おうしのへや
アヤトはキサの腕を引き、ドアと自分の間に押し込むようにしてかばう。そしてカチリとペンライトをつけると、足元を照らした。
一瞬ためらった後、奥に設置された拷問器具と思しきものをしっかりと照らし出す。
そこにあったのは、鉄製の棺のような箱だった。
キサも知っている。あれの名前を。
鉄の処女……棺の中に納めた犠牲者を、内側にはあるいくつもの棘で刺しつらぬく拷問器具。
今はしっかりと閉じられたその像の中がどうなっているのか、キサからはわからない。
だが――その足元からは。
ぼたっ。
何か粘性の強い液体が滴り落ちる。ペンライトでてらすまでもなく、どす黒い色であると理解できた。
ツンと嫌な鉄錆の匂いがした。
なぜ――なぜ、突然あんな光景が。
ペンライトの照らす像の足元、そこにどんどんと粘性の液体がたまっていく。
ぼたっ。びちゃっ、びたびたびたびた。
大量の液体がそこに水たまりを作る。
そして唐突に――滴る音は止まった。
「……部屋を出よう」
静かに、アヤトはそう囁く。
その声に珍しく緊張した何かを感じ取ったキサは迷わず頷く。背中に当たっていたノブを掴み、迷わず開ける。
――べちゃり。
何か濡れたものが固いものを叩くような音が聞こえた。
とっさにキサは、音のした方を振り返る。そして――見てしまった。
鉄の処女の足元にある、ぬらぬらとした水たまり。そこから、『なにか』が這い出してこようとしていた。
思わず声にならない悲鳴をあげた次の瞬間、キサは突き飛ばされて部屋から放り出される。
振り返り、戻ろうとした鼻先で、扉が勢いよく閉まった。
「アヤト!」
叫びながら扉を叩く。覗き窓から、アヤトの顔がのぞいた。
「アヤト開けて! そこに何かいるの!」
部屋の中だけではない。キサのいる廊下でも、「なにか」の気配がまるで波が寄せるように近づいてきている。
早く逃げなければ。焦って扉を叩くキサを見つめているアヤトは、まるで他人事のように穏やかだ。彼はキサを見つめ、そして口を開いた。
――O U I――
唇がそう動いたのが見えた。
キサは思わず手を止め、アヤトの唇の動きを見つめる。
――OUI O EiA――
「『牡牛の部屋』?」
キサの言葉に、アヤトは笑って頷く。
その背後に、「なにか」の影が迫っているのを見て、キサは我に帰った。
「それよりアヤト! 早くこっちへ来て!」
「…………」
「アヤトッ!」
――いって――
かぶりを振ったアヤトの口がそう動く。かと思うとすぐにキサに背を向けてしまった。
キサは途方にくれる。きっとアヤトはあの部屋に残ることで、キサを守ろうというのだろう。
不気味な気配のひしめく廊下。アヤトは冷静に、キサに移動するように命じた。
――あの飄々としたデリカシーの欠如した男が、そう簡単にやられるはずがない。
自らに言い聞かせ、キサは一歩下がる。そのまま走って妙な気配を見ないようにしながら、言われた扉に飛びついた。
「牡牛の部屋」――それはおそらく、「ファラリスの牡牛」が配置された部屋。
ドアを開けて中に飛び込む。
音を立ててドアを閉めると、びちゃりと嫌な音がドアに叩きつけられた。
――びちゃ、びちゃり、べちゃ。
濡れた何かを叩きつけるような音。先ほどよりさらに激しく鳴り続ける音を黙殺し、キサは耳をふさいだ。
考えろ――考えるんだ。
アヤトはいない。きっと自分よりずっと危険な状態のはずだ。
助けなければ。助けに行かなければ。
びちゃにちゃと嫌な音を立て続ける扉を背に、キサは耳をふさいで考え続けた。