王の帰還
「何!? ハナが倒れた!?」
帰りの馬車の中、関所を通ったと聞いたメリーが早馬を走らせてレノへ伝言を伝えさせた。
この伝言を送った時にはすでにハナの体調もだいぶ良くなっていたものの、未だ体調は悪いまま。
時折うわ言を言って泣いているのを聞いていたので、メリーは“母親代わりに研究員を迎え入れたい”という旨を伝えさせたのだが、レノはその部分よりも“ハナが倒れた”という部分しか聞こえていなかった。
「容態は!?」
「で、ですから……熱を出されて寝ているだけだと」
「“だけ”?」
伝言係のトカゲが言葉の選択を誤ったと知ったのは、レノの地を這うような声を聞いた時だった。
「え、えと……その……」
トカゲはすっかり血の気を失った顔で、今にも噛み付きそうな獅子を見ている。
「陛下……ひとまず研究員に関する決断を……彼も急いでいると思いますので。ハナ様が寂しがっておられるのでしたら、陛下も早くお戻りにならないといけませんね」
同情していた秘書の言葉にハッとしたような表情を見せ、王は馬車を止めさせると外へと躍り出た。
「へ、陛下……?」
それを見て慌てたのは秘書と馬車の外にいた近衛だ。
「どうされましたか?」
近衛が慌てて近寄れば、レノはいつになく焦った表情でマントを外している。
そして勲章や軍刀なども全て外して馬車の中に放り込み、どうしたのかと聞き続ける秘書たちに困った顔を見せた。
「私が走った方が早いだろう?」
焦ったように次々と装飾を外していくレノを見ながら、言葉を失う部下たち。
「陛下、まさかとは思いますが……」
確かに、戦場を駆け抜けるレノは早い。
近衛は特にそれを理解していた。
あれは誰も追いつけないだろうという速度と迫力で敵に迫り、あっという間にその拳で敵の頭骨を砕くのだ。剣ではなく、拳で。
しかし、脚が速いのと強いのは、今は関係ない。
「私は先に行く。これらを頼んだぞ」
「駄目に決まっているでしょう……!」
叫んだのは秘書だけだったが、みな同じ気持ちであった。
「帰宅時は公務に含まれないだろうが! プライベートくらい好きにさせろ!」
「途中で襲われたらどうするのです!」
「返り討ちにしてくれるわ!」
できる。確かにレノであればそれができる。たとえ相手が飛び道具を持っていようとも、レノであれば敵が発車する前に敵を無力化することができる。
しかし、レノであっても完璧ではない。万が一のことだってあるのだ。
それを危惧しているというのに、目の前の獅子は“なぜこいつらは邪魔をするのか”と本気で思っている表情であった。
「陛下!! いい加減になさって下さい!」
「そもそも何故ハナは風邪などひいたのだ!」
行ってはいけないことなどレノは理解している。だからこそ、話をそらす形で怒りを発散させようとした。
しかし――
「あなたのせいに決まっているじゃあないですか」
冷ややかな視線をよこす秘書に、レノは血の気が引く思いだった。
「な、なぜだ……私は何も――」
「ランベル様にそそのかされて“嫉妬させよう計画”をなさったとか? ええ、確かに嫉妬なさったそうですよ。しかし、大変利口なハナ様は、嫉妬を抑えて“陛下も同じ気持を味わったのか、陛下に酷いことをしたかもしれない”と気にしておいでだとか」
それを聞いた瞬間、レノは目の前が真っ暗になったような気がした。
「大人でございますね、ハナ様は。陛下に謝罪するため、雨の日も風の日もまだ帰ってこないと知りながら王門に立ち続け、とうとう体調を崩されて倒れたのだと聞いておりますが」
「……なぜ……私に同行しているお前が……私より詳しいのだ……」
「……本当に聞いておられなかったのですね……伝令がそう申し上げたではありませんか……ま、まあ、嫉妬云々の件はメイドからですが」
頭を抱え、レノがうずくまる。
「所詮、ランベル様の作戦はランベル様にしか扱えないのですよ」
