仔猫と親猫
王冠の内側には余所では最早絶滅したと考えられている生き物が数多く生息しており、その最たるものに『竜』が挙げられる。
ジグラッドの中心部にある岩山には小型の竜種であるハミングドラゴンが住処を形成しており、風のある晴れた日などには群れで飛ぶ姿がよく見られる。
大雨の日から数日。
浮舟亭ではこれといって代わり映えのしない日常が続いていた。
いつも通り掃除に洗濯、菜園の世話に水汲みと、二人の従業員が朝の仕事に忙しく動き回っていると、優雅に空の散歩を楽しんでいた竜の群れの中の一頭が急降下を始め、従業員の片割れに向かって突進をかました。
「へぶっ!!」
いきなり後頭部を直撃されたタマは前のめりに倒れ込み、四つん這いになりながらもなんとか収穫した野菜入りの籠だけは守りきった。
「ドット‥‥、お~ま~え~なぁ~!あれほど人の頭を着地点にするなと何べん言ったら分かんだよ!!」
クルルルー?
恨みがましい声で詰られた竜は、つぶらな瞳をきゅるんと瞬かせてからお気に入りの銀白斑の頭にスリスリと顎を擦りつけ、ご満悦で喉を鳴らし続けている。
「あぁん?なんかいつもより上機嫌だな?」
「━━━あれ、ドット来たんだ‥‥ん?なんかいつもよりタマにベッタリじゃん」
「だろ?」
すぐ近くで畑に水撒きをしていたミケが柄杓を持ったままヒョッコリと顔を覗かせ、不思議そうに片眉を跳ね上げる。
クー。
ドットはミケの方を振り向いてソワソワと二人を見比べた後、ミケの肩の上にも乗り移り『るるる』と甘えた声で鳴きながら、頭を擦り付け始めた。
「うぇ、オレにも!?」
なんでだ、どーしてだと慌てるミケを見て、タマがピンときた顔である事を口にした。
「‥‥ミケ、今“あれ”持ってるだろ。オレもだけど」
「“あれ”?って、例の呪いのアイテムか?一応‥‥‥‥。もしかしてアレが原因なのか?」
「試しに出してみろよ」
「あー‥うん」
半信半疑のミケが大腿部に括り付けた鞘から紅いクナイを一本抜き取って目の前に差し出すと、ドットは興奮気味に高く一声啼いた後、不思議な抑揚を付けた声で歌い始めた。
るるる るる る
「「竜の歌だ‥‥!」」
ハミングドラゴンは鳴き声を複雑に組み合わせ、仲間と会話を交わしているのだという。
その上一口に歌と言っても様々な種類があるとかで、求愛や親愛を表す歌の他にも悲しみを表す歌まであるというから驚きだ。
情報源はもちろん深紅の鱗の持ち主だが。
因みに今回の歌声は、どこかウットリした響きがあって猫がマタタビに酔っ払った時のような感じがする。
ドラゴンに表情筋があるなら、今まさに恍惚とした面をしているに違いない。
「‥‥タマ。オレ、言いたくねーんだけど‥‥、」
「言うなよ‥‥コエーだろーがっ‥、うあああっ‥!!」
耳の良い二人には聴こえていた。
ドットの歌声に惹かれるようにして迫り来る、無数の竜の羽ばたきが。
「「ぎ‥‥ぎゃああああ~~~~~!!」」
その叫び声に驚いて駆け付けた宿屋の亭主が見たものは、中庭でハミングドラゴンに埋もれて魂を飛ばし半ば屍と化した従業員達の姿だった。
「なにやってんだお前ら‥‥随分楽しそうじゃねえか」
「「し‥‥しぬ‥‥っ」」
*
小型の竜とはいえ一度に数十頭もの数に一斉にのし掛かられれば流石に重い。
「危うく死にかけたぜ‥‥」
食堂の椅子にダラリとだらしなくもたれた格好で呟くタマ。
相方はテーブルに突っ伏した状態で口から魂を飛ばしたままナニやら魘されている。
