第三十三話 「最悪な朝」
翌日から俺と初菜は同室になった。病室の出入り口に近いベッドが俺ので、窓際のベッドが初菜のだ。
「最悪な朝ね」
初菜が朝食を食べながら言った。長い髪は夜を吸い込んだかのように、朝から艶があった。
「同感だ」
味の薄い朝食を食べ終わると、戦闘医用ヘルメットを装着する。休憩を挟みながら、Sランク病魔を倒していく。午前中で病魔を五百体倒した。十体のアバターを同時に操作したので、撃破数も多い。
昼飯は抜いた。体がだるくて、食欲も湧かなかったから。看護師が俺の不調を報告したようで、おっさんが診察に来た。
「発熱だ。午後からは安静に」
言われた通り安静にしていると、隣のベッドから荒い息遣いが聞こえてきた。漫画から目を逸らして、ベッドを見やると、今まさに、初菜が上半身を後ろへ倒しているところだった。体に力が入らないのか。唇を噛んでいる。
俺はナースコールを押した。
結局、俺も初菜も発熱し、午後からの戦闘医活動は禁止になった。
「ねえ」
「何だ? メロンパン買って来いとか言うなよ」
「退屈だから何か弾いて。ピアニストなんでしょ」
「ならピアノ持って来いよ」
当然、病室にピアノはない。所詮ピアニストなんてピアノがなければ何もできない。
「コンクールとか発表会の記録映像は?」
「あるけど、面白いもんじゃねえよ」
「見せなさい」
命令の後、初菜が咳をする。俺もつられて咳をする。ポカリを飲んで、呼吸を落ち着ける。
「あのなあ、どうして俺がお前に従わねばならんのだ? 説明してくれよ」
「いいでしょ。それとも自信がない? 素人が聴いても下手くそと分かるような演奏なのかしら」
「わっかりやすい挑発してくんじゃねえよ」
枕に片頬を押しつけて俺を見ていた初菜が、寝返りを打った。
「どうしても嫌ならいいわ。ほんとは、全然見たくないし」
「すねるなよ」
考えてみれば、俺の滅茶苦茶上手い演奏を初菜に見せたところで、実害はない。むしろ、俺の実力を証明するいい機会だ。
俺は前に蓮見先生が送ってくれたDVDを持って、初菜のベッドに近づいた。テレビの電源を入れて、DVDをプレイヤーに入れる。初菜がこちらを向いた。
「勝手に見ろ」
「言われなくても勝手に見るわよ」
俺はベッドに戻り、もう何度も読み返した漫画雑誌を手に取る。
病室にモーツァルトのトルコ行進曲が流れ始めた。初菜はテレビに見入っているが、俺の場所からは映像が見えない。
曲が終わった。
「よかったわ」
「どうも」
「私は素人だから技術的なことは分からないけど、あなたが真剣なのは伝わった」
次の曲が始まった。
一曲終わるごとに初菜は短い感想を漏らした。指が速い。楽譜覚えてるのね。今回は苦しそう。テンポってどうやって取ってるの? いつものあなたじゃないみたい。
最後の曲が終わった時、日は暮れかけていた。
「あなたはピアノが好き?」
初菜は確認のつもりで訊いたのだと思う。俺もこれまで何度も確認して来たことだ。だから、今一度自分に問いかける。
「好きだよ」
初菜は笑みを見せた。けれど、まばたきの一瞬で笑みは消えた。DVDを取り出し、俺のもとへ返しに来る。
「お前はどうなんだ? 何が好きだ? メロンパンか? それとも料理か?」
「どうして私の好きをあなたに教えないといけないの?」
「俺だって教えたんだ。お前だって教えろよ」
「知りたい?」
知りたいと素直に言うのが気恥ずかしくて、唇の端に力が入る。
「言いたくないならいいよ。ほんとは、全然知りたくないしな」
「すねないでよ」
「お前が言うか」
「ちょっと待ってて」
そう言って、初菜が取って来たのは、ノートだった。ただの大学ノート。俺は記憶の隅を突いて、五月の夜、屋上でノートを広げていた初菜を思い出した。
「たしか屋上でお前が倒れたとき、持ってたような」
初菜がうなずく。
「見ていいわよ」
俺はノートを受け取り、一ページ目を開ける。洋食×メロンパンのレシピと大きな字で書いてあった。次のページには、メロンパンオムライスの材料や作り方がイラスト付きで記されている。
「何だ? 手作りのレシピ本か?」
「そうよ。私、夢があるの」
「メロンパンと洋食の融合か?」
「それも夢。でも、それだけじゃない。私の夢はお父さんの店を継いで、お母さんと一緒にパンを作って、お客さんにおいしいって言ってもらうこと」
俺はノートをめくっていたから、初菜がどんな表情をしているかは見れなかった。でも、声は透き通っていた。
「あなたの夢は?」
「夢っていうほど大そうなものはねえよ。でも、勝ちたい相手はたくさんいるな。ピアノのライバルとか、お前とか」
初菜が軽く息を吐く。
「私に勝っても意味ないじゃない。白血病の病魔に勝たないと」
「お前にも白血病にも勝つ」
「無理に決まってる。世界最高のチームでも勝てないのに、個人で勝てるわけがない」
先日のオールオペレーションで、俺と初菜の病魔は、レガルとピルケのチームを破った。特殊効果付きの武器も通用しなかった。
「無理でも勝つ」
「言ってること滅茶苦茶。話にならない」
「戦う前から諦めてるお前の方が話にならねえよ」
俺は初菜にノートを返す。
「三日後だ。まずお前の白血病魔を倒す」
「何言ってるの? 勝手に決めないで」
「黙れ。もうお前に協力は頼まない。俺が一人で倒すから、ひっこんでろ」
俺は駄目押しの一言を投げつける。
「勝つ気のない奴は足手まといだ」
初菜の唇が震えている。今にもビンタが飛んできそうだ。
「勝手にしなさい。馬鹿っ」
ビンタは飛んで来ず、初菜は自身のベッドに戻って行った。カーテンが引かれ、ベッドを囲んだ。




