名前のない始祖人間
「陛下! 一体どこに――なんですか、それは」
レノの姿を森の奥にみとめて走りよってきたのは、綺麗に巻かれた白い毛の羊であった。
こんな森の奥だというのに燕尾服を着た羊は、メガネの奥の目を光らせる。それに気づいたレノは困ったような顔をしながら肩をすくめると、羊の質問には答えず腕の中の少女を見せた。
「メリー。救急箱はどこだ? 出してくれないか」
「おや、これは……すぐに。確かテントの奥へしまってあるはずです」
メリーと呼ばれた羊は慌てて簡易テントの中へ入っていく。
すると、騒ぎを聞きつけた従者が次々と王の周りに集まりだし、『人間か? うわー、ひでぇ怪我だな。骨が折れてやがる』とか『小せぇなあ。まだ子供か?』などと話している。
「…………」
騎士である従者たちは肉食獣が多い。そのため、少女は再び怯えてレノの服をギュッと握り締めた。
それに気づいたレノは一瞬トロンとした目をすると、すぐに周囲の従者に向けて威嚇するように牙をむく。鼻っ面にはシワがより、従者たちの間には少しだけ緊張が走った。
「離れろ。これが怯えている」
慌てて距離を取る従者を見ながら満足げに頷く。
すると、丁度そこへ救急箱を持ったメリーが現れた。
「それで、陛下。どこでその人間を拾ったのですか? 飼い主は?」
「それが見当たらなかったんだ。首輪が無いから捨てられたか逃げたのだろう。だから持って帰ってきた」
「……あれほど、何でもかんでも拾ってきてはいけないと申し上げたのですが」
「しかし、拾わなかったら死んでいたぞ。確実に」
メリーはため息をつきながら『そうですね』とつぶやくと、テキパキと少女の手当てを始める。
ツンと鼻をつく薬品の臭いに、少女は思わず顔をしかめた。何気なく顔を上げると、メリーと視線が合い微笑まれる。慌てて視線をそらし、しかしそれが失礼であったと気づきソッと視線を戻すと、メリーはまだ少女を見つめて微笑んでいた。
「ずいぶんと小さいのですね、この子は」
「だろう? まだ生まれたばかりなのではないか?」
そんなことはない、と思いながら、少女は周囲を見渡す。どの動物もニコニコしながら自分を見つめており、比較的友好的のように思えた。
「ところでまさか飼うなどと言いませんよね」
「法律では一度首輪を外して飼い主と離れた人間は、失踪から四十八時間以内に飼い主登録所へ迷子申請が出なかった場合、他者が新たに所有権を求めることができる、とある。失踪日がわからないが、本日より四十八時間申請が出なければその認識で問題あるまい」
「飼う気ですか……」
だからこそ、少女は言葉を発さない方がいいと思った。そうすれば保護してもらえると思ったから。少女は、自分を助けてくれるかもしれない存在に媚を売ることを選んだのだ。
「…………」
これが正しいことなのか、少女にはわからなかった。ただ、そうしてでも生きなければいけない、生きたい、と思った。
しかし――……
「お前、名前は?」
「すみません、わからないんです」
レノの質問に反射的に答えてしまい、ハッと気づく。
辺りはしんと静まり返った。
「……今……」
ポツリと誰かがつぶやいた。
少女は血の気が引いてすっかり青白くなっている。
「……お前が……話したのか?」
少女は小さく震えたまま何も言わない。しかし、その顔が『しまった』と言いたげな表情になっていた。
だから、この場にいる全ての動物は確信した。
「気のせい……じゃなさそうだ。確かに、今、はっきりと――」
どんどん少女が泣きそうな顔をしていくのを見て、レノはふと機密事項を思い出した。始祖人間の話だ。
慌てて周囲を確認するが、この場にいるのが自分の近親の者で始祖人間についてはすでに話してあることを思い出す。今朝この狩場に来る間に話をしておいたのだ。狩りという名目で“始祖人間を捕獲する”という目的のために。
ところが、その目的を果たすための重要人物が目の前にいる少女かもしれないということに気づいた。そして恐らくは周りの動物達も気づいているだろう、ということも。
「まさか……お前が……?」
本当に目の前の少女が始祖人間なのか、といぶかしみながら、しかし期待で胸を膨らませながら、レノは慎重深く少女を観察した。
すると、王の横に黒い影が降り立つ。少女以外はその影に心当たりがあったので平然としているが、少女は気配すら感じていなかったため驚いて体を震わせる。
レノが落ち着かせようと二の腕を撫でれば、少女はその腕に巻きついてギュッと力をこめてくる。力いっぱい握っているのであろうとは思うものの、レノの腕は全く痛まなかった。あまりのか弱さにレノは内臓が――主に胸のあたりがギュッとするのを感じながら、影の主、ヨークへ向けていかめしい顔を作った。
「おい、レノ」
「レノ、じゃないだろう。これを怯えさせるな」
少女を慰めるようにして頭を撫でれば、少女の表情は少しばかり柔らかくなった。それを見たレノは、少女の中で自分の存在が“守ってくれる者”になったのだと確信する。少女からすればレノも十分に警戒する対象であったが、とにかくレノは頼られたことが嬉しかった。
「お前は本当に無骨なやつだな」
だから通常よりもいかめしい顔でヨークを責めた。
その尻尾が得意げにピンと立って小刻みに揺れているのを見て、ヨークは鼻白んだように笑う。
「レノ、始祖人間が逃げたらしい。だが――」
「これか」
「そうだ」
やはり、と小さくつぶやくと、レノは少女を見下ろした。少女の小さい頭が揺れ、レノの様子を伺うためにそっと上がっていく。やがて目が合うと、少女は濡れた瞳でレノを見つめた。
