11.聖騎士の館……⑪
サンに視線を向けられ、ユーリアは居心地が悪そうに頬を掻いた。
ユーリアは『賢者シルヴィ』の存在を彼等に明かしてはいない。
しかし、彼等はハイパーソンの一族だ。このマーキュリー王国に深く根差し、アルフォード大聖堂の意向を受け、長い時を王室の保持を流れる血脈に誓った一族だ。
少なくとも、彼らの父、フェイや長兄で学院長のクランプは、彼等が若かりし頃、シルヴィ本人に直接忠誠を誓っている。確かにフーディエ達3きょうだいは、彼等より年齢が離れているから、その場に居合わせてはいなかった。しかし、口述で知らされているのではないか。
ユーリアはそう結論付けた。
「我等一族にとって、賢者様の御心に従うことが誇りであり責務なのです」
クロウリーが静かに、そして自信たっぷりに応えた。
シェリルは息を詰めるようにしてその言葉を聞いていた。
――賢者様……
その存在の重みが、自分の肩にずしりと圧し掛かってくるような気がした。
何故自分が? という疑問が心の奥でくすぶり続けている。
「貴女の存在には、未だ知られざる意味があるのでしょう」
クロウリーは真摯に続けた。
「それ故に、貴族派の魔術師どもが命を懸けて結界を破ろうとした。ならば我々は、それ以上の覚悟で守るまで」
シェリルの心は複雑に揺れ動いていた。自分のために人が命を懸ける。守られる存在だと言われる。だが、その重さに押し潰されそうになる。
自分にそんな価値があるのだろうか?
『呪われた子』と呼ばれ、村を追い出された自分に?
「わたしに……そんなに価値が……?」
現実離れした言葉に、シェリルは言葉を失って縋るような眼差しをユーリアに向けた。
その瞳には、困惑と不安、そして小さな希望が入り混じっていた。もし本当に自分に価値があるのだとしたら、もし本当に必要とされているのだとしたら。でも同時に、その責任の重さに震えてもいた。
「今は分からずとも良いのです……いずれ気づかれる筈です……貴女様ご自身の魂によって……」
フーディエが目を細めて微笑む。
その優しい笑顔に、シェリルの心は少しだけ軽くなった。今はわからなくてもいい。その言葉が、焦りと不安に駆られていた心を静めてくれる。
「ですが、まずはご自身を否定なさらないことですわ。貴女様を守ろうと言う者は少なくとも3人はおりますので」
しばしの沈黙。シェリルの心の中で、様々な感情が渦巻いていた。自分を否定しないこと。それがどれほど難しいことか。長い間、自分は価値のない存在だと思い続けてきた。でも、目の前にいる人たちは違うと言っている。
やがて、シェリルは小さく頷いた。心の奥底で、何かが少しずつ変わり始めているのを感じていた。
「……シェリル様……」
そう言ってシェリルの背に手を置いたのは、フーディエだった。貴族令嬢らしく整えられた銀髪が揺れる。
その手の温もりが、シェリルの緊張した身体を少しずつ解していく。優しさが、体の芯まで染み渡ってくるようだった。
「それだけ貴女は特別な存在……と言うことですわ。けれど……どうか、ご自分を責めないでくださいませ」
特別な存在。
その言葉が心に響く。でも同時に、自分を責めてしまう癖は簡単には変えられない。これまでずっと、何か悪いことが起これば自分のせいだと思ってきた。
シェリルの視線が僅かに動く。続いてサンが歩み寄り、膝をついて彼女と目線を合わせた。
その瞬間、シェリルは少し驚いた。フーディエやサンのような高貴な令嬢が、平民でしかない自分に合わせて膝をついてくれている。
それだけで、自分が対等に扱ってくれているのだと実感できた。
「それに、恐怖に気づけるということは、シェリル様が命に対して誠実だからです。それは、誇って良い事なのです」
その目は、淡い炎のように優しかった。
恐怖を感じることが、誠実さの証だと言われて、シェリルは目を見開いた。これまで自分の恐怖は弱さだと思っていた。人を守れなかった無力さの表れだと。でも、それは違うのだろうか。