「‥‥うぅ‥‥獣臭ぇ‥‥クセーんだよあいつら‥‥」
五感に優れた御先祖を持つ子孫は鼻も特別製らしく、よってたかってマーキングをされたダメージがかなり堪えているもようだ。
あの後二人はハイネが撒き餌をしてハミングドラゴン達の気を引いた隙に建物の中に逃げ込んで来たのだが、ドットだけはどうしても二人から離れようとしなかったため、一緒に屋内に連れ込むしかなかった。
「ったく、あの女の置き土産が原因かよ‥‥」
一昨日厨房でついうっかり紅いナイフを掴んで掌に火傷を負った亭主は思いっ切り渋面を作った。
ディアドラとハイネ自体は単なる顔見知りであった期間が長く、『そう深い間柄でも無いが、浅くも無い』という実に微妙な関係に留まっている。
元々はハイネの養母とディアドラが友人同士で、ハイネが子供の頃にも何度か顔を合わせてはいたのだが、ハイネ自身がディアドラに世話を焼かれた覚えはトンと無かった。
ディアドラに言わせれば間違いなく「お主は殺しても死ななそうな糞餓鬼であったしのー」という返事が返るであろうが。
兎も角も現在の状況に「厄介な奴に好かれやがって」という正直すぎる感想しか抱けないハイネは、自分の保護対象である子供に対して今後も生暖かい目で見守ってやろうと心の隅っこで誓った。
たとえ竜の目には『ひ弱な生き物』としてしか映らなくとも、この二人が見た目ほどか弱くも儚げでも無い事を、誰よりもよく知っているのがハイネだ。
ほんの微かな予兆から“沈む船”をいち早く嗅ぎ分け、それが例えどんなに住み慣れた場所であっても、命の危険を感じればその都度躊躇い無く見切りを付け生き延びてきた。
武器を取って戦うのとはまた違った強かさが、タマとミケには備わっている。
偶然に偶然を重ねて何度も遭遇し、成り行きで自分の故郷に連れ帰ってしまったが、そもそもそこは本人達の自由意思に任せた結果であって、居心地さえ良ければ何処にでも住み着くのが野良猫だとハイネは思っている。
(‥‥に、しても。何がどう混じればこんだけ派手な色彩の頭になるんだか)
一般的に『銀髪』と総称する髪は限りなく白に近い灰色あたりを指していうのだが、タマの艶々とした光沢を放つ『銀』は別格だ。なにせ竜に光り物認定されている。
そして本家の三毛猫もビックリのミケの三色団子のような頭。
世の中広しと言えどここまで風変わりな色の髪には中々お目にかかれない。
タマミケの先祖にあたる種族について何やら知っているらしいディアドラが、本人達以外にはあまり詳細を語りたがらない様子からしても、某かの曰くがあるものと推察出来るが、ハイネにとってそこは別にこれっぽちも重要では無い。
なにしろ住人の大半が“曰く持ち”のこのジグラッドでは、むしろそうでない人間を探す方が難しい。
他人の事情などいちいち詮索していたら切りがないのだ。
「お前ら午前中の仕事がまだ残ってんだろうが、早いとこ片付けておけよ。それが終わったらメシな」
「「へーぃ‥‥」」
「‥‥ちなみに今日の昼飯は【火竜のカマド】のミートパイだ」
「「!!」」
タマミケの表情に俄然ヤル気が出た。
好物に釣られてガバリと身を起こした二人の子供は先を争うようにして庭に飛び出し、いつもの調子で日常業務をこなし始める。
時折鼻歌や賑やかなやり取りが聞こえてくるのも普段通り。
「よーし、働け働け」
本人に指摘すれば速攻で否定するだろうが、タマとミケに甘いのはハイネも同じ。
他人から見れば五十歩百歩なのだった。