15.ユーミルの森……①
吹き荒れる冷たい風が、巨木の梢を揺らしていた。
その風の流れに髪をたなびかせながら耳を澄ましているのは、一人の美しい女だった。
白金の髪を持ち、空に向かって伸びる尖った長い耳を備えたその女は、緑色のワンピースに金色に輝く軽鎧を装着し、その存在を一層際立たせていた。
彼女の腰に佩かれた豪華な装飾の細剣が風に揺れ、カチリと軽い金属音を立てた。
「そろそろ姿を見せよ『ユーミル』……我に加勢せよ」
女は吹き抜ける風に言葉を乗せ、静かに呟いた。
かつて大乱があった。
この地を……この星を……席捲せんとしたのは、冥界の神『アニマ』と、その使徒である巨人『コラプス』。
これに抗ったのは『四大精霊』と『天空の聖女』であった。
その戦いは、長い時の流れの中で神話のような伝説となり、今もこの地に語り継がれている。
あれから5千年。
気の遠くなるような時の流れを経てもなお、未だ根深く残る魔力の名残が木々の間に微かな光となって踊っている。
長い歳月を経て、巨大な樹木達はそれぞれが一つの聖域となっていた。そしてその中でも特に古い幹を持つこの森には、かつて星の守護者たちが刻んだ古代文字が、かすかに浮かび上がっている。
その遺構を今なお守護しているのが、氷の精霊『ユーミル』である。かつて風の大精霊の『ユーフェミア』に付き従い、アニマと戦った精霊の一柱である。
彼女の問い掛けに氷の精霊が応じる様子はなく、苦虫を噛み潰したような口元で、彼女は風を詰るように呟いた。
「この辺りの魔力の名残は薄い……またしても妾を試すか……『ユフィ』」
彼女は、大魔導師にして金剛鈦の冒険者『アイリーン』として名が知られている。
その真の名は風精神族の『アイリス・ルーナ・ヴィ・ユーミル』……彼女こそ『ユーフェミア』と『ユーミル』と共に世界を旅し、荒れ果てた地を肥沃な大地に変えていった存在であり、この森の守護者でもある。
しかし、その端正な顔立ちには翳りがあった。
彼女の足元には、複雑な紋様の魔法陣が展開されており、外套は風の精霊達の囁きに優しく包まれていた。
彼女が展開する魔法陣は、単なる『探知術』ではない。
風の大精霊であり、師である『ユーフェミア』から伝授された秘術『精霊共鳴法』……この固有魔術によって、過去にこの場所を通過した者の魔力痕跡を読み取ることができる。
しかし、その精度は術者の精神状態に大きく左右される。
今のアイリスの心は『母』と共に姿を消した『師』への想いと焦燥によって乱れていた。
その後方、彼女に従うようにして戦乙女軍団第1部隊の6名が静かに歩を進めていた。
「これで何百回目ッスか? やたら強くて鬱陶しい魔物ばっかでろくな成果もないし、マジ勘弁レベルッスよ!」
片耳をぴょこんと動かしながら口を尖らせたのは、猫人族の『ミーティア・キティホーク』だ。
挺進士でこの部隊の偵察任務を一手に引き受けている。
軽口を叩きながらも、常に周囲に目を配るあたり、挺進士としての実力を伺わせる。
彼女の手には、炎の精霊が宿る杖『イグニス・ロッド』が握られている。その先端で踊る小さな炎は、この森の冷気を和らげる役割も果たしていた。
ミーティアは戦乙女軍団の中でも特に若く、まだ二十歳に満たない。しかし、その才能は既に多くの先輩メンバーも一目置いている。
「魔力の痕跡は徐々に薄れています……やはりレイモンド先輩の話は、当てにならなかったのでは?」
森風精族の聖騎士『イヴォリーネ・セレナ・ヴィ・イラストリアス』が緑白銀の鎧を揺らして呟くように言った。
「ユーリア先輩もその場にいらっしゃったって仰るから……こうしてお付き合いしてますけどね……正直ミーティアと同意見ですわ」
イヴォリーネの緑の瞳には、森で生まれ育った者特有の叡智が宿っている。彼女は幼少期から森の精霊達と心を通わせ、自然の声を聞く能力に長けていた。その彼女が感じ取る魔力の流れは、通常の魔術師よりもはるかに正確だった。
今、彼女の感知する範囲には、確かに以前とは違う何かの気配があった。
その鋭い眼差しが、背後の男に向けられる。
レイモンド・ドレッドノート。
この森の探索に同行している人間族の冒険者だ。黄金の冒険者プレートを持つ彼は、この近隣の小さな村『ウーラニアー村』に住まい、今は冒険者よりも医師として生活している。
ユーフェミアとの邂逅を果たした者の内の一人だ。
それは今から3年前、シェリルはまだ12歳で、ウーラニアー村に住まう孤児だった頃の話だ。
魔力を暴発させた少女の騒ぎを聞きつけ、ウーラニアー村の異変を察知してやって来た聖騎士ユーリアと言葉を交わした時のことだった。
レイモンドは、かねてより教えていた少女……シェリル……について語ったが、アルフォード大聖堂に魔力の特異性を伏せていたことが発覚し、ユーリアと激しい言い争いとなった。
その最中、突如として現れたのが風の大精霊の名を冠するユーフェミアだった。
ユーフェミアは、シェリルこそが『天空の聖女』であると明言し、彼女を保護するよう命じると共に、ホーリーウェル魔導学院へ導くよう指示を残してその場を去った。
レイモンドの目の前で、まるで風に溶けるように姿を消したその姿は、今も彼の脳裏に焼き付いて離れない。
「ま、まあ、今の時期は風の流れも不安定でね……以前とは違う可能性も……」
レイモンドは言いかけたが、彼女達の射るような視線を浴びて言葉を濁し、取り繕うように眼鏡のフレームを指で直した。
女性ばかりの中に放り込まれた彼は、すでに疲労と焦りの色を隠しきれていなかった。




