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世界はかくも残酷で――……

「何? 間に合わなかっただと?」


 王の私兵である黒狼のヨークは小さく唸った。しかし、王のきつい視線から逃れることはできない。


「レノ……別に言い訳するつもりじゃないがな、脱走の手引きは夜のはずだったんだ。それがなぜか真昼間に行なわれた」

「だから?」

「……間に合わなかった」

「…………」

「俺はその時、別のところでお前に言われた仕事をこなしていた」


 レノと呼ばれた王は目を細める。


「……それで? 始祖人間はどこへ行ったのだ。まさか、わからないとか言うつもりか?」

「…………」

「……わからないんだな」


 大きなため息をつきながら、レノはふかふかの王座へ体を埋める。

 天を仰いで再度ため息をつけば、レノの視界でヨークが居心地悪そうに身じろぎをした。


「まあ、いい。探してくれ……ニオイはわかるか?」

「ああ。すぐに追う。どうも街のほうへ流れたようだ。当たり前だが、手引きした動物は外にもいる」


 そう言ってヨークは窓から外へと出て行った。

 その後姿を見ながら、レノはまだ見ぬ始祖人間へと思いをはせる。始祖人間の存在をレノが初めて知ったのは、彼が子供のときに読んだ絵本からであった。

 “人間物語”と言うのは、この世界では誰しもが読む絵本である。

 そこには人間が滅びた理由が書かれていた。そして知能をなくして地をはうようになった人間を、今度は動物が育てていこうと奮起する物語だ。

 いわゆる“良い話”として子供に人気の絵本であるが、そこには痛烈な皮肉や残酷な事実なども紛れている。もちろん、その事実に気づいたのはレノが大人になってからであったが。


「始祖人間……か……」


 文献によれば、始祖人間はもう途絶えている。途絶えているはずだった。

 それが数年前に旧東京都の氷の中から冷凍体が五百体以上見つかったのだ。その冷凍体は各地の研究所に売買された。

 時折、人間が滅びたまま手付かずになっている土地からは、人間の冷凍体や遺体がサルベージされる。しかし、サルベージされたものは遺体や不完全な冷凍体であるため、今まで一度も甦ったことは無いのだ。また最新の技術を用いても、細胞から人間を創りあげることは叶わなかった。

 それが、今回はどうしてか甦ったのだ。一体どうやったのかはレノにはわからない。

 世界的発見であるそれは、国王の命の元に国家最高機密として扱われ、知っているものは国王と一部の(しもべ)、また研究所の動物のみとなった。


「……始祖人間……よもや生きているうちにその存在が本物になるとは……」


 レノの目が怪しげに輝く。


「……欲しいな」


 どうしても、始祖人間が欲しい。

 その思いがレノの中にグルグルと渦巻いていく。

 舌なめずりをしたレノの顔は、凶悪な笑みを浮かべていた。




* * * * *




「イグアナ……イグアナ……」


 少女は言われたとおりの場所でイグアナを待っていた。

 しかし、待てど暮らせど誰も来ない。何度か研究員が通りかかり、その度に慌てて隠れて「見つかるかもしれない」と怯える。

 未だに騒ぎになっていないのは奇跡に近いのではないかと思い始めたその時のことだった。


「わ!?」


 寄りかかった塀が倒れ、少女は地面へと転がる。

 慌てて起き上がれば、塀だと思っていたそれは観音開きの扉であった。その向こう側には見たこともない世界が広がっていた。ドレスやスーツを着て歩き回る動物。

 まるで中世ヨーロッパのような光景に、本当は異世界に来てしまったのではないかと思ったほどだ。


「早く……帰れるといいな……」


 いまだ信じきれず、そうつぶやいた少女。

 しかし、もうほとんどこれが現実のことであると思い始めていた。それを必死に隠し、まだ夢を見ているか騙されようとしているのだと思い込もうとする。


「…………」


 車のクラクションの音。

 飛空挺のエンジン音。

 上が見えないほど高い建物。

 かいだことも無い、獣のニオイ。


「……早く、帰りたい」


 少女は再びポツリとつぶやいてうつむいた。

 それと同時に、少女の背後で物音がした。


「!」


 先ほどと同じように茂みに入り体を隠せば、向こう側からこの研究員が歩いてきているのが見えた。

 そしてそれは少女へと向かってくる。思わず見つかってしまったのかと焦るが、研究員は『あれ、また扉が開いてる。困るんだよなあ。出入り業者のやつ、いつも少し開けっぱなしで帰るんだから』などとつぶやきながら歩いていた。


(まだ……見つかってない……?)


