっている。「少し」で済むようには見えなかった。
続いて現れた別の神官は、頭から水をかぶったようにずぶ濡れだった。
「雨、降っていましたっけ?」
「……井戸だ」
「井戸?」
「気にするな」
それだけ言って、疲れ切った顔で席につく。
さらに別の神官は額に大きなたんこぶを作っていた。
「治療を受けた方が……」
「扉が……急に閉まってきた」
「そんなことあります?」
「……私もそう思う」
皆どこか様子がおかしい。
ここ数日ずっとこんな調子だ。
誰かは服が破れ、誰かは顔にすすをつけ、誰かは足を引きずっている。
神殿の外で何か起きているのだろうか。
「最近、災難が多いですね」
私がそう言うと、その場にいた神官たちは一斉にこちらを見た。
妙に静かになる。
「……君は」
一人が何か言いかけて、口を閉じた。
「どうしました?」
「いや……何でもない」
皆、不思議そうな顔をしている。
私は何か変なことを言っただろうか。
結局その理由は誰にも聞けないまま、朝の祈りを告げる鐘が鳴り響いた。
神殿はいつもと変わらぬ厳かな空気に包まれる。
――私は知らない。
この静かな朝の裏側で、次期神官長の座を巡る争いが日に日に激しさを増していることを。
そして、私にも幾度となく「災難」が降りかかるはずだったことを。
それらがなぜか一度たりとも私には届かず、代わりに誰かが首をかしげるような出来事ばかり起きていることも。
もちろん、その理由など知る由もなかった。




