何が正義かは人それぞれ
「ダレがあんたの僕だよっ!!」
尋常ならざる存在である深紅の巨体を前にして、誰もが戦き恐れて惑うその横で、銀斑の頭をした仔猫がフーッと毛並みを逆立てるようにして叫んだ。
「‥‥タマ、それいま、突っ込むところチガウ」
三毛猫の反応も大概気が抜けているが。
何の前触れも感じさせず、突如として目の前に現れた紅い竜に、その場に居合わせた一同は誰一人として正常な行動を取る事が出来なかった。
━━━即ち、尻を捲って全力で逃走する、という。
「「「「‥‥‥‥‥!!!」」」」
「ヒッ‥‥!」
王冠に古竜が棲みついているのは、ジグラッドに暮らす人間なら誰でも知っている事実だが、実際にソレを間近で見た事がある者は少ない。
時折遠目に飛翔する姿を見掛ける程度がせいぜいというところか。
そして知っている者は知っているが、知らぬ者は全くこれっぽちも知らぬ事実というものも、この世には存在するのだ。
「‥‥タマ‥‥ミケ、‥‥危ないから離れるんだ!」
普段は無口なファルコムも緊急時は例外なようで、「なるべく刺激をしないように」とか「頼むからじっとしててくれ」とか、班のリーダーらしく仲間を生かすための指示を出し、本能的な恐怖を必死に抑え込んでこの場に踏ん張っている。
他のメンバーは金縛りにあったように硬直して一歩も動けず、新人に至っては腰を抜かしてガタガタと震え上がりパニック状態に陥り、悲鳴すらろくに上げられないでいる。
「何故‥‥こんな所に、竜が━━‥」
進退窮まる、とはこの事か。
武器を取って挑みかかる事も、背中を向けて逃げ去る事も出来ずに、ただ立ち竦むだけ。
━━━だがそこで、命を繋ぐための“次の一手”が全く思い浮かばず絶望的な気分を味わっているファルコムの耳に、全くいつもと変わらぬ調子のミケの声が飛び込んできた。
「せめていつもの姿で来てくれりゃいいのに、なんでよりにもよってソッチで来るかなー‥。見ろよー、中庭の菜園がしっちゃかめっちゃかになっちまったじゃねーか」
『ム‥‥』
「それにさ、大急ぎで駆け付けてくれたとこ悪ィんだけど、タマも大したケガもしてねーから、ホラ」
だから過剰に威嚇すんのはやめてくれよー、と、まるで近所の知り合いを相手にでもしているかのような対応に、突然現れた竜に手も足も出ずに硬直していた一同は顎が外れそうな表情になった。
「ミ‥ミケ‥‥、その‥竜、は‥‥知り合い‥?」
ゴクリと唾を飲み込んで恐る恐る尋ねたのは、誰あろう班の中で一番目立つのを嫌っている人見知りのミーアだった。
「んー?たしか皆も会ったことあるはずだぜー?」
「「「「‥‥え」」」」
そんな知り合いはいない、と恐らく全員が心の中で突っ込みを入れたに違いない。
そして、どういう事か、とお互い目と目で確認しあっている最中に、変化は起きた。
まず視界を占めていた紅い色彩が急速に収束し、わずか一拍後には『知り合い』とまではゆかなくとも『顔見知り』程度には見覚えのある女性の佇む姿がそこに現れたのだ。
「‥‥‥っ」
誰かの息を飲むような音が辺りに響いたが、声を上げようとする者はいなかった。
目の前で起きた変化に頭が追い付いてゆかないのだろう。
その女性は周り中から集中する視線をまるっと無視してスタスタと歩いてタマに近付き、包帯で巻かれた左の二の腕にそっと指を這わせた。
「‥‥はあぁぁ。お主らは鉄と相性が悪いと、散々教えたであろう‥‥」
「悪かったってばさー。ただの事故なんだよ、事故。傷も浅いしドットに泣かれるようなケガじゃねーんだって」
「甘いぞ。お主らの先祖がアッサリ滅びた、その脆弱さをナメるでない」
「へーい‥」
どこまでも真顔で忠告されては、タマも素直に返事をするしかない。
きゅっきゅううぅ‥‥。
「心配してくれてありがとな、ドット。でもいきなりボスを呼ぶのは頼むからこれっきりにしてくれ、な?」
きゅ‥‥。
「これ、タマ。そやつをそう咎めてやるな。確かに竜体のまま町中に跳んできた妾も不注意だが、それだけ驚いておったのじゃ。よほどの事が無ければ眷属が妾を呼ぶ事など無いからのぅ。お主それだけそやつに好かれておるのよ」
「‥‥ふーん?」
ドットは先程からずっとタマの頭の上に乗ったままで、後ろ足と長い尾で器用にバランスを取りながら、前足(手?)でタマの顔を掴んで顔色を窺うような仕草を繰り返している。
「別に怒ってねーから」
きゅ!