「貴族の中には、命を数字としか見ない者もいます。でも、シェリル様は違う。その痛みこそ、貴女の強さなのです」
痛みが強さ。
その言葉が、シェリルの心の奥深くに響いた。痛みを感じるから、人の痛みもわかる。傷つくから、人を傷つけたくないと思える。もしかしたら、それが本当の強さなのかもしれない。
シェリルは、目に涙を浮かべた。それは悲しみの涙ではなく、何かが解放されていく涙だった。
「でも.……わたし……何も……できなかった……」
震える声に、今度はユーリアが歩み寄った。彼女は何も言わず、シェリルの頭をそっと抱き寄せる。
ぎゅ、と。温かくて、柔らかくて、どこか懐かしい温もりが伝わってくる。
その瞬間、シェリルの心に昔の記憶が蘇った。魔力暴発させ、怯えた夜に修道女エミリーに抱かれた時の温もり。失ったと思っていた安らぎが、ここにあった。ユーリアの腕の中で、長い間凍りついていた心が溶け始める。
「できることだけで、充分なのよ。誰も、貴女に全部を背負えなんて言ってないわ」
「ユーリアさん……」
その優しい声に、シェリルの涙腺が緩んだ。全部を背負わなくてもいい。その言葉が、どれほど心を軽くしてくれることか。
「泣いてもいいのよ、シェリル。そういう時に泣けることが、貴女の美しさだから」
その言葉を皮切りに、シェリルは小さく嗚咽を漏らした。誰もそれを咎めず、ただ、見守っていた。
涙が頬を伝い落ちていく。それは解放の涙だった。
長い間抑え込んでいた感情が、ようやく外に出ていく。恐怖も、不安も、孤独感も、すべてを受け入れてくれる人達がいる。その事実が、シェリルの心を満たしていく。
フ―ディエがシェリルの背を撫で、サンが懐から出したハンカチを差し出す。ユーリアの腕の中で、ようやくシェリルの心が解けていく。
この温もりが、本当の家族というものなのかもしれない。血のつながりはなくても、心でつながっている。そんな感覚が、シェリルの胸に広がっていった。
「ワタシも発言良いか? この経験こそが、シェリル嬢の……」
それ迄話し掛けるタイミングを逸していたクロウリーが、意を決して声を発しようとした瞬間だった。
「お黙りっ! クロウリーちゃん!」
「お兄様は黙っていてください!」
ぴしりと、まるで双子のように揃った二人の声が響いた。フ―ディエとサンが、完璧に同時に言い放つ。
「……っ!?」
クロウリーは思わず言葉を飲み込んだまま硬直する。その口は半開きのまま、ぴくぴくと震え、眼鏡の縁が小刻みに揺れていた。
シェリルは涙を拭きながら、その光景に小さく笑みを浮かべた。この人たちの関係性の温かさが、自分の心も温めてくれる。
「この場に、殿方の意見など不要ですわ」
「はい、ここは姉妹と淑女の時間でございますので」
重ねて釘を刺され、クロウリーは目を伏せるしかなかった。
シェリルは不思議な気持ちになった。姉妹と言われて、自分もその中に含まれているのだろうか。家族のような、姉妹のような関係性の中に、自分も居場所があるのだろうか。
「あれれ~?」
「おっきなひと、ちいさくなってるぅ~」
「どんま~い~」
「おとこのこはなかないものってきいているよ~」
精霊達がクロウリーに声を掛ける。
シェリルと接触していない彼には、精霊達の姿は見えないが、それでも精霊達は声を掛ける。彼等は彼等でクロウリーが悪い人間族ではないことを理解しているようだ。
精霊達の無邪気な声に、シェリルの心はさらに軽やかになった。
この場にいるみんなが、それぞれの形で温かさを持っている。そんな中に自分もいる。その事実が、シェリルにとって何よりも大切なことのように思えた。
こうして、破壊と混乱に満ちた戦闘の後、静かで温かい……ほんの少し、騒がしいが……慰めの時間が、ユーリアの館に訪れた。
シェリルの心の中に、新しい希望の光が宿り始めていた。




