いつもの通学風景
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「――いってきます!」
「行ってきまーす!」
18歳となっても微笑ましい2人が憂の母に手を振り、蓼学へ向け、歩みを始めた。
昨日は暖かかったが、本日は冷え込んでいる。なので、帰り道では装着していなかった手袋を今日はしている。千穂は白。憂は黒。2人は互いにプレゼントした手編みの手袋が触れ合っている。
通学時、いつでも彼女たちは手を繋いでおり、その期間は2年を悠に超えた。きっと、10年経っても微笑ましいと表現出来ることだろう。彼女たちは2人合わせて290センチメートルに満たない。
……何気に千穂のしている手袋もしっかりした造りをしている。姉の手が加わっていることを千穂は知っている。
手袋など、難易度の高い編み物を憂1人で編めるわけはないのだ。
それでも大半は憂本人が編んだものであり、何も問題ないのだ。たぶん。
この手袋に覆われた小さな手と更にひと回り小さな手が繋がれている理由は、その不安定な右へのフォローであり、蓼の花自治区に住まう者にとっての常識だ。
……いつまで経っても憂の軽度右麻痺は改善していない。よもや、千穂と手を繋ぎ合う口実の為だったりしないか……と、島井が疑ったほどである。
要するに……。
右麻痺が改善されてしまえば、千穂と手を繋ぐ必要が無くなってしまうのである。だからこそ、脳が想いを汲み上げてしまっているのでは無いか……と、島井は思ってしまったのだろう。
さて。
元気な挨拶で家を出た2人は手を繋いだまま、そう会話することもなく、ゆっくりと白い息を吐きつつ歩を進めている。お互いが無言の時間は、以前に比べて間違いなく増加している。一緒に過ごす時間が増えればそんなものなのかも知れない。
因みに、2人の周囲には今日は未だ人は集まっていない。1人の黒服が3メートルほど後方を歩いているだけだ。
……いや、少々離れた位置で老夫婦がウォーキングしている。
日によってまちまちだが、この日の場合は、歩いていく内に次第に増えていく憂の復学後数ヶ月間に戻った形だ。
佳穂千晶は滅多に朝の同行はしていない。美優は朝練の有る無しが同行するか否かに直結している。拓真は同行しなくなって久しい。梢枝によって去年の冬、学生向けに行われた『安全宣言』以降、数回しか一緒に通学していない。彼は憂と千穂の仲に満足しつつ、千穂への複雑な想いを消し去ろうと努力しているのだろう。
―――梢枝の安全宣言。
これは蓼園商会が発表した研究成果に依るところが大きかった。
一次生産ではないものの、ユウアルファ・ベータともに複製・培養を可能にした。これにより、憂本人を狙うことがリスクばかり大きく、大した儲けにならなくなってしまったのである。お陰で研究面での組織的な犯罪の可能性は皆無に近いほどになった。
その梢枝は『安全宣言』とした年度に退学した。彼女は各所に出没しているらしい。
何気に自治区長にも耳打ち出来る謎の権力を持ち合わせた。
そんな梢枝の横槍ありの自治区は、思い切った政策を次々と打ち出している。
……憂の為だけに。そんなものも幾つも混ざっている。梢枝が退学して以降、それは顕著だ。
例えば、蓼の花自治区の全ての公園には、バスケゴールとボールが設置された。もちろん、バスケボールが公道に飛び出さないよう、全ての公園のフェンスの高さが上がり、出入り口にも防止柵を設置し、未然に事故を防ぐ……。そんなことになっている。
この公園で育った少年たちが近い将来、藤ヶ谷学園を打倒するだろうと目論まれている。憂の夢の1つである、私立蓼園学園高等部の全国大会出場を目指して。
そんな公園を横目に進むと、やがて大通りに躍り出た。
既に数名の生徒が憂たちに付き従っている。もう、この表現で何も問題ない。
憂は蓼花自治区の象徴であり、偶像だ。道を歩けば、多くの者が尊敬と慈愛の眼差しを向けている。
車は、ほんの数台が走っているだけだ。
しかも並走している。憂の自由と安全を確保する。そんな理由で。
ノロノロ運転していれば邪魔になり、クラクションの1つでも鳴らされそうなものだが、静かなものだ。
この大通り。憂と千穂の通学時間に合わせる形で一般自動車通行不可になった。
今、並走している車両は自治区の車であったり、蓼園綜合警備の車だったりする。これらはもしかすると潜んでいるやも知れぬ不遜の輩を牽制する為に走っている。
ここまですれば反発を招きそうな気もするが、そうでもない。
憂のもたらす利益は、蓼の花自治区の財政を潤す……どころか、蛇口を捻れば出る湯水のように金を運んでいる。
この潤沢……と言うにもほどがある税は自治区民に還元されている。
例えば、小中学生の学費・諸経費は完全無料化。高校・大学にも多くの補助金を捻出。これからの人材の確保を容易とした。
