16.ユーミルの森……②
彼女達はいったん森の中で小休止した。
延々と続く森は深く、生い茂る木々に梢、葉により陽光は遮られる。
戦乙女軍団第1部隊の5名を率いているアイリスは、静かに一歩進み出て、そっと瞼を閉じた。
「風よ、森よ、我が言葉に応えよ
眠れる大地の調べよ、いま目覚めの刻
枝を開き、蔦をほどけ
静寂とやすらぎを、ここに降ろせ
『翠楽浄苑』」
細い指先が宙をなぞるように舞い、囁くような声が風に溶けていく。すると周囲の木々が静かにざわめき、まるで意思を持つかのように枝を広げた。
絡まり合っていた蔦は解け、地を覆っていた下草がふわりと沈み、柔らかな草のベッドが現れる。木漏れ日が優しく差し込み、そこだけが穏やかな空間となる。
「ここで休息する……皆、休むが良い」
風精神族の実力をまざまざと見せつけられた戦乙女達は感嘆の声を上げる。
「流石です……」
聖騎士長のミシェル・カレイジャスが息を呑んだ。
彼女は人間族でありながら、アルフォード大聖堂の聖騎士長であり、この戦乙女軍団の団長を務める実力者だが、それでもアイリスの魔術の精妙さには驚嘆せずにはいられない。
「森の精霊達が従っている……」
聖騎士のイヴォリーネ・セレナ・ヴィ・イラストリアスが呟く。森風精族である彼女でさえ、これほど自然に精霊達と意思疎通を図ることは難しい。
「にゃあ! すっごいッス! 森がまるでお部屋みたいになってるッス!」
挺進士のミーティア・キティホークが尻尾を振りながら声を上げた。猫人族らしい率直な感想だった。
「魔力の制御が完璧ですね……無駄な魔素の放出が一切ありません」
犬人族の魔術剣士アナスタシア・アントリムが感心したように言う。魔術を扱う者として、アイリスの技術の高さを理解していた。
「精霊術の域を超えています……これは創造魔術の領域かと」
半風精族の祭司ウィンディア・オーディシャスが畏敬の念を込めて囁いた。自然と親和性の高い彼女の目から見ても、アイリスの力は別次元のものだった。
『ユーミルの森』……氷の精霊『ユーミル』が支配する森林地帯を人はそう呼んだ。
『ヴァストリタヴィス大陸』に広大な版図を持つ二つの国、マーキュリー王国とフィルツブルク聖皇国。
その二つの国を隔てるように巨大な山脈がある。
聳え立つ標高8千メートルを超える山頂が15もあり、7千メートル級の山も100峰以上存在している『マーヤ・イーカタテンナ山脈』がそれだ。この高さでは飛竜ですら飛び越えることはできない。
『ユーミルの森』は、この山脈に連なって広がる丘陵にある非常に広大な森林地帯で、極寒の山脈に連なる北部は針葉樹、海に面した温暖な南部地域には広葉樹が立ち並んでいる。
木々が多く広がる枝葉が日光を遮り、暗く覆い茂った森の中は、日中でも薄暗いことが一般的だ。
視界が悪く、散った落葉樹の枯れ葉が堆く積み上がるため足場も悪い。また魔素を含んだ霧も立ち込め、方向感覚が失われる。
そして何よりもそこに住まう魔物の数が圧倒的に多いから、足を踏み入れた者が戻ってくることはないとまで言われている。
つまり、それだけ人の手が入っていない場所であり、人間の介在しない自然循環が成り立っている。
それは氷の精霊『ユーミル』の加護と言われており、この森の南端に住まう森風精族と一部の人間族だけがその恩寵に与れるとその村……ウーラニアー村……では伝わっている。
もちろん村人達も、森の危険性は理解しているから、奥までは足を踏み入れようとはしない。
氷の精霊ユーミルの眷属である木の精霊の許しを得て、浅い場所で収集や伐採をする程度なら何事もないが、拠り所である古樹の樹木に手を出すと、森は途端にその牙を剥く。
霧は濃度を上げ、梢は天を覆い隠し、幹は方向を変えて魔物からの一本道を形成する。退路を塞がれてしまえば待ち構えているのは破滅だけだ。
こうして魔の森に足を踏み入れ、二度と戻ってこなかった者が数えきれない程存在する。それだけこの森は不気味であり、何が潜んでいるか分からない不安感が、人々の想像力を更に掻き立ててしまう。
――相変わらずね、この森も……不愛想な所も……
その森の中を進みながら、アイリスは人知れず目を細めた。
表に出す口調は尊大な姫のようだが、それはあくまでも表向きの話だ。彼女の本当の口調は気さくな少女そのものであり、普段は求められている『役割』を果たしているに過ぎない。
マントのフードを深く被り、白金色の長い髪と鋭角に伸びる耳を隠しているから、他者にその表情を窺い知ることはできないからこそ、彼女は目を細めた。
――折角このアタシが会いに来てやったと言うのに……いつまで『かくれんぼ』しているつもりよ
本音を言えば『彼女達』には悪態の一つも吐きたくなる。技量が足らず何もできなかった自分自身の無力さを嫌という程味わったあの時から、いったいどれだけの時間が流れたと言うのだろう?
表向きには『大魔導師の冒険者アイリーン』を名乗っているが、本当の彼女は、他の追随を許さない『至聖魔導師』だ。
それこそ気の遠くなるような時を経て『究極の魔術師』となった今なら、きっと違う事が出来た事だろう。そう思わずにはいられない。
「さて、レイモンド・ドレッドノート。これへ参れ」
「はっ!」
アイリスに鋭く射抜かれるような視線を向けられたレイモンドは、岩の上に腰を下ろす彼女の前に、恭しく跪いた。
「其方の報告から3年が経った。然るに未だ、我が師の気配はおろか、残滓すら感知せぬ……如何なることであろうの?」
抑揚が抑えられた淡々とした口調だったが、アイリスは視線を外すことなくレイモンドを見据えていた。




