10.聖騎士の館……⑩
「……どうして、こんなことに?」
シェリルが、ぽつりと呟いた。
胸の奥で鈍い痛みが広がっていく。先程迄の出来事が頭の中で渦を巻いていた。
あの侵入者たちの殺気立った表情、聖騎士ユーリアの結界を破ろうとする執念。
そして……自分を狙っていたという事実。何もかもが理解できずにいた。
「ユーリア様の屋敷を狙った泥棒……そう思っていたのに……どうして命をかけてまで、この結界を破ろうとしたの?」
静寂が戻った応接間で、シェリルは椅子に腰掛けたまま、三人の視線を受け止めていた。その視線が重い。まるで自分の心の奥底まで見透かされているような気がして、居心地の悪さを感じていた。
「あなたを狙ったのよ」
ユーリアが静かに応えると、桜色の瞳を大きく見開いてシェリルは訊ねた。
――わたしを……? 何故?……何も持たない、何の価値もない自分を?
心臓が早鐘を打っていることに気が付く。
「……どうして、あんな人達が……わたしを?」
怯えと困惑が交じった声が響いた。声が震えているのが自分でも分かる。掌に汗が滲んでいた。
「貴女様が『狙われる理由』をお話ししなくてはなりませんわね」
フーディエの落ち着いた声が空気を引き締める。シェリルは身を固くした。
――理由? わたしに何か特別なことがあるというの?
「貴女は学院で他の生徒達から『聖女様』と呼ばれているのはご存知ですわね?」
「そんなの……わたしが名乗った訳じゃ……ありません……」
シェリルは頷くとともに静かに呟いた。胸に苦しさが込み上げてくる。あの呼び名は、いつも自分を居心地悪くさせる。まるで自分が何か特別な存在であるかのように扱われることに、ずっと戸惑いを感じていた。
「そうですわね。シェリル様のような控え目な方が、自らの『聖女』を名乗るとは私共も思ってはおりません」
フーディエは穏やかに笑みを浮かべた。その笑みに、シェリルは少しだけ心が和むのを感じた。
「ただ、他の者達はシェリル様をどのような見ているのか……これが問題なのです」
「どういうことでしょう?」
シェリルは怪訝そうに眉根を寄せてフーディエに視線を向けると、彼女は再び頷いた。不安が胸の中で膨らんでいく。
「アルフォード大聖堂の『加護』を受けた、唯一の平民の生徒。その存在は、邪なる心を持つ者にとってあまりに都合が悪いのです」
「『加護』?……わたしが?」
シェリルは激しく首を左右に振った。
――そんな筈はない。そんな筈はない。だって、わたしは……
心の中で否定の声が響く。
「そんな筈ありません! わたしは……『呪われた子』……忌み嫌われ……村を厄介払いされた忌まわしき『魔女』……そんなわたしが……ノイルフェール神様の恩寵など……受けられる訳がない!」
声が震えていた。涙が溢れそうになる。
あの村での記憶が蘇ってくる。冷たい視線、ささやかれる悪口、そして最後に突きつけられた現実……
自分は呪われた存在なのだと。
「それを判断なさるのは、貴女ではありませんわ」
端正な面持ちを崩さず、今度はサンが口を挟む。その言葉に、シェリルの心はさらに混乱した。
「私達には分かるのです。貴女様の中に、尋常ならざる『魔力の流れ』があることが。魔術的な意味でも、歴史的な意味でも、です」
「…………」
メイド服の袖を握るシェリルの指先が白くなる。光の精霊ルーミアが宿るそれは、ひとつの汚れもつかぬまま、しかし今にも崩れ落ちそうな少女の心を、何ひとつ覆い隠してはくれなかった。
自分の中に流れているという魔力。それは本当に祝福なのだろうか。呪いではないのだろうか。
「確かに、加護の真意は未だ計り知れません」
フーディエが静かに続けた。
「けれども、それでも一つだけ確かなことがありますわ」
その言葉に、サンが目を伏せたまま淡々と告げる。
「貴女は、アルフォード大聖堂に有らせられる『賢者様』により『護られるべき存在』と定められたのです」
「わたしが? 賢者様に?」
突然耳にした『賢者』と言う言葉にシェリルは耳を疑った。
『賢者』……
すなわち、この世のありとあらゆる魔術に通じ、この世の理をも司る『神の代行者』とも呼ばれる至高の存在。
しかし実在しているなどという話は聞いたことがなかった。
突拍子もない言葉が出てきて頭がクラクラしてくる。
「そんな……賢者様なんて、おとぎ話の中にしか……!」
シェリルは椅子の縁を握りしめ、思わず立ち上がった。唇は震え、喉が熱くなる。まるで悪い夢でも見ているようだった。足が震えている。立っているのがやっとだった。
「いくらなんでも、それは……」
「シェリル様」
フーディエの声が、柔らかくも確固たる響きを帯びて彼女の動揺を制した。
その声に、シェリルは少しだけ我を取り戻した。
「貴女様が、ホーリーウェル魔導学院に在籍できていること自体、異例中の異例なのですわ」
「それは……たまたま、運が……」
心の奥で、違和感が芽生え始めていた。本当にただの偶然だったのだろうか。
「本学は、王国を支えた魔術師の末裔たる貴族の子女のみが通う場です。例外は……ひとつだけ」
静かに言葉を挟んだのはサンだった。その口調はまるで神託を読み上げる巫女のように、揺らぎがなかった。
「アルフォード大聖堂の『加護』を得た者のみ……つまり貴女様です」
その瞬間、シェリルの鼓動が一段と高鳴るのを彼女自身が感じた。胸が苦しい。息が詰まりそうになる。
信じられない。だけど……あの日のことを思い出せば、確かに何かがおかしかった。
入学を許可された日のことだ。
突然現れた聖騎士ユーリア。彼女が手にしていた書簡には、学院の紋章と、どこの貴族にも属さない不可思議な印章が押されていた。
孤児院の院長であり、義父であるジェームスや修道女エミリーですら驚愕と困惑の表情を浮かべながら、それを受け取った。
――あれが……賢者様の紋章だったとしたら……?
否定したい。でも心の奥で、全てが繋がっていくのを感じていた。
自分を取り巻く全てが……
誰とも違う魔力の形。夢に出てくる謎の光景。
優しく見守ってくれている聖騎士ユーリア。全てが意味を持ち始めている。
「でも、どうして? どうしてそんな、やんごとなきお方が、わたしなんかを?」
震える声で、シェリルは問うた。自分への疑問が溢れ出してくる。
「わたしはただの……村でひとりぼっちだった子供で、何の才能も……」
「お忘れですか?」
フーディエが一歩、静かに近づいた。
「貴女様の後見人は、そこに御座すアルフォード大聖堂の聖騎士……序列3位のユーリア様でありますことを?」
その言葉は、まるで氷の刃のように鋭く、けれど、母のように暖かだった。