他にも、数十年おきに水害と土砂崩れをもたらすこの土地の問題を解決しようと、多額の税が投入されており、近く、日本で一番安全な街となる予定だ。
インフラの再整備も、中心部の緑化も進んでいる。
そんなこんなで憂を悪く言う者は最早、存在しない。こっそりと紛れていて、もしも誰かに聞かれてしまえば、村八分のような状況に追い込まれてしまうだろう。
「おはようございます!」
「あ、おはよ!」
「おはよ――!」
そんな最強の立場を手にした美少女に、元気な挨拶をするセミロングの少年が出現した。
……何やら間違った表現をしたように思われるかもしれないが、何も間違っていない。中等部女子純正制服を身に纏った男の子だ。男の娘ではない。
女の子の憂に憧れ、憂に恋愛感情に近い何かを持ち合わせていたところを考えると、きっちりと男子であるからして女装少年だろう。それとも、憂の内面を男だと認識しているとすれば、彼はトランスジェンダー? 如何せん、非常にややこしい。
何はともあれ、父に連れられ、とある団体を訪ねたことにより、憂に道を示された少年だ。蓼学の第一回ミスコンに出場した経験もある。
「今日は、お2人……なんですね」
その女装少年の声は……未だ、変声期を迎えていないのか、低くない。
この『声』について、少年の決意が1つ宿っているのだが、それは憂と千穂とHIROしか知らない。
……憂も覚えている筈だ。きっと。
その憂は足を止め、車道を眺めたり、後ろを見たりと忙しい。
「――ふたり?」
言いたいことは解る。
段々と大きくなっていく集団と並走する車両。2人で通学!! ……とは、言い難い。
「『2人』でいいんだと思う……」
苦笑いしつつではあるが、千穂は2人だと認識しているようだ。
見られることは当たり前。守られることも当たり前。
そんな生活を長く続ければ、その他大勢をオマケにしておき、『2人』と考えるようにもなるかもしれない。
ついでに言えば、見知った人物が混入した場合、3人になったり4人になったりするのだろう。
後ろを未だに歩く黒服は除く。
「あはは……。そうですね」
「これで――3人――?」
歩みを再開させた憂と並んで少年も進み始めた。思えば、この少年の立場も向上したものだ。きっと何かあったのだろう。
これで3名を正面に見て、千穂、憂、少年。こんな横並びだ。いずれもセミロング。和気藹々の少女3名に見えるところが問題だ。
言い換えると、少女、元男子、女装少年なのである。世の中、少し間違っている。
この少年に向けられる視線は流石に厳しい……、こともない。
これは、この蓼の花自治区の風土に依るところが大きい。
……少し時間を掛け、語っておく必要があるかもしれない……が、少年については、また後日。
集団の人数は、蓼学に近くなればなるだけ増加していく。
それはもう、歩道を埋め尽くしており、自転車通学の生徒などは広々とした車道を通行している。
誰がこんな状況で憂を狙った誘拐など、出来るものか。
やろうと思えば、先ずはこの歩道に車で突撃するしかない。もうそれは犯罪と言うよりはテロ行為に近いかもしれない。
……大通りの最後には、かつて信号があったが、消え失せてしまっている。
憂が轢かれかけた縞々は、役に立たないとばかりに消去された。代わりに地下道が掘られた。エスカレーターで下り、エスカレーターで上がるだけの親切設計だ。
歩道橋を架けなかったのも、自治区が憂に配慮したからだ。
こちらについては、轢かれかけたどころか、転落からの憂としての始まり。嫌うかもしれないなどと曖昧な理由だった。
実際には、憂は現在、歩道橋を嫌ってはいない。
煌々と照らされた地下道から憂が姿を見せると、まもなく東門だ。
これを越えた先には、大勢のボランティア部が待ち構えている。
こうして憂と千穂は、今日も無事に蓼学に通学を果たしたのである。その後ろを多数の少年少女と共に黒服まで東門を越えていった。
お久しぶりです。
久しぶりなので、例のちょっとしたクイズでも。
『悪夢』の前後編を覚えておいででしょうか?
インパクトのある部分でしたので、記憶なさっている方も多いのでは……と思います。
その『悪夢』の中で憂たちはトイレで覆面集団の襲撃を受けておりますね。憂が剥かれちゃったシーンです。
あの時、実は覆面の中に名前のあるキャラが混じっております。
さて、それは誰でしょうか?
描写は悪夢内に御座いません……が、想像することは可能だと思います。
本編の読み込みも影響してくると思われますけど……。
またも難問です。
感想欄で正解が出ればそこで。出なければ延々と謎となってしまいますので、解らないけど知りたい! ……って方がいらっしゃいましたら、メッセージなどお送り下さいませ。




