深紅の守護者
雨は正午過ぎに降りだした。
雲一つ無い晴天と見えていた空に、灰色の切れ端が流れて来たかと思うと俄に風が強まり、みるみるうちに大粒の雨が地面を叩き出してしまいにはスコールのようなドシャ振りになった。
「おお、相変わらずお前らの予想はよくあたるぜ。中庭に干してた客室用のシーツを取り込んでおいて正解だったな」
細巻きの煙草をふかしながら窓硝子の向こうの風景を眺め、浮舟亭の亭主は呆れとも感心ともつかない感想を漏らした。
ハイネと二人の従業員の付き合いはまだ一年にも満たないが、少年達の感覚の鋭さ勘の良さにはそれこそ幾度となく助けられており、命に関わる窮地を救われた事も一度や二度ではない。
これまでの経験上、時折タマミケが突拍子もない事を言い出す場合、それには必ず何かしらの理由があった。
今回の雨もそんな一例だろう。
「雨が降る前ってさ、耳の奥がキーンてなんだよ。風の匂いも変わるし」
「そーそー。ミケは特に音に敏感だからかなり遠くの音まで拾っちまうんだよな」
「……俺にゃサッパリ解らん感覚だ。便利そうじゃあるが」
「それがそーでもねーんだなー」
チッチッ、と舌打ちをしながらミケが人差し指を顔の横で揺らす。
「聴こえ過ぎるってのも結構ツライもんなんだぜ?人の多い町中とかは特にさー。聴きたくねーもんまで聴こえちまうから、四六時中感覚を遮断しとかなきゃなんねーし」
「そうすっと感覚が鈍ってアレコレ察知するのが遅れんだよなー。以前だったら死活問題だっつーの」
「なるほど…」
社会の最底辺に位置する路上生活者の身で、最弱の立場にいる子供が生き延びるためには、己が身に降りかかる危険をいち早く察知する能力は何よりも必須であった事だろう。
その“能力”が些か常識の範疇を越えているような気がしないでもないが、そこは持って生まれた体質(?)というやつで、どうも先祖に特殊な種族の血が混じっているという説があるらしい。
━━━実際のところは不明。
「まぁ、慣れるしかないんだろーけどさぁ…」
「屋根のある家に住めて寝床があって、とりあえず毎日メシが食える!これ以上ゼータク言ったらバチが当たるぜ、タマ?」
「それもそーだな!」
二人の子供は道化た仕草でヒョイと肩を竦め、「旨いメシならもっとありがたいんだけどな!」と後を続けた。
そして、今のところ常時閑古鳥を鳴かせている浮舟亭にも、実はそれなりに顧客がいる。
建物の古さと食事がイマイチな点にさえ目を瞑れば、ゆとりのある客室の間取りや宿泊客が自由に使える共有スペースがかなり充実しており、何より素泊まり前提の宿代の安さが長期滞在にもってこいであるからだ。
浮舟亭の顧客の大半は樹海に潜って狩りや討伐をこなす狩人で、自らの家を構えるに至らない独り身の者が多く、今朝方“外”から伝書竜を飛ばしてきた客もそのうちの一人に数えられる。
━━━それ以外はまぁ、色々だ。
「んじゃあ、午後はオレとタマで料理の特訓でもすっか。おっちゃんに食生活任せてたら、いつまで経ってもマトモなメシにありつけそうにないかんなー」
「言えてらぁ」
宿の亭主を厩舎の柵の修理に追い立てておいて、子供二人は食堂スペースの奥にある厨房に向かう。
浮舟亭の先代の女将は大層料理好きであったらしく、厨房には立派なカマドが幾つも備え付けられており、広々とした作業台の収納部分には様々な調理器具が整然と並べ置かれている。
「芋でも剥くか?刻んで燻製肉と焼き固めるアレ、簡単で旨いよなー」
「ガレットかー。タマは肉さえ入ってりゃ何でもイイのかよ」
「肉は大事だろ!」
「否定はしねーが、オレは甘いもんが食いたい。小麦をミルクで溶いてフワフワに焼いてから蜂蜜とバターのっけたやつ」
「それはメシじゃねー!!」
「なにおぅ~。そんじゃ甘くない生地を薄く焼いてから、中に好きな具を挟んで食うってのはどうだ?好みで肉でも野菜でも甘味でもイケるだろー?」
「なるほど!…そういや他所で似たような屋台料理見たことあるな。食い損ねたけど!」
「オレら常に文無しだったかんなー」
浮浪児に真っ当な稼ぎなどあろうはずも無い。
ごくたまに運良く日雇いの雑用仕事にありつけても、大抵子供である事を理由に賃金をケチられピンハネされていつもろくな稼ぎにならず、毎日残飯を漁るような暮らしが続く事も珍しくなかった。
「あれを思えば今の暮らしは天国だぜ」
「だな。たとえおっちゃんのメシがイマイチだとしても、食えない程じゃねーし」
などとしみじみ語っていたところ。
厨房の入り口付近にいきなり人の気配を感じて即座に振り向いた二人の目に、大柄な赤毛の女が目頭を押さえて俯く姿が飛び込んできた。