 しかし、このままでは確実に見つかってしまう。

 どうしたものかと考えるも、良い案は全く浮かばなかった。

 すると、もう一匹の研究員の声がした。


「おーい! お前、パソコンつけっぱなしにしてただろ! 所長が怒ってたぞ!」

「ゲッ……マジか……」


 一瞬、研究員の視線が扉から離れる。

 少女は反射的に走り出していた。

 扉の向こう側へ広がる広大な世界へ向かって。


「……はあっ……はあっ……!!」


 立ち止まらず、一目散に前を見て走る。

 喉が痛くなり、胸が痛くなり、息が吸えなくなってもなお走り続けた。時折動物達が驚いたような顔をして避けていくが、それを気にとめないようにしてただひたすらに走った。

 ショルダーバッグが重い。


「ゲホッ……ゲホッゲホッ……」


 どれほど走ったか、もう駄目だと思いスピードを緩める頃には、少女の周りは都会的なそれではなく木々が豊かな森の中。

 振り返ると、はるか向こうに街が見えた。


「街の……すぐ外、は……森だったんだ……」


 まだ肩で息をしながら、ゆっくり歩き続ける。時折よろけながらも、少女は追っ手を恐れて森の奥へ奥へと入っていく。


「イグアナさんには会えなかった……でも、仕方ない、よね……どうしよう、生きていけるかな……どうしよう……」


 生き物の気配がしない森。

 木々が時折風でゆれ、その度に少女は肩をふるわせる。

 やはり戻ろうかと思い始めたその時のことだった。


「おい、首輪をしていない人間がいるぞ! 野良人間だ!! 追え!」


 強烈な獣の臭いがし、ガウガウと獣の吠える声が聞こえる。

 反射的にそちらを振り向けば、腕に“保健所”と書かれた腕章をつけた犬達が、鋭い目つきで少女へ向かってくるところであった。

 あれが何かと考えるより先に、昔の記憶がよみがえる。保健所の職員に、綱を付けられて引っ張られていく犬の姿が。


「きゃぁあああぁぁぁああああぁぁあ!!」


 少女は走り出した。

 来ないでと言おうとして、ジョーの顔が浮かぶ。


『君みたいに話したり考えたりして意思疎通できる人間はいない』


 話してはいけないのだと気づき、口を手で塞いで走る。話しているのがばれたらどうなるかくらい、考えずともわかった。あの研究所に逆戻りすることは、少女にとって絶対に避けねばならないことだったのだ。


「……ふっ……うぅっ……」


 その手に水滴が流れ、初めて自分が泣いているのだと気づいた。しかし、涙は出しても止まるわけにはいかない。止まったら、もうそこで何かが終わる気がした。


「周り込め!」


 そう聞こえた瞬間、少女の上に陰が落ちる。

 そしてその影は少女の上に降り立ち、少女の腕をひねり上げながら地面に引き倒した。


「うあっ……!?」

「手間取らせやがって……!」


 バタバタと足音がして、周りに保健所の犬達が集まってくる。


「おい、腕を折る気か! 力を緩めろ! 人間はもろいんだから、下手したらすぐ折れるぞ」

「こりゃどうみても飼われていたのが捨てられたやつだ。飼い主が迎えに来ない人間はすぐガス室で殺すんだから、骨が折れようが関係ねぇさ」

「だな。綺麗なドレスを着ているから、それなりに良い家の愛玩人間なんだろうけど」

「そんなのわからんだろうが! 逃げ出したのかもしれない……貴族の飼い人間だとしたら、まずいことになるぞ」


 その会話を、少女は全く理解できなかった。何を話しているのかはわかる。しかし、脳の処理能力をはるかに上回る事態。今の言葉通りに受け取れば、人間がペットのように扱われていることになる。


「貴族か……なるほど、面倒だな」

「チッ……しゃーねぇな」


 ジョーも小梅も知能を有した人間がいないといった。ではそれ以外の人間はどうなのだろうか。例えば、知能の無い人間が山ほどいて、それが犬猫のように売買されているのだとしたら――……

 そう考え、少女はようやく納得できる答えへとたどり着いた。正確に言えば、“納得させられた”だ。自分(人間)に対する扱いがおかしいことに。


(この世界は……本当に人間と動物の立場が逆転しているんだ……)


 少女はいまだにここが異世界なのか、それとも本当に地球の未来なのかはわからない。しかし、今自分の命が危機に晒されていることは理解していた。そして人間が、動物にとってどういう存在であるかも。

 全てが信じられなかった。信じたくなかった。


「さあ、こっちへ来い」


 自分の方へ新たに伸びてくる手を見て、少女は大きく息をはいた。

 その目は濁って光を反射しない。

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