やや軽蔑の色が交じる秘書の言葉に、レノは小さく唸るしかなかった。
* * * * *
「申し訳ないと思うのでしたら、早めに行動したほうがいいのでは?」
そんなのはわかっている、とレノは視線だけで言う。
それを見たメリーは露骨にため息を付いた。
「いつ王城へ戻って来られたとお思いですか。もう三日ですよ。ハナ様が“嫌われたのではないか”と気にしておいでです」
「わかっている……わかっているが……」
知能があるがゆえに、どう謝っていいのかがわからない。
動物を相手にしているようで、レノはどうしたらいいのかわからなくなっていた。
「全く情けない……」
「……そう言うな」
メリーは落ち込むレノを見ながら、書類の束を取り出した。
「承認を」
「……これは?」
「陛下がお望みの件ですよ」
片手で書類をめくると、新たな人員投入に関する書類が続く。
さらにめくっていくと、追加人員のところに小梅とジョーの名があった。
「ああ……彼らはとうとう了承したか」
「ええ、骨が折れました。ハナ様に合わせる顔がないと言ってなかなか取り合ってくれませんでしたので、残念ですが強行手段に……」
「その微塵も“残念”と思っていない顔はやめろ。一体何をしたんだ」
そう言われても薄っすら笑うだけのメリーに、レノは聞くのを諦めた。
* * * * *
「ハナ様、新たに研究者がここを出入りすることになりました。ハナ様の健康をまもるための研究者です」
ある日ハイエナメイドからそう伝えられ、ハナは自分が風邪をひたせいだと思い困り顔になる。そして少しだけ落ち込んで、視線を彷徨わせた。
「陛下がお招きしたそうですよ」
その一言で、ハナは余計に落ち込んだ。
「私のせいで……」
「いいえ、ハナ様のおかげでその研究員たちは命を救われたのだそうですよ」
「命……?」
不思議そうにするハナに、ハイエナメイドは笑顔を見せる。
そして部屋の扉を開けると、そこにはハナの想像もできないような動物たちが立っていた。
「……久しぶり、ね」
「やあ、元気だったかい?」
「そんな……」
ハナの目に、自然に涙が溜まっていく。
巨大なヌーと柴犬は、困ったような泣きそうな顔でハナを見つめた。
「君に命を救われたよ。もっとも、命を救いに来た人に殺されそうになったが」
「あら、ジョー。それは言わなくていいことよ」
「どうしてここに……?」
ふらふらと立ち上がって小梅とジョーへ近づけば、小梅が恐る恐る両手を差し出した。
それを合図に、ハナは小梅へ飛びつく。
倒れかかった小梅をジョーが支えながら、声を上げて泣くハナを見て愛おしそうな表情を浮かべた。
「ハ、ハナキ……!」
後ろを右往左往するチワワの近衛に、ジョーは困った笑みを向ける。
「すまない、泣かせてしまった。ハナキというのが今の名前か?」
「その名を呼んでいいのは俺だけだ。他の者は“ハナ様”と」
じわりと怒りが漏れているのに気づいたジョーと小梅は、今のどこに怒りどころがあるのだろうと困惑した。しかし、それと同時にその怒りようが忠誠を誓った者にみられる反応に似ていると気づく。何かとても濃い、嫉妬のような――
そしてひとつの仮定が浮かんだ。
「まさか……君は彼女の」
「飼い犬だ。最近まで冷凍睡眠で寝ていた」
「そうか……! あの研究所の所長と知り合いでね。そうか、君が……ああ、彼が顧客の情報を漏らしたと思わないでくれ。私が情報を盗んだだけだ」
「ぬ、盗んだ……?」
「必要なことだったんだ。ハナ様の無事を確かめるためにね」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情のハイデンにウインクをすると、ジョーは跪いてハナの涙を拭った。
「さあ、ハナ様。顔を上げて」
太い指で涙を拭いながら、ジョーは久々に触れたハナの柔らかさに目を細めるのであった。