「お主ら…なんという不憫な会話をしておるのじゃ…。育ち盛りの男子があやつのくそマズイ飯で満足だなどとっ…。成長に障りが出たらなんとする」
「ディアドラ?」
「あれ?いつ来たのさ」
顔見知りの不意の登場に二人は目を丸くした。
いつもなら道場破りかなにかのような掛け声と共に威勢良く上がり込んで来るのだが、今日に限ってはそれがなかった。
「なぁに、たまには驚かそうと思うてな!」
「なあ…ミケ。オレらディアドラに驚かされねーで済んだ日があったっけ?」
「…記憶にねぇ」
本人は騒ぎを起こしているつもりはこれっぽちも無いのだが、何故かいつも台風の目のような働きをする女、ディアドラ。
浮舟亭の亭主であるハイネの顔馴染みで、先代亭主とも親しい間柄だったという。
見た目と実年齢が噛み合っていないのは、『言わないお約束』というやつだ。
ジグラッドの住人は誰もがその正体を知っていて追及を避けている、そんな人物である。
少なくとも見た目は完璧に若くて美しい女性そのもの。
燃えるような深紅の巻き髪と黄金色の双眸がゴージャスな、大迫力の肉体美を誇る美女だ。
普段は町の中心部にある高台で隠遁生活(本人談)を送っているらしいが、時折ふらりと町に降りて来ては好きなようにあちこちを引っ掻き回していくお騒がせな一面がある。
というか、それしかない。
時と場合によっては非情に扱いに困る相手であるのだが、何故だかディアドラは浮舟亭の小さな従業員がことのほかお気に入りで、今日のように暇さえあればこの宿に足を運んでいる。
「お主らの見た目にたかる蝿も気掛かりじゃが…、それよりもその先祖返りの体質の方がはるかに問題じゃ。
“ハヤミミ”の五感の鋭さや勘の良さは、種としての脆弱さを補うべく特化したもの。お主らの種族は戦って生き延びるようには出来ておらぬ。ゆめゆめ注意を怠るでないぞ」
タマミケもディアドラの忠告に特に異論は無かった。
それというのも自分達の身体能力が、素早さ以外は軒並標準以下だととうに自覚していたためだ。
腕力も持久力も鍛えてどうにかなるレベルではなく、“種族単位の特性”とあっては努力で補うのは難しい。
こうなれば『逃げるが勝ち』である。
「━━━というわけで、お主らにはコレをやろう!」
わずかな間を置いて、厨房カウンターの上にデンと置かれたソレに、浮舟亭の従業員二人は喉の奥がヒクリとひきつるのを感じた。
「「…言ってる事とやってる事が違くね?」」
それはどう見ても“武器”にしか見えなかった。
「何を言う、逃げるにしても咄嗟の反撃は敵の足止めに大いに有効。ならば一撃必殺の武器を!というわけじゃ。なぁに遠慮は無用、素材は自前だからのー。先日身繕いした折に何枚も鱗が剥がれてなぁ。人間に加工するのは難しかろうと思うて妾が息で鍛えてやったのじゃ。切れ味は保証するぞ?」
タダイマふりーずシテオリマス シバラクオマチクダサイ
「「ドラゴンブレスで鍛えた刃物!!しかも素材が竜の鱗!!」」
ぶはっと息を吹き返した二人が目ん玉ひん剥いて叫んだのは致し方ないだろう。
「しかもコレ、投擲に使うやつじゃねーか!使い捨ての武器に竜の鱗使ってんじゃねーよ!!」
「安心せい、使用者限定の上に自動で手元に戻る親切設計じゃ!何処に落としても戻ってくるぞ」
「「呪いの武器かよ!!」」
タマの指摘に返ってきた非常識極まりない返答に、堪らず本音が迸る。
「お主らと鉄製の刃物は相性が悪かろう?ついでに包丁も用意してあるのじゃ。厨房で使うがよい」
金剛石よりも硬く、人の手で加工する事が難しい竜の鱗をよりにもよって包丁に。
おそらくまな板まで切れるに違いない。
「なあに、礼は要らんぞ!お主らのような虚弱体質ではいくら備えがあったところで足りぬ。これくらいではまだまだじゃ」
「「…イエ、コレデ充分デス…」」
どうやら竜はかなり庇護欲が強いらしい。
ただでさえ食物連鎖の頂点から見た人間など吹けば飛ぶような存在であるのに、その中でもほぼ淘汰され尽くした最弱の種族の末裔ときては、ちょっと目を離した隙にぷちっと殺られて終わりというような印象でも抱いているのか、実にフォローが手厚い。
その後、良い事をしたと御満悦の表情で帰って行ったディアドラと対照的に、浮舟亭の厨房には途方に暮れた顔の子供が二人残されていた。
「なあ、タマ……どーするよコレ…」
「さあな、『銘』でも付けて家宝にするしかねーんじゃねーの?」
調理場の作業台の上に雑然と並べられた、十二本の深紅のクナイと大小二本組の台所包丁セットは、後にタマミケ以外の人間が手にすると高温を発して焔を纏う事が判明したため、贈られた当人達が責任を持って肌身離さず身に付けて管理する事になった。
「「どんな呪いのアイテムだよ!!」」