その目は徐々に涙を蓄えていき、今にもそれが目から零れ落ちそうだ。
「か……」
一言発したまま、レノは何も言わない。しかし、誰も続きを促すものはいなかった。
― 可愛い ―
恐らくはこの場にいるほとんどの人間が同じ気持ちになったからである。
「……レノ……可愛いのはわかったから、追っ手が来る前に連れて行くぞ。研究所の動物どもが、そこのお嬢ちゃんの脱走に気づいた」
この台詞を聞いたレノの決断は早い。
小さく「帰還の準備を。可哀相だが手当ては後だ」とだけ言うと自分は馬に少女を押し上げて座らせ、その後ろへまたがって包み込むように抱き込む。
「あとは頼んだぞ。ああ、メリー。飼い主登録所の職員を城に呼べ。目覚めたばかりの研究体であれば飼い主登録はまだだろう。先に私がする」
「ですが、陛下……それでは研究所の者が黙っては――」
「法律的には問題あるまい?」
「陛下……!」
レノは意地悪そうな顔でニヤリと笑うと、馬の腹を軽く蹴る。
それを見てハッとしたのは部下たちだ。
「ちょ、ちょっと陛下……! 片付けは皆でするって約束したじゃないですか!」
「出かける前はな。だが状況が変わった。こちらの保護が優先だ」
「ずるいですよ陛下! あんた絶対にそれだけが理由じゃないでしょうが……!」
馬上から引き摺り下ろそうと手を伸ばす部下達の手を次々に打ち落とし、レノは『ではな』とだけ言って走り去って行った。
「あー……もう……」
別にたいした掃除はないが、レノが上機嫌なのは誰の目にも明らか。このままでは暴走しかねないと思ったヨークは小さくため息をつくと後を追った。
「……仕方がない。掃除をしてさっさと帰るか」
誰が言い出したか、その声にみなはダラダラと片づけを始めるのだった。
* * * * *
「あの……飼い主登録って……」
城について少女の怪我の治療が終わり、四十八時間が経ったときのことだった。
レノの元に呼ばれた少女は、居心地悪そうに視線を彷徨わせる。
先日レノが言っていた“飼い主登録”のセリフが蘇ってきた少女は、もしかしたら自分が所有物としてここから出られなくなるのではないかと危惧した。
城であれば当面の生活は保障されたも同然だったが、家族を見つけた時、ここから出られないと困ると思ったのだ。
「私の所有物であると証明するためのものだ。これをしないと、研究所が所有権を主張したときに返さないといけなくなる可能性がある。まだ今なら“研究所のものとは知らずに野良人間を拾った”と言えるからな」
黒い笑みを浮かべるレノに、少女はゆるく頷く。
すると、小さなノックの音とともに扉の外から来客を告げる声が聞こえた。
「入れ」
そう言われて入ってきたのは、スーツを着て緊張しきった顔をしているトンビだ。
鳥も人間のような等身を持っていることに驚きつつ、少女はトンビをジッと観察した。
「陛下におかれましては――」
「ああ、堅苦しい挨拶は不要だ。それよりも書類を」
「は、はい……!」
渡された書類に目を通しながら、不明点を職員のトンビに訪ねていく。その度にトンビは飛び上がらんばかりに恐縮し、間違った敬語を使いながらなんとか応対していた。
「ではあとはここにサインをするだけだな。ところで失踪届が出ていないかどうかについては、出ていないということでいいのだな?」
「は、はい、間違いございませんです。ああ、あと、お人間様の手形も頂けますでしょうか? こちらにポンと……はい、結構でございますです」
サインを書き、少女の手形を取り、レノがトンビへ書類を渡す。するとトンビは少し安心したような表情を浮かべ、小さくため息をついた。
猫のメイドが少女の手を綺麗に拭く間、少女は猫の耳が注意深くレノとトンビの話を聞こうと動いているのを見ていた。
「これでこのお人間様は陛下のご所有物となりましたでございますです、はい。あとはお名前お登録でございますですね。ここ、こち、こちらにお人間様のお名前をお書き下さいませ」
「名前……名前、か。最近拾った野良でな。まだ名は無いんだ」
「左様でございますか。でで、では、後日ご提出して頂くということでよろしいでございますな」
「それだと飼い主の所有権が不完全になるか?」
「いえ、それは大丈夫でございますです。こちらに陛下の署名と、お人間様の手形を頂いておりますので、所有権はもう完全に陛下のものでございましてですね、はい」
何度も頷くトンビに、レノは満足そうな笑みを浮かべた。
「そうか。では後ほど名を決めたら提出しよう。城の遣いが行く」
「かしこまりましたでございますです。でで、では、わたくしはこれにて失礼させて頂きます」
「ああ、ご苦労」
去っていくトンビを見送りながら、レノは安堵のため息をついた。
「さて……まずは改めて歓迎を。よくきたな。これで私はお前の飼い主で、お前は私の物だ。だがお前を監禁するつもりは無いし、蔑ろにするつもりも無い。これは、お前は私とともに生きてほしい。人間の寿命は短いが、その短い寿命の間、私はお前を大事にすると誓おう」
柔らかい笑みを浮かべてそう言うレノに、少女は顔を赤くしながら頷いた。
すると、レノの顔はさらにゆるみ、立ち上がった尻尾がビビビと小刻みに揺れる。
「ようございましたわね、陛下」
「ああ」
猫のメイドがニコニコ笑いながら少女を見つめ、傷ついた少女を抱き上げた。
「それでは、わたくしはこの子をベッドへお運び致しますので」
「頼んだぞ」
「かしこまりました」
少女が連れて行かれながらも猫のメイドの肩越しにレノを見れば、レノは満面の笑みで少女を見つめている。
その姿が扉で閉ざされるまで、二人はただ見つめ合っていた。