嬉しそうに一鳴きしたドットはようやく安心したのか、銀色の頭の上にペッタリと伏せて喉の辺りをグルグルと鳴らし始めた。
「‥‥好かれてんなぁ、タマ」
「さて、次はお主らじゃ。よくも妾の僕に余計な傷をこしらえてくれたの」
くるりと振り返った女の眼が、爛々と獲物を狙う獣のそれに見えた一同はヒクリと喉の奥をひきつらせる。
「だから僕じゃねーって」というタマの抗議の声はこの際丸無視された。
「‥‥確か、貴女はハイネの知人の‥‥」
“ディアドラ”と、危うく名前を口に出す寸前でファルコムはそれを飲み込んだ。
━━━うっかり呼び捨てた途端、プチッと踏み潰されそうな気がしたので。
確かにこの姿ならば何度か目にした覚えがあった。
単なる宿の客としてだったが、女性にしては大柄で背中に流した見事な深紅の髪がとても印象的だった事や、浮舟亭の亭主と親しい間柄に見えた事も記憶に留まる一因となっていた。
「最初に言うておくが、こやつらは荒事に向かぬ。身を守る程度の技ならともかく、鍛えてどうにかなる身体で無い事だけはよう覚えておくが良い。特に鉄の刃物で負うた傷は最悪、命に関わる」
「‥‥!‥‥それは」
「肝に命じよ。今後この者らを無為に命の危険に晒すような真似をすれば妾が黙ってはおらぬ」
「「「「‥‥‥‥」」」」
「よいな━━━‥ふんが、ぐぐっ!」
呆気に取られて押し黙る《灰の夜鷹》の面子を前に、更なる忠告を吐こうとしていた女の口は、背後から飛び付いてきたタマと正面に回ったミケの両の手に塞がれて不発に留まった。
「脅し過ぎだっつーの!」
「はいはい、そーこーまーでー」
「もがが、むぅー」
「うちのお得意さんにケンカ売らねーでくれよ、ディアドラー。ただでさえ客が少なくて困ってんのに、逃げられたらどーしてくれんだよ。商売上がったりだぜ?なぁミケ」
見た目だけなら夢の国の住人のような容貌の子供が、やけに世知辛い台詞を吐いている。
「そのとーり、おまんまの食い上げだね」
「そういうものかの?」
「「そーゆーもんだって!」」
「ふーむ、そうか。では説教はこの辺にしておこう。‥‥それにしても、ヒトの肉体とは柔いものよ。━━━次は鱗で防具でも作ってお主らにくれてやろうかの?籠手に脛当て‥‥いやいっそ全身を覆う鎧でも良いな!」
「「良くねえよ」」
タマとミケは思わず全身真っ赤な鎧で身を包んだ自分達を想像して身悶えた。
気持ちは嬉しいが勘弁してくれ━━━━と。
頭の天辺から足の先まで真っ赤っかの鎧。
目立つなんてものじゃない。なにその拷問。
「いかんか?妾の鱗は耐熱耐火に優れておるゆえ、例えマグマの中に落ちても安心じゃぞ?」
この女は自分達をどうしたいというのか。
毎度会うたびに発想が明後日の方向にブッ飛ぶのは何故だろう。
解せぬ。
「いやさ‥‥、気持ちだけ貰っとくよ」
「そーそー。タマもオレも日頃からディアドラには感謝してるからさ?」
「そうかや?」
「「うん」」
「ふふふ。お主らにそう言われるのも、悪くない気分じゃな」
そう言って艶然とした笑みを浮かべる女の顔は、一瞬前と異なって慈母のようでもある。
タマとミケの二人がディアドラの対して『感謝している』と言ったのは、別に方便だけでは無い。
普段から暴走気味のディアドラだが、過保護なまでに世話を焼き、その身を無条件で案じてくれる。
そんな相手を幼い子供が慕うのは、ある意味ごく自然な事だろう。
たまたまその相手の素性が少し、いやかなり、特殊な‥‥‥‥というか、トンデモナイ種族である事を除けば。
その後、言いたい事を言って満足したのか、ディアドラは来た時と同じように唐突に消えていなくなり、中庭には張詰めていた緊張感から急激に解放され脱け殻状態になった《灰の夜鷹》のメンバーと『新人くん』が残された。
「~~~~~~~はああああぁっ‥‥‥驚いた、なんてもんじゃないね‥‥。あたしゃ食い殺されるかと思ったよ‥‥」
ネイビーが盛大な溜め息と同時に漏らした想は、恐らく全員共通のものだ。
単独班で樹海を踏破する程の狩人達でも、手も足も出せないどころか身動ぎ一つ敵わない相手に遭遇する機会など、そうそう有り得るものではない。
しかもそれが伝説級の生物とくれば、この先二度と遭う事など無いのが普通だ。
‥‥‥実際はこの後も何度も会う羽目になるのだが。
「‥‥腰に‥‥力が入らない。ふにゃふにゃ、もうダメ‥‥」
「あいつら~~~交遊関係広過ぎだろ」
「だが、助けられた」
「殺られそうになった原因もあいつらってとこがまた‥‥」
はあぁ、とヒューリーが頭を抱える。
何しろタマに傷をつけた剣先を折ったのはヒューリーだ。
不運というか、それともその程度で済んで幸運だったと言うべきか。
はっきりしているのはタマに、というかあの二人のどちらかにでも重い怪我を負わせていたら、今頃自分達は生きていなかっただろうということ。
正しく“竜の逆鱗”というやつである。
「すげぇな‥‥あいつら」
なんであんなおっかない生き物になつけるのかが心底不思議だ、もしかして最強なのはあいつらか?!これからどう相手にすりゃいいんだよ!と続いた台詞にファルコムは━━━━━。
「可愛いから問題ない」
即答だった。
「確かに‥‥可愛いは正義‥‥」
「こっちもか!揺るがねえなお前ら!!」
「ヒューリー、深く考えたら負けだよ」
「だよね!!」
こうして若者は心の中に大きな棚を作り、『取り敢えずそれはそれ』として、いつもと変わらない日常に戻るのだった。
いつの間にか気を失っていた『新人くん』を庭先に忘れたままで。




