ツンデレ
脇に挟んだ体温計が鳴った。
「紅葉、お前完全に風邪引いたな。学校に連絡しとくから休め」
額に添えられた手が随分冷たく感じる。私が風邪をひいても、手慣れた母の様子。毎年、季節の変わり目に体調を崩す時期がある。今年も、もうそんな時。毎年起こる恒例行事のようなもの。
「わ⋯⋯わかった⋯⋯わ⋯⋯」
「今年は辛そうだなぁ⋯⋯さすがに一人にはしてられないし仕事休むから、なんかあったら呼べよ?」
「べ、別に大丈夫⋯⋯よ⋯⋯」
「バカ言うな。辛そうじゃねぇか。薬とか持ってくるから待ってろ」
そう言い、部屋を出て一階に降りていった。さすがの母もここまで熱で苦しんでる私を見るのは久しぶり。いくら慣れていても、心配している気持ちが伝わってくる。
「うげぇ⋯⋯四十度超え。やばばですやん⋯⋯」
舌を出して苦い顔を向ける青葉。
「紅葉、大丈夫?」
ベッドの縁に肘をつけて心配そうな顔を覗かせた。
「ちょっと辛いけど⋯⋯平気よ⋯⋯」
うるうるとした瞳。向けられた表情は飼い主を見守る子犬のよう。
「可愛い⋯⋯」
「うえ!? な、何が!」
つい、ポロッと思ったことが出てしまった。熱に犯され、判断力がままならない中、口が軽くなる。
「貴方以外に居ないでしょ⋯⋯」
「!? も、紅葉、風邪引いてるよ!」
「当たり前じゃない。風邪引いてるんだから」
「いや、そうだけど! それにしても⋯⋯なんかいつもと違いすぎるよ!」
不意に言われた、普段かけられない優しい言葉に、あまりの動揺を見せた。そこまで驚くことなのか。口に出さないだけで伝わっているはずなのに。
「いつものツンデレじゃなくて、完全にデレだけが残ってる⋯⋯」
「貴方、変なこと考えてるでしょ⋯⋯」
背を向けてもゴニョニョと独り言。背中の動きだけで伝わる騒がしさ。やたらと手が動き、背中が揺れる。
「やってみるか⋯⋯」
何か喋ったと思ったら急にピタリと止まり、こちらを向いた。顔が当たりそうなほど接近して来る。
「ねぇ紅葉⋯⋯」
息がかかる。青葉の黒い目を見ると私の顔が映し出されていた。
「なに⋯⋯」
私の名前を呼んでそれっきり。問いかけても何も返さず、一方的に見られるだけ。
「もう⋯⋯なんなのよ⋯⋯」
見世物でも、なんでもないのに。向けられる視線。我慢出来なくなって顔に触れた。
「貴方平気なの? こんなに冷えてて⋯⋯」
心配になるほど冷たい。人肌とは思えないほど。
「紅葉が熱すぎるんだよ」
淡々と。正論を言われてしまった。青葉のくせに。
「私の顔がやけどしちゃいそうだよ⋯⋯」
添えるように触れたほっぺ。上下に擦り、手の裏でも。つまんでも気持ちよくて、ぷにぷにとした感触。好き勝手に私の熱い手に触られ、どんな感覚なのだろう。幸せそうな、満更でもない顔をして。それ即ち⋯⋯
「そんなにイタズラしちゃって⋯⋯私だってしちゃうぞ?」
やったことをそのままやり返された。ニヤニヤとした、何か悪いことを思いついたときにする顔。
「いつもなら嫌がるのに今はいいんだ?」
「⋯⋯」
茹だるような熱さ。頭がぼーっとする。そんな状況で触れられた手は保冷剤のように気持ちくて、手放す気になれない。
私は空いている片手でその手を掴み、顔を押し付けた。
「そんないいんだ? 私の手」
大人しく、されるがままの私を見れば分かるだろうに。チャンスと言わんばかりに、もう一つの手が首元に置かれた。
「気持ちいい⋯⋯」
眠たい。この調子なら寝付けそう。触れられた途端に襲ってきた眠気。まるで私の熱を吸い取るように。
「ふふ⋯⋯目がしょぼしょぼしてるよ」
赤子を寝かしつけるような顔。視界がボヤける。いつもなら絶対、見られながら寝れないのに。
「紅葉平気か?」
そっと、開かれたドア。手には色々と抱えた母の姿。
「すまん、寝てたか?」
「大丈夫だよ⋯⋯」
「そうか⋯⋯薬と氷枕持ってきたから使え」
「⋯⋯わかった⋯⋯」
◇◇◇
「うし⋯⋯それじゃあ寝ろ! なんかあったら呼べよ〜」
薬を飲み、セットした氷枕。布団をかけられ、カーテンを閉めた。眠そうな私を見て、静かに部屋を出ていった。
「私の出番無くなっちゃったね〜冷えピタまで貼られちゃって」
首元とおでこが一気に冷える。溶けそうだった体もどうにか形を保てそうな。
「嫉妬してるのね⋯⋯」
「当たり前じゃん! せっかくいい所だったのにぃ〜」
思いっきり不貞腐れた顔。いや、悔しそう? なんとも言えない表情。
「なら私から一つ頼みがあるんだけど⋯⋯」
「ん?」
私はかけられた布団を思いっきり剥がした。
「え! 何してんの!?」
その場でじたばた慌てる足。急いで布団をかけようとしてくる。
「待って――」
私はその手を止めて、青葉を引っ張った。
「うおう!」
ピッタリと密着する体。
「も、紅葉さん? 一体⋯⋯」
「青葉⋯⋯私の布団代わりになって⋯⋯」
「⋯⋯え!」
背中越しに手を組んで、絶対に離さない。
「人の温もりが欲しいの。だから、私が寝るまでこうしてて⋯⋯」
建前は寝るまで。でも本音はずーっと寝てる時も一緒に抱き合っていたい。
「そっか⋯⋯それなら私の出番も尽きなさそうだ⋯⋯」
きつく縛った体。絶対に逃げ出せないと伝わったのか。諦めたように受け入れた。
触れている。ただそれだけでいい。それが何よりの薬になるから。
「おやすみ⋯⋯青葉⋯⋯」
「おやすみ紅葉⋯⋯いい夢見てね」
全身の力が抜ける。もう耐えて居られない。私は、かけられた言葉を聞いて、一瞬で眠りについた。
少しづつ、微かに襲う暗闇。ボヤけた視界は青葉を薄く見せた。




